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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅶ.扉の鍵 58

58.



リュートが部屋を出て行くのに続いて、ジオとクルスも歩き出す。

「アーカヴィ様。」

アエラに呼び止められて、クルスが振り向く。

「先に戻る。」

アエラの表情を見て、ジオはクルスにそう告げると部屋を後にした。

廊下に出た彼らの気配が遠くなると、クルスが先に口を開く。

「何か、話したいことがあるようだね。」

自分のスカートを握り締めたままのアエラがビクリと体を揺らす。

かなり緊張しているのか、足が少し震えている。

「はい。実は……。」

言いにくいのか、口を閉ざして視線を彷徨わせる。

クルスは彼女が話し出すまで無言で待つ。

やがて、アエラがおずおずという感じで声を出した。

「人影を見たのです。」

「人影?」

「はい。その、一瞬のことだったのではっきりとは言えないのですが。東側の廊下の角に消える人影を。」

言い出した内容に気づいてクルスは表情を引き締めた。

「階段からセリナ様のところへ下りる時に、人の気配がしたのでそちらを見たのです。男か女かもわかりません。黒い服の裾が見えただけで、マントなのかドレスなのかも判断できないくらいで。見間違い、なのかもしれませんし。あるいは無関係なのかもしれませんが。お伝えしておこうと思いまして。」

「……。」

「追えば良かったのかもしれませんが、それよりセリナ様を助けるのが先だと。」

「そうだな、その判断は間違っていない。」

その場にもう1人いれば追跡もできただろうが、あの状況ではセリナの身を優先させて当然だ。

「話してくれて良かった。このことはこちらで預かり受ける。」

クルスの返事にアエラは深々と頭を下げた。

「君はセリナ嬢の側に。」

「は、はい。失礼します!」

パタパタとせわしなく部屋を後にするアエラを見送って、クルスは眉をひそめた。

(『背中を押されたような気がする』に加えて、人影か。)

不穏な証言に思わず舌打ちしたい衝動に駆られる。

それを止めたのは、開いたままの扉をノックする音だった。

はっと視線をやると、見慣れた男が立っていた。

「もう入ってもかまわないかな?」







「ララノ。」

背後からジオに呼び止められて、ララノは足を止める。

「どうかされましたか?」

「聞きたいことがある。」

「ほう?」

「直前の記憶が失われるのは、事故の衝撃だけが原因か?」

「それが原因の1つであることは確かじゃろう。」

ぽりぽりと禿げた頭を掻いて、ララノは息を吐いた。

「頭痛を引き起こすような問題を考えていたとしたら、突発的事故を契機にそのことを記憶の底に封じてしまう可能性はあるが。逆行性健忘や解離性健忘……いわゆる記憶喪失には当たらんよ。せいぜいが物忘れ。彼女にも言ったが時間が経てば思い出すだろう。」

「そうか。」

「命の危険の前に、瑣末な悩みは消し飛んだ、というだけかも知れんしの。」

「……。」

黙り込んだジオにララノは首を傾げる。

「気にかかるとは珍しいこともある。」

「勘ぐるな。“災厄”ゆえに案じただけだ。」

「何かに思い至ったのではないか。と?」

カマをかけるように問うが、引っかかる相手ではない。

予想通りなんの反応もなかった。

「頭痛は気になるが、無理に引き出す話でもなかろう。」

独り言のようなララノの言葉に、ジオは視線を外した。

「……用はそれだけだ。」

ララノを追い越して行くジオの背中を見送って、目を細めた。

「ふむ。」

(気になることでは、あるの。)









「事態の収拾はついたかい?」

男はクルスの返事を待たずに部屋へ入り、扉を閉めた。

「あぁ。これからそちらへ行こうと思っていたんだ。」

「そうかなと思って、外で待っていた。手間が省けただろう。」

得意げに言った相手に、クルスは微苦笑を浮かべた。

「心配しなくても、他人に話したりしないよ。口外厳禁なのは重々わかっている。良かったね、発見者が私で。」

認めたくないが、それは事実だった。

取り乱したアエラを初めに見つけたのは、目の前の男・ラシャクである。

カトレアの間は、中央棟にあるいくつもの会議室の内の1つだ。

この部屋から出た直後、真っ青になったアエラと意識不明のセリナを見つけたのだ。

「慌てて“ラヴァリエ”の騎士を呼びに行こうとしてたんだ。」

ラシャクは足を進め、クルスの前に立つ。

「その助けを待つより、すぐ近くの部屋にいる君を呼んだ方が早いからね。それに必要なのは護衛じゃなくて医者だろう?」

混乱した侍女にはドクターを呼びに行かせ、まだ会議室に残っていた『クルスたち』に知らせに来たという。

「もし頭を打っていたら下手に動かさない方がいいのかと思って、先にクルスを呼んだわけだが……あの状況下、運んで良かったよ。」

「あぁ。あの後、レスター夫人らの一団が通ったし、間一髪だったな。」

部屋へ運ぶのが遅れて、あのまま階段のところで発見者が増えれば徒に騒ぎが大きくなるところだった。

「さすが、というべきなのかな。陛下のご判断は。」

ふ、とクルスはラシャクに視線を投げる。

「一応……考えてはいたんだな。」

少し感心したという顔でクルスは呟く。

「おや、心外だな。いつだって最善策を思考している男だよ、私は。」

「その真偽のほどはどうでもいいが。自分では運ぶ体力がないから、手を出さなかったのかと。」

「女性を介抱できないほど貧弱ではないよ。けれど、私は基本的に頭脳派だからな。肉体労働に向かないのは事実だ!」

「……。」

力強く言い切った男を、クルスは胡乱気な視線で眺めた。

(威張ったように言うことか。)

訳のわからない宣言をしたそのままの表情で、ラシャクが次の言葉を紡ぐ。

「さて。あの侍女、きちんと話はしたみたいだし、私の出る幕はなかったかな。」

「!? 聞いていたのか。」

クルスの言葉に、ラシャクは口角を上げた。

「聞こえた。と言っても、盗み聞きには変わりないか。誤解しないでくれよ? 君より先に知っていたことだ。」

これが本題だったかと、クルスは理解する。

「セリナ嬢の側で混乱しながら、口走ったのさ。『逃げる人影を見た』ってね。もちろん、その時には周りに人の気配なんかないからね、追いかけることもできないし。」

すっとラシャクは紫の瞳をクルスに向けた。

「彼女が話さないなら、こちらから耳に入れておこうかと。」

「心配ない。話は聞いている……それなりに客観的な証言だった。」

「客観的…か。」

嘲笑のような笑みを浮かべる。

「不満そうだな。」

「いや。穏やかじゃないと思っただけだ。」

「それだけじゃないだろう。」

クルスの断定した言い方に、ラシャクが目を細めた。

「陛下に報告するんだろう。同席しても?」

その提案に部屋が沈黙に包まれ、2人の視線が交差する。

先に視線を外したのはクルスだった。

「さっきの……会議の話と関連が?」

「それは、まだわからない。」

「そうだな。」

一瞬だけ苦い顔をしてから、クルスは歩き出した。

「陛下は執務室だ。」

そうして2人はカトレアの間を後にした。


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