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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅶ.扉の鍵 57

57.



ふわふわとした感覚に、心地良さを感じて身を預ける。

イメージとしては雲の上にでも乗っているようだ。

(陽だまり、そよ風。あぁ、春のお花畑で昼寝するような感じ。)

すぅっと浮き上がる感覚に包まれた後、セリナはゆっくりと瞼を押し上げた。

「……。」

見えたのは細やかな装飾の施された白い天井。

遠近の狂う世界にどうにか焦点を合わせてはみるものの、想像との差に困惑する。

「どこ、ここ。」

出した声が掠れていて、さらにセリナは困惑した。

「気がついたか?」

セリナの視界に、見慣れたドクターの顔が映る。

ぼんやりとしたままその顔を眺めるセリナに、ララノは眉をひそめた。

セリナの目の前で手を振る。

「見えておるか? わしが誰かわかるかね。」

かけられる言葉にセリナはようやく気づく。

(あ、私に話しかけてるんだ。)

心配そうなララノの後ろにジオとクルスが立っていた。

「どく、ター・ララノ。わかります。ここは?」

掠れていた声は、しゃべる度本来の音を取り戻した。

寝かされていたのは3人掛けの大きなソファ。

無駄な装飾のない実用的な部屋だった。

全身がひどく怠く、動くのに力がいった。

起き上がろうとするセリナを押しとどめて、ララノは安堵したように表情を緩めた。

「中央棟、カトレアの間。階段から近いこの部屋に運んだのじゃ。何があったのか覚えているか?」

ララノに聞かれてセリナは頷く。

「階段を転げ落ちた、んですよね? 私、いたた。」

「そうじゃ。全身打撲に、右足首を痛めておる。打撲は軽度じゃが、足は安静で全治2週間というところじゃな。頭を打っていないのが不幸中の幸いか。本当に怪我の絶えないお姫様じゃ。」

「毎回すみません。」

以前の過労死発言が蘇ってセリナは冷や汗を流す。

ララノの横に膝をついてクルスが微笑んだ。

「そのくらいの怪我で済んだのは、幸いでした。かなり段数がありますから。」

「あー…。」

確かに、一番上から落ちたのだ。

「目を覚まされて安心しました。」

眼鏡の奥で優しい色を浮かべた空色の瞳にセリナは思わず赤面する。

照れ隠しに上半身を起こそうとすると、今度はララノも手を貸してくれた。

セリナは自身の体を眺めるが、確かに怪我らしい怪我は足首の包帯だけだった。

「踏み外した時に捻ったのかな。痛っ。」

「こら、無理して動かすでない!」

「はい。」

ララノに怒られおとなしく従う。

「階段を踏み外したのか?」

それまで黙っていたジオが口を開いた。

視線を向けると、相変わらず感情の読めない顔がある。

まだそれには慣れないが、この場にいることが気持ちを表しているような気がして委縮することはなかった。

(彼の場合、人に無理やり連れてこられたってことはないものね。少しは心配してくれてたのかな。)

問いに頷きかけて、あれ、と首を捻った。

「……? いえ、そういえば背中を押された……ような気がする。」

セリナの言葉に、ララノとクルスが顔を見合わせる。

「相手を見たのか?」

ジオに再び聞かれてセリナは頭を振った。

「あ……いいえ。待って、ごめんなさい。やっぱり、ただの気のせいかもしれない。考え事をしていたから、人がいたかどうかもわからないし。」

それに、と呟いてセリナは口元を押さえた。

「あの時、頭痛が酷かったから。ただふらついて私が足を踏み外しただけかも。」

記憶を辿ってはみるものの、背中に衝撃を受けたような気がするという感覚は曖昧で、階段を落ちた衝撃と混乱しているだけに思えた。

「頭痛?」

ララノに怪訝そうに聞き返され、セリナは慌てて手を振る。

「一時的なものだったみたいで、今はすっかり治まっています。」

「ふむ。」

セリナの額に手を当て、ララノは唸る。

「具合が悪くなったら、すぐに言うのじゃぞ?」

「はい。きっと考え込んだせいですね。」

「あぁ、考え事をしていたと言っておったな。まったく、どれほど悩み込んだのやら。」

「えぇ、それが……。」

説明しようと口を開いたままセリナは止まった。

「どうした?」

ジオが不審げな顔を向ける。

「あ、れ? 何を考えてたか、全然思い出せない。なんだったっけ……結構深刻に考え込んでた気がするんだけど。」

眉を寄せるセリナを尻目に、ジオはララノを見た。

ララノは目だけで頷くとセリナに声をかける。

「突発的な事故で直前の記憶が飛んだのじゃろう。よくあることだよ。」

時間が経てば思い出すこともあるだろうと言われ、納得したようなしてないような感じでセリナは頷いた。

(頭痛を起こすほど、何を考えていたんだっけ?)





「もう入っても良いぞ。」

部屋の扉を開け、ララノが廊下に向かって声をかける。

顔を出したのはアエラとリュートだった。

「セリナ様ぁぁ。」

情けない声を出してアエラがセリナの足元に座り込む。

場所を明け渡すようにクルスが立ち上がり、後ろに下がった。

「わたしが離れたばかりに、申し訳ありません。」

「いいの、いいの。それより、本ありがとう。」

セリナの言葉にアエラはふるふると首を横に振った。

その手元には大事そうに抱えた本2冊。

「助けを呼んでくれたのはアエラ?」

「はい、けど。わたし必死で……。」

言いながらちらっとジオたちの方を見て、俯く。

ララノが白いヒゲを撫でつける。

場の雰囲気から察してセリナは思わず苦笑する。

(多分、スマートなやり方じゃなかったんだろうな。)

「うん。ありがとう、アエラ。」

顔を上げたアエラは、うるっと涙をにじませた。

「では、わしはこれで戻るぞい。」

「ありがとうございました。」

ぺこりと頭を下げたセリナに、ドクターは柔らかく笑う。

「お大事に、じゃ。」

「私も部屋に帰らなきゃ。」

カトレアの間がいったいどこでなんのための部屋なのかはわからないが、長居する理由はない。

寝ていたソファから足を下ろす。

「では、私がお連れします。」

さらりと言われたリュートの台詞に首を傾げる。

「はい? いぃぃって、リュ・リュート!?」

ふわりと体が浮いたかと思うと、至近距離にリュートの顔があった。

「ちょ、待った! 下ろして、歩けるし!!」

パニックになりながらセリナがもがく。

いわゆるお姫様抱っこの状態に、顔が熱くなる。

「その足では歩けないでしょう。」

「う。」

図星をさされて言葉に詰まり、無意識にセリナはジオに視線を向けた。

視線が交差するが、相手からの反応は特になかった。

「では失礼します。」

軽めの会釈だけしてリュートは歩き出す。

「あ、あの! リュート、恥ずかしい、から!」

「暴れないで下さい。」

逃れようと抵抗してみるが、より強く抱きかかえられただけだった。

(死ねるかも。今なら恥ずかしさで死ねるかもしれない。)

廊下を歩きながら抱え直されて、セリナはリュートを見上げる。

「何か?」

「い、いえ! 実は強引なところもあるんだなーと思って。」

セリナの言葉にリュートは小さく笑った。

「貴女が無茶ばかりしようとするからです。」

「そ、うなの?」

「えぇ。腕、しっかり回して下さい。」

周囲に人がいないのを確認してから、遠慮がちに回していた腕をリュートの首に絡める。

「~~~。」

赤面する顔をなんとか見られないようにセリナは俯く。

リュートが笑うのが気配で伝わってきた。

(あれ? そういえば、階段のところから部屋まで運んでくれたのは誰だったんだろう?)

気づかれないようにリュートを見る。

(目覚める前のあの心地良さ。もしかしなくても、アレってこの状態!?)

「――――っぉ!!」

衝動的に叫び出しそうだった声をなんとか噛み殺す。

(んのぉぉぉぉ! 恥ずかしぃぃぃぃ!!)

「どうかされましたか?」

セリナの異変に目聡く気づいてリュートが覗き込んでくる。

「な! なんでもないデスよ!?」

動揺で声が裏返る。

「セリナ様?」

これ以上はごまかすのも無理と、セリナは無言で首を振る。

ついで、もう答えないという意思表示に顔を隠した。

とはいえリュートの肩に顔をうずめた形なので、よく考えれば恥ずかしさの度合いが増しただけだった。

リュートは今度はくすくすと声を出して笑い、さらにセリナは赤くなる。

ひとまず、誰が運んでくれたのかを追求することは頭の中から追い出すことにした。


(も、もう早く部屋に着いて!)


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