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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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36/179

Ⅳ.標されたもの 35

35.



「うそ。」

目の前を見知らぬ人たちが通り過ぎていく。

「アエラ?」

ぐるりと辺りを見渡すが、知った顔は見つけられなかった。

一瞬で血の気が引き、セリナはその場に呆然と立ちつくす。

(はぐれた……!?)

教会からメインストリートまで出て、乗合馬車で城の近くまで戻って来たまでは良かった。

そこから東に逸れて、アエラの知り合いがいるという店でメイドの服に着替える予定であった。

ところが、中心部に近い東の大通りは商店が多く、夕方の人混みは半端ではない。呼び込みの声や珍しい商品に、ほんの少し気を取られている隙にアエラを見失ってしまったのである。

(こんなところで迷子なんて。城はそこなのに。)

目を向ければ、立派な塔を持つ城はすぐ側に見える。そちらに向いて歩けば迷うこともなく辿り着けるだろう。

(少し前に4時の鐘が鳴った。)

焦り出す気持ちをなんとか抑えて、セリナはもう一度周囲を見渡す。

(アエラも探してくれているはず……あまり動かない方がいいかも。)

目的の店が、この通り沿いにあるのかもわからない。セリナは周りに目を凝らしながら、こういう時の対処法を事前に決めておけば良かったと、後悔の念を浮かべた。

「あ。」

通りの向こうで視界を掠めた姿に声を上げた。

「アエラ!」

ほっと胸をなで下ろして、セリナは人混みを掻き分け通りを横切る。その人物が入って行った路地に飛び込み、やや入り込んだ場所で目的の人物に追いつく。

「アエラ!」

声をかけて、振り向いた顔に動きが止まった。

「す、すみません。人違いでした。」

怪訝そうな表情をされた後、その女性は肩をすくめて歩いて行った。

(やば、道がわからなくなる前に戻らなきゃ。)

「え、と。」

たいした距離を走ったわけではないが、それでも中央の賑わいが聞こえない場所まで来ていた。

(落ち着いて。城はそこなんだから、戻るにはこっちに行けばいい。)

大きな目印を当てにしつつ路地の角を曲がるが、セリナはすぐに足を止めた。その先で男が2人、道の隅で何かを受け渡していたのだ。

1人は薄汚れた麻袋を手にし、もう片方は白い袋を受け取る。

白い袋の中から1枚取り出されたのは金貨だった。

麻袋を受け取った男が不意に顔を上げ、セリナと視線が交差する。

「っ!!」

その男は灰色の外套のフードを被り、口元も布で覆っていたが、その間から覗くのは氷のような冷たい瞳。それが鋭く射抜くような強さでセリナに向けられた。

思わず息をのんで、その場に立ち尽くす。

もう1人の男もセリナに気づいて振り向いた。

「あー、見られたみたいだねー。」

状況の危険さを察して、セリナはびくりと肩を揺らした。さっさと逃げなければならないのに、体が動かない。

外套を着ている男が懐からもう1つ袋を取り出し、緑色の髪をした男に押し付ける。

ジャラリ、と鳴った音から中身が先程と同じお金なのだと知れる。

「証人は必要ない。」

低い声が短く告げた。

押し付けられた袋をいそいそとしまい込み、緑髪のひょろりとした男は口の端を引き上げた。

「はいよ、旦那。」

外套の男は身を翻し、残った男はにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「!!」

ようやく動いた足で、セリナもその場に背を向ける。

路地から飛び出したところで、目の前にまたしても別の男が立ちはだかった。

助けて、と声を上げる前に後ろから声が聞こえた。

「その女、捕まえてー。」

はっと身を引いた時には遅く、セリナは腕を掴まれる。

「放して!」

「このまま行かせると困るんでね。」

セリナの腕を掴むくすんだ金髪の男の腕には、よくわからない刺青が彫ってある。ゆっくりと近づいて来る緑髪の男の肩から二の腕にかけても、同じような大きな刺青が見えた。

「運が悪かったな。」

「まー、こんな裏路地にさ。君みたいな女の子が1人で歩いてたら物騒でしょー? もっと気をつけないと。」

言っている内容はまともだが、その顔に浮かぶ表情は愉悦に歪んでいる。

(裏路地……大通りからちょっと入っただけなのに!)

確かに、店の並びの裏側にあたる場所である。もう少し郊外なら気をつけもするが、こんな中央区で厄介な人物に絡まれるとは予想していなかった。

必死で腕を振りほどこうともがくが、がっしりした男の腕はビクともしない。

「~~~放して、よ!」

手では敵わないので、セリナは思いっきり男の足を踏みつけた。

「!?!?」

痛みに思わず力の緩んだ腕を払うと、セリナは駆け出した。

「くそ! 待ちやがれ!!」

「なめた真似しやがって……!」

(なんで、こんなことになるのよ!)

辺りを見回す余裕もなくセリナは走る。

(どこか、大きな通りに! 人のいるところに出れば。)

背後から追いかけてくる声が聞こえ、気が急いた。

比較的広い道を曲がるが、セリナはまたしても足を止めた。

「あ……。」

曲がった先は小さな空き地があるだけの行き止まり。振り向けば、先程の男たちが息を切らして近づいてくるところだった。

「残念だな。追いかけっこはもう終わりだ。」

ぐるりと木板の塀に囲まれ、乗り越えられそうもない。

その時、遠くで5時を告げる鐘が鳴り響いた。見えない音を探すように、思わずセリナは空を見上げる。

(冗談じゃないわよ。)

顔を正面に戻し、どんどん近づく男らを見据えながらセリナは一歩後ずさる。

(どうする、どうすればいい? 考えて。ここを突破するには、どうすればいい。)

逃げるには、来た道を戻るしかない。

(ここまで来て、冗談じゃない。)

こつんと足に当たった物に視線を走らせる。地面に転がっていたのは木の棒。

次の行動は無意識だった。

「近づかないで。」

俊敏に棒を拾い上げて、それを両手で構える。

緑髪の男がぴゅうと口笛を吹いた。

「勇ましいねぇ。」

「手が震えてるけどな。」

バカにするように笑って、もう1人が別の棒を蹴り上げ手に取る。

(こんなことなら護身術とか剣道とか習っておけばよかった!)

「さっきの礼をしないとな。」

にやっと笑って、男はセリナに向かって容赦なく棒を振り上げた。

ガッ

鈍い音が響く。

「―…ぁく!」

かろうじて受け止めたものの、衝撃に耐えきれずセリナの手からあっさり棒が落ちる。

打撃の余韻に両手が痺れた。

「他愛もねぇ。」

襟元を掴まれ乱暴に引き倒される。そのせいで、眼鏡が外れ地面に飛んだ。

「ぐっ。」

金髪の男は棒を投げ捨てると、しりもちをついた状態のセリナを見下ろした。

もう1人の男も、ゆっくりと近づいて来る。これ見よがしに眼鏡を踏みつぶすと、セリナの傍らに座り込んだ。

「メガネない方がカワイイじゃねーの。」

言いながら、男はセリナに手を伸ばした。

「傷のない白い手、苦労なんて知らないで大事に育てられたか? そんなイイ服着てさ、その辺の町娘ってわけじゃねーな? 世間知らずのお嬢さんが迷子ってとこ?」

「……っ!」

侮蔑を含んだ笑いを浮かべ、男はごつごつした手でセリナの顎を掴んだ。

中流家庭の服装でも、くたびれたところがないのは見て取れる。

「のん気にフラフラしてりゃ、危険の1つにもぶつかるわなー。少しは、世間の辛酸ってやつを知ってみるかぁ?」

セリナは触れている男を睨みつけた。

「放せ!」

振り払おうとした手を簡単に拘束される。

「おうおう、気の強いことで。」

「遊ぶな。さっさと始末するぞ。報酬分の仕事は果たせ。」

金髪男の言葉に、忌々しげに舌打ちをしてから男は相手を見上げる。

「いいじゃねーか、殺す前に少しくらい楽しませろよ。」

そう言って男が取り出した粉にセリナは目を見開く。

「!!」

「あんな場面に遭遇するとは運が悪いが、コッチに関してはツイてるよ。純度の高い良物だ。」

見たことがなくとも理解できることはあるものだ。

(麻薬……。さっきの。麻薬の取引現場……!?)

「心配すんなって。発見されても、心臓発作に見えるらしーからさ。」

それのどこが心配しなくて済む状況なのだろうか。

「サイコーの気分で冥府の神の御許にオクッテやるよ。」

にやりと笑った男の顔には、欲と悪意が渦巻いていた。

「―――っ!」

渇いたように声が上手く出なかった。抵抗しようにも背後から押さえつけられた体は思うように動かない。

無遠慮に緑髪の男がセリナの足を撫でた。

(やだ、怖い……怖い! 嫌だ、誰か。)

「さっさとやれ。」

「そう焦るなよ。……こんな上等の獲物、二度は無いぜ。」

舌なめずりをして、男はセリナに近づく。

「堕ちていく様を見るのが快感なんじゃねーか。」

(嫌だ、誰か!!)

涙で視界が霞む。

(冗談じゃない、こんなところで!)

叫びたいのに声が詰まって、音にならない。

(助けて。)



―――誰か、助けて!!!


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