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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅳ.標されたもの 34

34.



それは小さな教会だった。

建物と建物の間に押し込まれるようにひっそりと存在し、塀も柵もない上に扉は開放されている。

5段ほどの石階段を上ると入り口横の壁に読めない文字と探していた紋章が彫られていた。

中に入ると空気は不思議なことにひやりと冷たい。

「すみません。」

教会内に人の気配はないが、恐る恐る声をかける。

「誰もいないみたいですね。」

アエラはセリナの後ろから覗き込むようにして辺りを眺める。

正面の壁、向かって左側に例の舟の紋章が描かれたタペストリー。

「アエラ、右側のタペストリーは何?」

交互に模様を見ながら祭壇の前まで進む。

「精霊世界を表したリスリーア教の紋章です。」

セリナに答えて視線を動かす。

「中央の女神像がシーリナですかね。」

「その通り。」

アエラの呟きに答えたのは老いた声だった。

思わず2人が振り返ると、通路の真ん中に老人が立っていた。いつの間に現れたのかわからないが、どうやら外から帰ってきたようだ。

「来客とは珍しい。ゆっくりしていかれるがいい。」

「この教会の神父様ですか?」

老人の着ている丈の長い白服が、見知った聖職者のそれと似ていて、セリナは尋ねた。

「いかにも。祈りに来たのかね?」

神父は微笑む。

「話を聞きたくて……。」

セリナが返した言葉に、神父はひとつ頷いてみせる。

「アエラ、ここで待っていて。」

「え!? わたしも一緒に!」

ここまで来てのけ者は嫌だと、セリナの言葉に不満げな表情を浮かべる。

セリナはアエラに向き直るとまっすぐに見つめた。

「確かめたいことがあるの。自分の中で、ちゃんと整理したらアエラにも話すから……今はどうか1人で行かせて。」

何も聞かずにここまで協力してくれたアエラに申し訳ないと思いながらも、セリナはどうしても打ち明ける勇気が持てなかった。

不満げな表情を崩さないまま、アエラはそれでも頷いた。

「ここで、待っていますから。」

「ありがとう。」

やりとりを見ていた神父は、話がまとまったところで礼拝堂の奥へと足を向けた。

「では話はこちらで。」

礼拝堂の隣の部屋に案内される。

「話をしに来たのではなく、話を聞きに来たと言ったね。」

「はい。」

「人はここに自分の話をしに来ることの方が多いから、珍しいことだ。」

初老の神父は穏やかに笑いながら、セリナに椅子を勧めた。

椅子に座り、神父が向かいに腰を下ろすのを待ってからセリナは口を開いた。

「この教会の、紋章について教えて欲しいんです。」

単刀直入に本題を切り出す。

少し驚いたような顔をして神父は、再び珍しいねと呟いた。

「紋章についてね……ふむ、紋章。海の神シーリナを祀っているから舟の紋章を使っている。何も特別なことはないよ?」

紋章が描かれている壁掛けをはずしてセリナに渡した。

「アザリーという“レイブル”に出てくる舟が元になっている。」

(“レイブル”は聞いたことある。確か、創世の書。)

「“レイブル”の12章第3節に精霊たちが精霊世界からこの世界へ旅立つ……世界樹の元から舟を漕ぎ出す場面がある。そこで使われるのが“光持ちし舟・アザリー”だ。海の神シーリナの息吹によって、舟はこの世界に辿り着き、この地で精霊の恩恵を約束した。」

それは、どこにでも転がっていそうな物語だった。ノアの方舟とも一致しない。

「この紋章の舟は、家のように上に屋根が付いていますよね。」

「アザリーは精霊の乗る舟。神々の御力で進むものゆえ舵も帆もない。精霊にも階級があり、3階層に分かれて乗り込んだとある。精霊王たちは上層に、各精霊たちが中階に、そして使役精霊たちが下層に。」

「3階建ての舟。」

「うむ、その通り。舟の上……。」

言いながら神父は屋根の中央を指し示す。

「この屋根の一番上に導きの星を戴いていたと。」

簡略化された紋章にも、そこには星が描かれていた。

「舟は“アーク・ザラ”の港に着き、世界に国々が拓かれていく。後に精霊王たちは世界樹の元へ帰るが、その時アザリーの天空に導きの星を掲げて、これを世界の原初の地と定めたという。その星の下に今でもアザリーが眠っていると言われるが、その場所は不明じゃ。ただアザリーは精霊王たちが乗って帰ったという説もあるから、真偽の程はわからぬ。」

(災いとは、何も関係ない。)

しばらく考え込んでいたが、顔を上げて神父を見た。

「今からここで話すこと、他言無用にお願いしたいのですが。」

「もちろん。ここは告戒室ではないが、告げた秘密が外部へもれることはない。元より教会とはそういう場所。」

己の罪を告白して、神に許しを請う。シーリナしか祀ってなくてもその基本は同じらしい。

(どこの世界でも神に救いを求めるのは人の性なのかしら。)

複雑な気持ちを抱えつつ、セリナは言葉を選びながら説明を始めた。

「実は。私はある方の代理でここへ話を聞きに来たのです。その方の知っている話……いえ神話の舟とこちらの紋章が良く似ているので、何か関係があるのではないかと。神父様なら何かご存知かと思い、直接話を伺いに参りました。」

「神話とは。それは先程私が告げた“レイブル”とはまた別の話かね。」

「この世界の創世の書とは、また別の……始まりの物語です。」

セリナはできるだけ虚勢を張って語った。

今以上の情報を得るには、こちらの手の内も見せる必要がある。“方舟伝説”を語っても作り話だと思われては元も子もない。まずは信じてもらわなければならないのだ。

ふむ、と少し考え込んだ神父だったが、再びセリナに視線を戻す。

「アザリーが出てくる別の話ではなく、異なる神話に似ている舟が出てくる、というわけじゃな?」

「えぇ。この舟に詳しい神父様の意見が、聞きたいのです。」

「詳しいと、言えるほどの知識があるかどうか。ともかく、ではその始まりの物語を、聞かせていただけるかな。」

セリナは頷いてから、“方舟”について説明をした。





「なんとも……不可思議な神話よ。そのような話は初めて耳にした。神が地を沈めるか。」

語り終えたセリナに向かって、神父はほぅっと息をついた。

「貴女の仕える御仁はよほど博識なお方か。あるいは“蒼の塔”の関係者であろうか?」

「え?」

ノアの予言ではなく、そちらに結び付けられたことにセリナは目を瞬かせた。

「いや、すまぬ。余計な詮索はすまい。」

恥ずかしげに笑い、神父は一度座り直した。

「ふぅむ。確かに舟の機能や形は似通っているが、それ以外に共通するところは無いように思う。舟に乗る経緯も漕ぎ出す目的も……話の内容も。いや、神の命令で舟を造ったという部分は同じと言えなくもないが、だからといって似ているわけでもなし。」

セリナは神父の言葉を聞きながら頷いた。

関係ないと他人の口から言われて、少し安堵の感情が浮かぶ。

「洪水、ハト。それから、オリーブ。これらの言葉で、何か思いつくようなことはありますか?」

「洪水、ハト、オリーブ。ハトがくわえてきたオリーブの葉を見て、洪水の水が引いたことを知った、か。まぁ、伝令に鳥が使われるのは良く聞くがなぁ。」

眉を一度寄せてから、あぁと呟き顔を上げた。

「そういえば、関係があるかは分からぬが。オリーブなら、ポセイライナの碑の周りにもたくさん生えていたな。」

「ポセイライナ?」

「国の南西、ラグルゼからさらに南に下った海に近い場所。海難事故などで亡くなった者を祀る慰霊碑と小さな神殿があるのだ。その周りにオリーブの木が群生している。」

「有名な場所ですか?」

「いや、有名と言うほどではない。私もこのシスリゼ教会と同じ系統だから、知っているという程度だ。」

「同じ系統?」

「同じく海の神・シーリナを祀る場所ゆえ。たいしてお役に立てなくてすまない。」

「いえ、同じではないと分かっただけでも十分です。お話を聞かせてくれてありがとうございました。」

セリナは壁掛けを神父に返すと、頭を下げた。

(少なくとも、アザリーに災害の逸話はない。ここの舟の紋章とノアの方舟とは異なる。なら、やっぱり考えすぎ? けれど…。)

同じシーリナを祀りオリーブに囲まれた場所があるという。

セリナの意識は自然とそこへ向いた。

(ポセイライナ。)

部屋を出ると、礼拝堂に並んだ椅子に座っていたアエラが勢いよく立ち上がった。

「アエラ、お待たせ。」

「いえ。」

何か言いたそうに口を開閉したが、結局アエラは沈黙を選んだ。

「汝らに至高天の恩寵があらんことを。」

かけられた言葉にセリナは神父を振り向いた。

「貴女の答えが見つかるよう祈っておる。」

思わず目を見開く。

神父の背後にアラバスターの神像が見え、不意に敬虔な気持ちに襲われたセリナは頭を下げた。

「ありがとうございます。」

神父に礼を告げると穏やかな笑みが返って来た。

教会の出口をくぐり、外へ足を踏み出すと少しだけぬるい風が吹き去った。

(答えが見つかるように、か。)

前にリオンにも同じ言葉を貰った。思い出して、無意識のうちにセリナは頬を緩めた。


「きゃ。」


石段を下りて、顔を上げようとしたところで、歩いてきた人とぶつかる。

「……っ!」

ぶつかった相手は眉を寄せたが、バランスを崩したセリナへ咄嗟に手を伸ばした。

驚きに開いたセリナの瞳と、相手の緋色の瞳の視線が交差する。

(赤い……。)

腕を掴まれている間にセリナは体勢を立て直すと、慌てて相手から離れた。

「す、すみません。ぼーっとしていたので。」

長身の青年に向かって頭を下げた。

謝る少女をにこりともせず見ていたが、男はややあってから「いや。」と応じた。

「こちらも失礼した。」

「セリナ様! 大丈夫ですか!?」

成り行きを呆然と見守っていたアエラが、ようやく弾かれように石段を駆け下りて来た。

アエラに場所を譲るように下がってから、男は入れ替わりに教会へと姿を消す。その青年の背を見送るともなく見送った後で、セリナはあははと笑いながら歩き出した。

「うん。ぶつかっちゃった。」

「気をつけてくださいね。」

「わ、アエラに言われた。」

「に゛ゃ、ひどいですー。」

ごめんごめん、とまた笑ってから、ふとセリナは足を止めた。

(さっきの人。)

振り返るが、既に教会の様子を窺える位置にはいない。

「どうかしました?」

「んーん……なんでもない。」

怪訝な表情のアエラに、セリナは首を振った。

(本当にこちらの世界には、髪も瞳もいろんな色があるなぁ。)

来る途中に街でピンクの髪色も見かけた。先程の青年の緋色の瞳もだが、セリナにはそれらの色の珍しさはわからない。それでも、いろいろな色が溢れていることだけは間違いない。

(その中で、どうして黒だけが特別なんだろう。)

色としてタブーとされているわけではない。それでもそう認識されるというからには、それなりの理由があるはずだ。

(それにしても。国王様の金髪も、ティリアさんの空色の瞳もリュートの碧眼も。見慣れない色ばかりなのに、違和感を覚えないのは不思議なものだわ。)

それだけこの世界に馴染んだということなのかな、と考えて、セリナは苦笑いを浮かべた。

(いいのか、悪いのか。)

「今からなら、夕方の開門時間に余裕を持って戻れますね。」

アエラの声に、はっとしてセリナは意識を目の前に戻す。

「来る時は2時間くらいかかったけど。」

仕立屋リィールの滞在時間を省いた、馬車と徒歩での移動時間だ。

セリナの言葉にアエラが応じる。

「ここから乗合馬車で城の手前までは、1時間弱です。荷馬車よりは早いと思いますわ。」

「じゃあ、着くのは4時くらいか……確かに十分間に合うわね。」

よしよしと頷く。

セリナにとってはありがたいことに、こちらの世界も1日は24時間と概念が同じである。

1日の内、東門が開いているのは朝の6時から10時までと夕方3時から6時まで。町の時計台が時を刻んでいるが、今はまだ3時前だ。

「うまく中に戻れるといいんだけど。」

お店のガラスに映った自分を見て、セリナは両手で眼鏡をかけ直した。

計画では城の近くでメイドの服に着替えて戻る手はずにしていた。それが一番目立たず、違和感なく溶け込めるとの予測からだ。

「きっとうまく行きますわ。」

「中へ入ってしまえば、後はなんとでもなるものね。」


ここまで大きな問題もなく、とんとん拍子にことが運んだので、楽観視しているところはあったかもしれない。

あるいは、当初の目的を果たし気が抜けたのか。


ともかく。

結論から言えば、すべてが思い通りに進むということにはならなかった。


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