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黒の女神  作者: 紗月
空の章
31/179

Ⅳ.標されたもの 30

30.



「疫病神のアエラなら、災厄の女神と災い同士相殺してちょうどいいじゃないの。」

とは、以前言われた言葉だ。

その時は、セリナを貶める発言に腹を立てたが、自分に関して言えば良い示唆になった。

例えばセリナに降りかかる災禍を、自分の災いで相殺できるならそれは素晴らしいことだ。ただ、相乗効果で悪化させる可能性も否めないのが難点である。

(わたしの場合、後者の可能性の方が高いかも。)

そんな自覚を持っていたこともあって、より一層だったのだ。誰かの役に立てる……しかもそれが自ら選んだ主ならば尚更、そのことに並々ならぬ気概を抱いたのは。

侍女を願い出た時から、ずっとそうありたいと思っていたから。





「失礼します。」

平静を装って部屋に入ってきたアエラは、扉を閉めた後も周囲を気にしながら小声でセリナに声をかけた。

「手に入れてきました、セリナ様。」

「ほんと?」

「はい。」

アエラは抱えた紙袋を示す。

「こっちで。」

中身を取り出そうとしたのを制して、セリナは衣装部屋へと誘導した。

そこで、中身を手に取ったセリナは「へぇ」と小さく呟いた。

「これが、こちらの一般的な服?」

「はい。セリナ様、本当にこれを着るおつもりですか?」

「もちろんよ。『これ』で出歩くわけにはいかないでしょう?」

セリナは今着ているドレスを示しながら確認する。

「それは、そうなんですが……。」

反論もできないので、アエラは口を噤んだ。

紙袋の中身は衣装一式。

城に出入りしている商人から調達してきたそれは、中流家庭の服装に当たるものだ。

薄い生地で、無駄な装飾は何もない質素な拵え。白いブラウスに、胸元を編みこむタイプのワンピース。膝下のスカートは適度にふんわり広がっている。

セリナからすれば、カントリー調でかわいい衣装なのだが、アエラはそれをセリナが着ることに不満げな様子だ。

(むしろ普段からこういう普通の服でいいって言ったら、怒られるかも。)

肩をすくめて、セリナは考えたことを黙っておくことにした。


許可が出ないのなら勝手に出かけてやる、と決意してから早2週間。周囲に出かけたいと訴えることをやめ、セリナは“共犯者”に引き込んだアエラと一緒に着々と計画を進めていた。

(目指すはシスリゼ教会。行っても何も分からないかもしれないけれど、何もせず考えてるだけよりずっといい。……何も関係ないんだって分かればもっといい。)

手助けしてくれる相手はアエラしか思いつかなかった。

イサラ初め『ダメだ』と周りが口を揃えて言っていたこともあるし、安全面から考えてもそうすべきではないと、初めは渋っていたアエラ。けれど、町を見たいのではなく教会へ行きたいのだと説明すると態度は軟化した。

方舟については説明してないが、興味本位ではないことを理解したのだろう。

「アエラ以外に頼れる人がいないの。」

あるいは、それが決め手となったのかもしれない。

「わたしは、セリナ様に仕えるためにここにいるんです。」

そう言ったアエラは、積極的に協力の態度を見せ、こうして準備にも尽力している。


シスリゼ教会は王都の南。中心街からは離れた場所にある。歩くには少し距離があるが、1日で行って帰れない場所ではない。

城を抜け出す算段も教会までの道筋も立った。

後は抜け出すのに、目立たないよう変装するだけだ。

「で、これがウィッグとメガネね。」

ネックになるのは髪と瞳の色だ。それを隠してしまえば、もともと一般人なのだから町に出て浮くということはない。

服に加えて、伊達眼鏡とウィッグも用意してもらったのであるが、茶髪のふわふわウィッグがただかぶるだけの物でなく、ピンで留める作りになっているのはアエラにしては特上級で気が利いていた。

一通り揃えてくれた衣装を眺めてから、セリナは顔を上げた。

「ありがとう、アエラ。」

「い、いえ! 当然のことです。」





城には4方向に門がある。

城の正面に位置し町の大通りに続く南の正門、主に騎士たちが使う西門、奥向き貴人たちが出入りする北門、王宮の使用人や城への物資を運び込む職人・商人などが日常的に出入りする東門。

今セリナがいるのは城の北側の建物になる。

一番近い門は庭を抜けた先の北門であるが、ここは西の騎士の詰め所に近いこともあり警備の目が厳しい。散歩に出たふうを装って城を出て行けそうなのだが、そう簡単ではないらしい。

兵士が常にうろうろしている正門や西門を使うことなど論外である。

最後に残ったのは、東門。

人の出入りが一番激しい場所。そして、もっとも人の目に触れる場所でもある。けれど、もっとも通過しやすい。

朝夕の2回、門は開放される。商人たちの列に紛れれば出て行くのは比較的容易く、協力者を見つければ戻ることも可能だ。

(そんなにうまく行くかどうかは運次第だけど。)

最終的にばれない可能性は低いんだろうな、とセリナは分析する。

(けど、立ち止まるわけにはいかないの。)

意地でも当てつけでもなく。

踏み出した一歩は、後ろではなく、ただ前へ進めたいのだ。

「明日は晴天。勉強の予定もない。さらに、騎士隊の訓練があるらしくて、護衛に付くのは一般兵。これ以上の好機はもうないかもしれないわ。」

セリナの言葉に、ぐっと緊張した顔になってアエラは頷いた。

「はい。」

「いよいよ決行するわよ。アエラ。」







いつもより早く起きて、いつもと同じように朝食を食べる。

「昨日遅くまで本を読みすぎたかしら……今日は1日部屋でおとなしくしておくわ。」

もっともらしくアエラに予定を告げる。

不自然ではない程度に、挨拶に来た護衛兵士に聞こえる声で。

気を遣ったのかそういう指示を受けていたのか、部屋の前ではなく廊下の先に控えた兵士を確認してセリナとアエラは笑みを浮かべた。

いつもの通り、アエラは食事を片付けるとベッドメイクをする。今日は畳まずにシーツを丸めてカートへ押し込む。

その間にセリナは服を着替える。髪をひとつに纏めてウィッグをかぶり眼鏡をかけた。鏡で確認すると、別人みたいで不思議な感じだった。

「セリナ様。」

アエラの変装用衣装を抱えて、セリナはカートへと潜り込む。

「失礼します。」

そう言ってアエラが上からシーツを数枚かぶせた。

「……大丈夫です。分かりませんわ。」

出来栄えに驚きながら、そうセリナに報告したアエラが、緊張をにじませたまま大きく深呼吸をした。

「では、行きます。」



ガラガラと、普段より重さの増えたカートの車輪の音が響く。

事前に油でもさして置けばよかったと内心で自分を叱責しながらアエラは兵士に近づいた。

息を吸う。ここでまず1つしなければならないことがある。

「あの。」

兵士に声をかけると、アエラは目だけで出てきたばかりの部屋を示した。

「昨夜、ずいぶん勉強していたみたいで……お疲れのご様子なんです。今日はゆっくりされる予定ですので、できるだけ配慮をお願いします。」

「あ……はい。了解しました。」

アエラの台詞に兵士は小声で答えて敬礼した。

「では。」

心の中で冷や汗を滝のように流しながら、アエラは歩を進める。

ああ言っておけば、部屋から声や物音がしなくとも怪しんだりしないはずだ。

(少なくとも、しばらくは。)

背中に視線を感じる気がして、アエラは微妙に歩く速度を速める。

「もうしばらく我慢してくださいね。」

カートを昇降機に押し込むと1階へと送る。周囲を気にしつつアエラは階段を駆け下りると、再びカートを手に東の建物を目指す。

(はやく、リネン室へ。)

メイドとすれ違うたび、心臓が飛び跳ねる。

カートの中から少しも気配がしないのがかえって不安を煽る。

(だ、大丈夫かしら? 苦しくないかな……早く、早く。)

飛び込むようにリネン室へ入ると、扉に鍵をかけて大息を吐いた。

それから慌てて周囲を見て、誰もいないのを確認してもう一度息をつく。

(慌てないで、ゆっくり、確実に。)

言い聞かせるように呟いてから、アエラはセリナに声をかけた。

「リネン室につきました。誰もいませんわ。」

ややあってからシーツが動いて、セリナが顔を覗かせる。

「お疲れさま。」

「いえ。」

カートから半分だけ出た状態のセリナに労いの言葉をかけられ、アエラは思わず笑みをこぼした。

「はい、アエラの衣装。」

「すぐに着替えます!」



アエラが服を受け取って着替えている間に、セリナはカートから出ると、シーツを洗い物の山に積み上げ空になったカートを壁際に寄せた。

「用意できましたわ。」

無言で頷き合うと、裏口から庭へと出て壁に添って進む。

しばらく行くとだんだん賑やかな声が近づいてきた。

「パルド広場までもうすぐです。」

パルド広場。そこは東門から入ったところにある、物流の場である。

たくさん並んだ荷車や馬車の後ろに潜り込む。

誰かを待っているようなフリをしながら、セリナは広場を眺めた。

「ほらほら、倉庫に運ぶんだ。道開けとくれ!」

「まさか! これは上等の小麦だよ! そんな品とは比べないでおくれ。」

「おいおい、伝票落としてるぞ! 気をつけなよ。」

「お、そこのかわいいメイドさん。新しい髪留めはどうだい?」

「もちろん採れたてですよ。毎度ありがとうございます。」

「明日も頼むよ。これ、注文票ね。」

(賑やか。皆なんか生き生きしてるし、朝市みたい。)

品物を運び入れ、運び出す。

(同じだ。)

交わされる挨拶、掛け声、笑顔。

広場にはメイドや下働きの男たち、職人・商人がそれぞれ慌しく働いていた。

肌の色も髪の色も目の色も違う。同じ人間などいない。ここでも人々は個々に生きているのだ。

北側の静かさが嘘のように、ここは活気に満ちていた。

「セリナ様。」

アエラの声に現実に引き戻される。

(ここでぼーっとしてるわけにはいかないんだった。)

「こんな場所で知り合いに会ったら大変ですわ。早く行きましょう。」

頷いて、はたとアエラを見つめる。

「アエラもウィッグつけたら良かったね……アエラの方が知り合い多いだろうし。」

ここでばれる可能性はアエラの方が高い。

普段は2つの三つ編みにしている髪を下ろしているが、変装にはならない。

「ですから、お早く。」

「あぁ、ごめん。そうだね。」

(ここで変な会話繰り広げてる場合でもなかったや。)

「馬が引くタイプの荷車に隠れるのがいいと思うんだけど……手頃なのがないわね。」

「ではあそこの商人の一団に紛れるのでは?」

人を隠すなら人の中である。

「おじさん集団の中じゃ目立つよ。」

「ふぅ。」

少し先で大息をついて1人の女性が足を止めた。両側に花が積まれたたくさんの籠を吊した棹を肩に載せていたが、それを重そうに下ろす。

ぐるりと周りを見渡してから、セリナはその女性を見据えて告げた。

「アエラ、行くわよ。」

「え? は、はい!」


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