表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さあ美味しいモノを食べようか  作者: 青ぶどう
78/91

77.領主とヨリ

お待たせしました。ヨリと領主の対話の続きです。


前話で「食糧不足より金不足の方が問題だ」と言われました。

 領主は食べる事より俸禄を増やす方が大事だと思っているようだ。貴族院を卒業してくる新貴族を迎えれば、俸禄を下げざるを得ないのが相当厳しいのかもしれない。足りない俸禄で生活を切り詰めているのは領主も同じだ。あの身体では、俸禄を下げられるのは領主にとっても辛かろう。私が考え事をしている間に溜まった沈黙の後で、悲痛さを込めた言葉が落とされる。


「金が無ければ、食糧は買えぬ」


 万感の想いが感じられる重々しい声。表情からも至って本気であることが窺えた。なるほど、と思った。貴族であれば畑を耕すことなどなかろう。ダンジョンに潜ることもなく───昔潜っていたのはポルカの監視のためだった───食糧は平民から買う物、ポルカから接収する物だと思っていると。そしてポルカは5年前から接収量が増やせない。ならば足りない分は買うしかない。そんなところか。腑に落ちた。


 領主の考えと貴族の思考が多少なりとも解ってきた。これはもう、アレしかない。手っ取り早く現実を見せるべし。


「俸禄の使い方は貴族院の為の蓄え、婚礼の為の蓄え、社交用の服や装飾品、それと日々の食費、でお間違いありませんか?」


 いきなり何を言い出すのかと言わんばかりの領主の顔。うん、不躾に何を、って感じかな。


「食費だけが節約できる、とお考えなんですよね」


 引き続き訝し気な顔のままで、頷いた。本題はここからだ。領主は金が無ければ食糧が買えないと思い込んでいて、私はそれを覆したい。だから事実を差し出して、問う。


「その食費を増やさずに、食べる物を増やすお手伝いができる、と私が申し上げたらお信じになりますか」


 領主は愕然と、まさに絵に描いたように愕然としたが、さすが領地のトップである。間もなく真剣な顔で考え込み始めた。


 領主の目が虚空の一点を見出したあたりで、使った食器類を片付けさせてもらうことに。思考を邪魔しないように、なるべく音を立てずゆっくりと動く。領主の思考時間が長かったおかげで、2つのコップを残すのみとなってから再び腰掛け、湯冷ましでひと息ついて。少し冷めたなと保温を付与して、手に包んで温かくなるのを待った。温かくなってきたので、ひと口試しに啜ってみる。おおう、うまうま。


「……信じられぬ……」


 領主が虚空に何を見たのかは分からない。ただ、かなり考え込んでから苦悶の顔で絞り出すように吐き出された言葉は、それであった。


「でしょうね」


 間髪入れずにそう答えたら、苦悶の顔が疑問の顔になった。え? 不思議に思うことはないよ。得体の知れない女が言い出した事なんか、信じないのが当たり前だって。まあ信じると言ってもらったところで、次の言葉を言わせてもらうことに変わりは無かったんだけども。


「でしたら、明日の夕食にお招きしたく思います」


 現実を見せるのなら成功例のポルカが最適である。いずれはと考えていたのをいきなり明日と決めたのは、領主と貴族の大部分が味方だと判明したことが大きい。そして決め手は領主の痩せ具合。


 昼食は知らないが、夕食を食べる習慣は無さそうだと見て夕食にした。昼食に招待したらソア様と鉢合わせそうだからという理由もある。領主が一緒ではソア様が落ち着かないだろうし、上司の前だからとポルカへの態度を変えられたら悲しい。そういう事もあると知っている私ならともかく、ポルカの皆はソア様の態度が変われば驚き傷つくだろう。そしてそれを見る私の胸はギリギリと。なるのは胃か?……うん、やっぱ夜だな。


 そう自分に頷いて、次は時間を伝えようと口を開く。え? 返事は無いよ? ノーと即答されなかったのだから、イエスの余地はあると見て話を進めてもいいではないか。というかね、さっきはノーで良かったが、ここでノーと言われると手間が増えるのだ。ゆえに少し強引であろうが、約束を取り付けたい。


「5時にお迎えに伺いますので、護衛の方々もよろしければご一緒に」


 ええ、ご一緒に。領主がブラブラ1人散歩? 護衛が部外者の私1人? はは、確実にあり得ないよね。領主と護衛と付き人はセットが普通だ。そして領主のお共をするのだから護衛と付き人の身分は上級貴族に確定だろう。何人来るのか分からないが多ければ多いほど、夢でも妄想でもなく詐欺でもないことを解かってもらえる。ね、だからご一緒に。


「……どこに連れてゆく気だ」


 行き先を訊ねられた。領主の表情と口の重さから、行き先次第ではノーと言うつもりでいることが伝わってくる。つまり、行き先次第ではイエスということだ。最初の関門は私という不審者に付いて行く気になるかどうかだったので、それを無事超えられて一安心である。後はもう行き先を告げればいいだけ。延期になろうが連れて行く。脅してでも連れて行く。ニヤリと口が歪みそうになるのを抑え、あくまで上品に見えるように意識して微笑み、告げた。


「───ポルカの村へ」


 領主がフリーズするのは想定内だったが、息を吸ったまま止まってしまったのは想定外だった。おいおい、息はしないとまずいって。立ち上がり、領主の背を軽く2回叩いてやる。やはり苦しかったのか、我に返って空気を取り込む領主が落ち着くのを見計らい、残っていたコップを仕舞ってから異空間収納袋をローブの異空間収納に放り込んで。


「お疲れでしょう。お部屋までお送りします」


 と申し出た。


 うん? そんなビビらんでも、ちゃんと無傷でお送りするよ? 自分で言うのも何だが、世界一のボディーガードだぞ多分。うん、拒否りたいだろうけど諦めた方がいい。こんなフラフラの元病人を1人で帰すなんて、できるわけがない。おや、もしや立ち上がれない? じゃあ抱き上げて運ぶしかないな。よっと。……え? 下ろせ? 自分で歩ける? じゃあ下ろしますけどね。



 ああ、ほらフラフラではないですか。お手を失礼しますよ。え? 腰の手は何だ? 転んだら危ないではないですか。ほらこうすれば、ご領主殿が倒れそうになっても私がお支えできますから。え? 見張りの者に見られるのが恥ずかしい? 大丈夫です。私は彼らには見えていないはずですから。


 ね、大丈夫でしたでしょう? おや顔色が。やはりお抱えしましょうか? ああ要らない? では、せめてもっと身体をお預けください。


 う~ん、やはり階段はお抱きしましょう。ご領主殿は軽くていらっしゃいますので大丈夫ですよ。───ほらもう最上階ですから。……ここからはお1人で? いえ無理でしょう。フラついていらっしゃるじゃありませんか。やはり最後までお送りします。


 ご領主殿を長々とお借りしてしまいましたから、そのお詫びとしてこちらを。時間停止を付与してありますので、いつでも温かくお召し上がりいただけますよ。


 無くなりましたら袋へお入れください。お伺いした時にいただきますので。ではこれで失礼を。



 有無を言わさず領主を部屋まで送り届けた私は───無理やりではなかった───入ってすぐの応接室らしき部屋のテーブルに持ってきた料理をセットしてから辞去してきた。もちろん応接間の窓からである。

 さすがに領主の見ている前で、室内に祭壇を勝手に作るほど面の皮は厚くない。プライベート空間は身分が上であるほど大事なので、そこは尊重すべきであろう。許可が出れば瞬時に作るけども。


 最上階なので、窓を出たら即屋根の上に出れた。そこに小さく祭壇を作る。そうしてから伸びをした。かしこまった口調というのは慣れないから疲れるのだ。それにしても解読不可能な貴族語とやらがあるか無いかは置いておいて、理解できる言葉で話してくれて良かった。そうだったら意思の疎通すらできなかっただろうから。


 領主と過ごした時間は楽しかったなと思い返しながら時計を見れば、10時の少し前。まだ夜は深いとも言えない時間だ。朝までに南のトレモアまで行けるのではないだろうか。


 おし、南に走ってみるか。







 +    +    +






 勝手に入り込まれていることに驚き、また来てもいいかと許可を求められたことにも驚いたが、今日で3日目だということと手記を全部読まれたと知った時はもっと驚いた。驚いたと言うならば最初から驚き通しではあったのだが、それらを軽く超える驚きに今、返事をしなければならない窮地に陥っていた。


 食費を増やさず、食べ物を増やす。それができる。

 女はそう言ったのだ。


 食費を増やさず食べる物を増やすには、平民から接収するかポルカの接収量を増やすしかない。何度も却下されてきた案だ。ポルカの接収量を増やせたのは6代前まで。5代前からは諸事情でポルカへは手が出せない。よって接収量も増やせない。

 平民からの接収にしても、すでに腸詰を作らせたりパーナル(馬車を曳く魔獣)のエサの芋を破格の値段で売るように強制しているのだ。他にもツケで買い物をしたり、生糸レレモ狩りに騎兵団を参加させて買い取らせていたり、生活石や鉱石の掘り出しで無理を言ったりと苦労をかけ通しなのである。これ以上はよその領地に逃げられかねない。


 そういう事を言い出すのは決まって一部の者たちで、知らぬことを知らず、己の生活が平民の譲歩で成り立っていることを言っても理解しない愚かな連中だった。そういった厚顔無恥な者たちは、却下されても言い張り続ける。「ならば他に案があるとおっしゃるのですか」と付け加えて。


 胸を張って言い返したいところであったが王都の大貴族は頼りにはなりそうもなく、俸禄が増える希望はない。金策として打ち出した生活石や流糸ペレメの増量は、微々たる成果しか上げられていなかった。これまでも常に限界まで出荷していたのだ。そんなに増やせるわけもない。


 バルファンにおいて一番の売り上げを誇るのは流糸ペレメだったが、値段を変えられないのが痛かった。バルファンの流糸ペレメの売れ行きは8領地中3番目。領地ごとに色が違っていて、売れ行き順は黒、青、白、緑、赤、黄、紫と来て最後に茶だ。値段は一律だと昔に王が決めたので、どの領地も上げたくとも上げられないのだ。


 生活石は王都でしか売れず、量を増やしたところで売り上げ増加と喜べるほどは売れていない。王都以外であれば、どの領地でも採れるからである。性能も同じ、値段も同じであれば領地を選んで買う者などいないのだ。しかし王都の大貴族と交流を深めることができれば、まとめて買ってもらうことができた。それも臣下の分まで定期的に。


 西側の領主たちは自領のダンジョンから獲れた食材を贈ったり、安く売ったりなどして機嫌を取ることで、そうしているのだとか。こちらが腰を低くして王都の貴族に近付けばいつも、贈り物を寄越せ、機嫌を取れと言わんばかりにそれを引き合いに出してくるのだった。食材をと申し出れば「バルファンの物など」と嘲笑うくせに。


 つまりは賄賂が無ければ取引には応じないというわけだ。それぐらいも出せないのかと嘲笑されながら頭を下げるのは辛い。まだ自分は1度しか経験していないが、父や祖父たちは王都に行く度に同じ思いをしたのだろう。約20年で引き継ぐのであるから、だいたい20回。年に一度であるのが救いだと感じるほどに、辛い。


 ダンジョン食材に至っては、平民しか買わない。王都の物に比べれば塩とコショウは半分の値段で、肉や粉類は3分の2前後の値段で取引されていた。肉屋に命じて作らせる腸詰は王都とバルファンでしか作られないために高値で売れるが、値段の割合は変わらず王都の3分の2となっている。味はバルファンの方が上だと思うのにだ。塩とコショウ以外は他領も同じ状況であるのだが、西側と東側での格差がひどいのは、やはり酒や果実、茶や魚などの、王都の貴族が好む物がダンジョンに無いことが痛い。


 これでもし自分の領地だけがそうだったならと、苦しくなるたびに考えるようにしていた。その都度、同じ境遇の慰め合える仲間がいるのだから、まだ恵まれているのだと自分を慰め、奮い立たせるのだ。


 ふと南隣、トレモアの領主の顔を思い出した。3カ月後に、バルファンに嫁いでくる娘の親だ。王都で会った時、「娘を頼む」と伸ばされた手は自分と同じように痩せ細っていて、目には涙が浮いていた。身につまされる。


 あと2年もすれば私の娘も嫁いでゆくのだ。行き先はトレモアの西隣のテルトに決まっていた。東側は東側でしか婚家が見つからない。あそこも厳しい領地だ。願わくば、せめて慈しまれ大事にされて欲しいというのが、娘を持つ東側の領主の想いであろうと思う。

 東側領地の苦しみは長い。この長い苦しみが覆せるか? 覆せればいいとは常に思っているが、やはり無理だろうという思いの方が強かった。目の前にいる女1人が手伝ったところで、どうにかなるわけがない。重い口を開いて本音を吐露した。


「……信じられぬな……」


 絞り出すように声を出した。てっきり女は怒ると思っていたのだが「でしょうね」と、さも当たり前と言わんばかりに頷いて「では夕食に招く」と言い出した。重苦しく考え込んでいたせいか、話の展開についていけない。


「5時にお迎えに伺いますので、護衛の方々もよろしければご一緒に」


 既に行くのが決まっているかのように時間が決められた。まだ行くとも行かないとも決めていないのに話が進んでいく。女にはどうやら断らせる気がないようだ。ならば、どこに行くか場所くらいは訊いておかなければ連れてゆく者の選別ができない。


「……どこに連れてゆく気だ」


 結局流されざるを得ないという不満と不安に低い声が出る。ついでに不信感丸出しの問いかけ方。当たり前だ。女が何者で、何を考えているのかも知らないのだ。知っているのは得体が知れない、私の命を狙っていない、食べ物を勧められた、スープが美味かった、夕食に招いてきた、それくらいか。

 女をジッと見据えながら、後半はまるで友人のようではないかと思い至って、馬鹿なとその考えを振り払った時だった。


「───ポルカの村へ」


 微笑みながら口を開いた女の言葉に、耳を疑う。よりにもよってポルカだとは。ポルカの生活ぶりが良いとは聞いたことが無い。そこへ何故、何を考えて招こうと言うのか。やはりポルカの接収量を増やせと言うつもりなのだろうか。いや、それならば夕食に招くなどとは言うまい。ならば「夕食に招く」と言葉通りに受け取ってはいけないのでは? 頭の中が忙しい。


 背中を、トントンと軽く叩かれて。自分が息を止めていたことに気付いた。乱れた息が整うまで背中に添えられた手は、存外に優しい。そう感じて女の顔を見上げると、そこには無表情の中に労わりの色が。


 その時思ってしまったのだ。この女に流されてみようか、とりあえず明日の夕食次第にすればいいのではないか、と。


 決断ではなく思っただけ、という完全なる流され状況の中、「送ります」と言い出されて動揺した。女に男が送られるなどありえない。否と言いたかったが女にジッと見つめられ、言葉を飲む。断らせる気が無いのだと解かってしまったのだ。抵抗を諦めて女から目を逸らすと、机の上が片付いていることに気付いた。料理や器を出していた袋も見当たらない。どこに……と考え始めたが、すぐに中断せざるを得なくなった。いきなり女に横抱きにされたからだ。


「下ろせ歩ける!」


 女に送られるのも断りたいのに、抱き上げられるなど許せるわけがない。下ろせと怒鳴った。ここ最近で一番の大声が出て自分でも驚くと同時に、女を怒らせたかもしれないと思い少し身体を固くする。女はじっと私を見てから、ゆっくりと私を足から下ろして立たせた。完全に立つまで手は離さない慎重さに、幼少期以降ここまで大事にされた覚えが無くて、面映ゆくなる。


 面映ゆさに女と顔を合わせることができず、机の上に置いてある『持ちともり』に手を伸ばす。それを持って隠し部屋の出入り口に向かおうと歩き始めたのだが。


「この手は何だ」


「こうすればご領主殿が倒れそうになっても、私がお支えできますから」


 女が近付いたのにも気付かず、いつの間にやら腕と腰に手が添えられていたのだ。しかも気付いてすぐに抜け出そうとするも、出来ない。そして咎める気持ちを込めた言葉に返ってきたのは、解っているけど離しませんと言わんばかりの顔と言葉。……どうしたらこの手を離させることができるだろうか。


 体格も同じくらいで、腰に手を回されれば顔も近くなる。この密着具合はまずいのだ。傍から見れば若い女と抱き合いながら歩いているようにしか見えない。こんなところを見張りたちに見られようものなら、明日には家族にまで知られてしまうだろう。


「……見張りの者たちに見られたくない」


 本気でそう言ったのだが女は軽く笑いをこぼし、


「大丈夫です。私は彼らには見えていないはずですから」


 と。どういうことかと私の目が訴えたのだろう。


「付与の重ね掛けですよ」


 女は何でもないことのようにサラリと答えた。以前囲っていた自称中位冒険者は魔力付与は出来たが、重ね掛けできるほど魔力が無いと言って魔力感知を付与することができなかった。ゆえに我がバルファンでも囲えたのであるが、付与の重ね掛けができるとなると……この女、冒険者で少なくとも中位冒険者以上か。しかし冒険者特有の、売り込みへの意気込みは感じられない。言葉遣いや所作は平民とは思えず、かと言って見た目は貴族ではありえない。ならば貴族の庶子であるのかもしれない。


 そう思い付いたものの、すぐに違うなと訂正した。私を「ご領主殿」と呼んでいたことを思い出したのだ。領主を様付けで呼ばないのは、領主たちと王都の大貴族たち、そして王族のみだ。領主と大貴族の間では「バルファン殿」「ミゾノ殿」というように、名に殿を付けて呼ぶ。王族は「バルファン」「ミゾノ」と名だけを呼び、敬称は付けない。「ご領主殿」と呼ぶ身分の者はいないのだ。


 とうとう見張りの前を通る時になった。見張りは左手の拳を胸の真ん中に当てて直立する敬礼をしたが、本当に女には気付いていないようだった。目の前にいるのだぞ?


「ね、大丈夫でしたでしょう?」


 見張りから遠ざかってから微笑と共に耳元でささやかれた。瞬間的にぶり返した恐ろしさに、身が竦む。先ほど考えていた事のせいで女の得体の知れなさが増したところに、本当に見張りが役に立たないことを知ってしまったのだ。そこに耳元への笑みを含んだささやき。怖気おぞけを振るうのには充分過ぎた。


 立ち止まってしまった私を覗き込み、女が笑みを消す。笑みから無表情にゆっくりと変わっていく顔というのを、これほど恐ろしいと思ったことは無かった。表情を消して探ってくる女の目線に耐えられず目を瞑ってしまう。


「……やはりお抱えしましょうか?」


 少しの沈黙の後で、心配そうに声を掛けられた。

 恐る恐る目を開ければ、覗き込んで来る顔からも添えられた手からも感じられる労わりに、自分の愚かさを罵りたくなった。考えてみれば女は確かに得体が知れず恐ろしいが、無体な事をされた覚えはないのだ。無体をされそうな様子も無いのに恐れて、ビクビクしている自分に呆れて首を横に振った。それを女は抱き上げに首を振ったと思ったのだろう。


「では、せめてもっと身体をお預けください」


 そう手の力を強めつつ言ってくる。抱き上げられるのは嫌なので、それには素直に従った。考え事などせずに支えられて歩けば、感じるのは女の労わりのみだった。よろめく度に優しく支え戻される。先程も考え事などしていなければ、感じられたのだろうし、気付いたのだろう。もしそうであれば「大丈夫だったでしょう?」と笑いかけられた時に、こちらも笑って頷き返せたかもしれない。女からの労わりを今も感じながら、そうできればよかったのに、と思った。


 思っただけでなく、次の見張りから敬礼を受けた時に、女と小さく笑い合ってみた。また面映ゆさを感じる。女への恐れはもう無かった。見張りに敬礼を受けるたびに笑い合い、面映ゆさに慣れた頃に到着した階段で。


「やはり階段はお抱きしましょう」


 女が言い出して、それを全力で拒否したのだが。誰も軽いだ重いだを気にして拒否したわけではない。恥ずかしいから嫌なのだ。そう言おうとした時にはヒョイと横抱きにされ、それに気を取られている間に恐ろしい速さで階段を上られた。


「ほらもう最上階ですから」


 という女の声に目を開けて、いつの間にか目を固く瞑っていたのだと気付いた。あの短い間で、本当にこの階段を上がり切ったのか。3階層分の階段を見下ろし、軽い眩暈をやり過ごす。下ろさせると、またもや大事に立たされた。何というか……大事にされ過ぎて困る。


「ここからはもう行ける」


 そう言って女の手を離させれば、すぐに身体がフラついて壁に手を着い───着く前に女に支えられた。


「やはり最後までお送りします」


 もう何も言えず、結局部屋の中まで送り届けられてしまった。私を椅子に座らせた女がローブの下から袋を出したので、何をするつもりだろうかと見ていれば、隠し部屋で見た鍋たちをテーブルに並べ始めた。手早く並べ終わると女がこちらに身体を向けて。


「ご領主殿を長々とお借りしてしまいましたから、そのお詫びとしてこちらを。時間停止を付与してありますので、いつでも温かくお召し上がりいただけますよ」


 白いモノが入った透明な入れ物は両手を使わなければ持てないだろう大きさで、大きな木皿には茶色の丸っこいモノがいくつも積まれていた。そして、鍋は2つもある。まさか、そんな。


 何日分にもなろうかという量だ。そんなに置いて行って自分の分はあるのか、と心配になるではないか。そうだ、出し過ぎたのだろう? 鍋が2つなど間違えたに違いないのだ。女が「1つは私の分でした」と言い出すのを今か今かと待っていたのだが、結局女はこう言って窓から去って行った。窓からだぞ?


「無くなりましたら袋へお入れください。お伺いした時にでもいただきますので。ではこれで失礼を」


 急いで窓まで行って顔を出して見回すも、女の姿はどこにも無かった。窓枠に立ったあと上に跳んだように見えたが、屋根に上ってどこへ行くと言うのか。まさか屋根に住んでいるとは言うまい。


 ふと、王都で聞いた最上位冒険者の話を思い出した。壁を走り、川も飛び越えると。誇張されているだけに違いないと思っていたその話が、どうにも頭から離れなくなった。女がそうだと決まったわけではないのに、何故か想像した最上位冒険者の影と重なってしょうがない。頭を振り、その考えを追いやって窓を閉めて振り返れば、テーブルの上の料理たちが目に入った。


 近付いて、透明な入れ物に被せられていた布を取り、覗き込む。白いモノは1つずつは小さく角ばっていて、黒い小さなモノがちょこちょこと付いていた。この匂いはどこかで嗅いだことがあるような。考えたが出てこず、気になって行儀悪くも指で1つを口に運んだ。


「コショウか?」


 塩の味もした。白いモノがジャガイモであると、噛み進めていくうちに気付いた。ジャガイモをここまで美味しく思ったことは無くて驚く。コショウは肉に掛けるものだと思い込んでいたのだ。今日はいつにも増して自分の愚かさに気付く日だと自嘲する。ひとしきり落ち込んだ後で布でフタをし直した。


 次は丸っこいモノを手に取る。力を入れて掴んだら、手の中のソレがへこんだ。驚いて力を抜けば元に戻る。不思議さに、しばらくそれを繰り返した。その後でほんのり温かいソレを、女がやっていたようにひと口で入りそうな大きさにちぎり、口に持って行く。匂いは平パンに似ている気もした。口に入れてみれば、舌の上にソレが載った途端に口内の水分が湧き出て来た。噛むと、未知なる味と噛み応えと舌触りが堪らない。


 目を閉じて、じっくりと咀嚼した。無くなればもうひと口、と続けていたのだろう。何回目かの次をちぎろうとした時に自分の手に触れて目を開けた。後ひと口という大きさの端しか残っていないことに気付く。あっという間の至福であったなと、最後のひと口を大事に咀嚼した。


 少しだけ食べるつもりだったのだが。食べ終わって膨れた腹をさすりながら、今は寝室に向かっているところだ。身体が暖かく、心地いい眠気を感じていた。寝室に入り上衣を脱いで、寝台の妻の横に滑り込む。妻のおかげで上掛けの中はいつも暖かかった。


 いつもはなかなか訪れない眠気を待つのだが、すでに瞼が上がらず。気持ちの良いまどろみに身を委ねながら、初めて明日を待ち遠しく思った。






ポルカは金が無くとも食事だけは豪華ですから。そこをまず見てもらおうとご招待しました。

領主のフラフラ具合が放っておけなくて、強引に送るヨリ。ヨリに流され気味な領主。ヨリのいいところに気付いてくれて、恐ろしさを克服してくれて良かったです。


大事な場面なので、納得できるまで書き直して遅くなりました。次話は久しぶりにダンジョンから始まります。『明日の夜』まで色々と予定があるので、領主を迎えに行けるのは、数話先になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ