第37話 『八日月(ようかづき)のお洗濯日和』
小川の前で立ち尽くし、腕組みをして何かを思い悩んでいる少女。
けれど……やがて意を決した彼女は、己の服に手をかけてえいやっと脱ぎ始めた。
白地のフリルブラウスにチェック柄のスカート。それに下着類とスポーツブラ。
胸当てが必要なほどに彼女の胸が大きくはなってはいないけれど、体を動かすのが大好きだった少女は激しい運動の際乳首を強く擦ることがたびたびあって、その防止用ということでブラをつけるようになった。なんとも色気のない話ではあるが。
ちなみに同級生の中では比較的早い方だったらしい。
そして最後にゲルダにもらった耳飾りと腕輪を外し、そっと服の上に置いた。
全てを脱ぎ捨て瑞々しい裸体を陽光の下にさらした彼女は、特に袖もないのに腕まくりのポーズを取ると、川にばしゃばしゃと分け入って浅瀬で立ち止まる。
そして己が脱いだ衣類を一枚ずつ手に取ると、川でじゃぶじゃぶと荒い始めた。
そう、少女は洗濯をするためにここに来ていたのだ。
基本的には手のひらで揉み洗いしながら、袖口や襟首などの汚れやすい部分は指先で摘むようにして丁寧に擦ってゆく。
川の流れがゆるやかなので思っていたよりはだいぶんに楽だった。
なにせ数日間ずっと同じ服を着っぱなしだったのだ。一応幼いとはいえ女性である。いつもならとてもではないがそうそう耐えられたものではない。
今回のような非常事態で、かつ替えの服がないような状況だったからこそ我慢していた……というか、目の前の事に対処するのに必死すぎてすっかり失念してしまっていたのだ。
「んー、やっぱり洗剤が欲しいなー。でも川だと意味ないのか。ってゆうより洗剤って川とかに流しちゃダメなんだっけ……?」
ん~、と考え込みながらも揉み洗いする手は止めない。彼女はこう見えて存外に働き者なのだ。
「せめてあったかいお湯ならもっと落ちるんだろうけど……」
だが現状お湯を作るのはかなりの難事だ。なにせあの家にはほぼ木製の製品しかないのである。
アールヴが人狼であり、人間の製品を必要以上に好まない、というのも無論あるのだろうが、どうもそれだけではなさそうだ。
彼はどうやら金属製品全般をあまり好んでいないようである。
まともに見かけた金属は毛皮を剥ぐ時に使ったミスリルの短剣くらいではなかろうか。
人狼たる彼は銀が苦手らしいけれど、その影響もあって金属全般が嫌いなのだろうか、などと考えるがはっきりした理由は結局わからないままだった。
「それは聞けば教えてくれるかもしれないけど……」
ただ当人が嫌っているかもしれぬものの事情を尋ねる、というのは互いにあまり気分のいいものではない。
亜里沙はとりあえず直接的な質問は保留しておくことにした。
さて、一通り洗濯を終えた少女はずぶ濡れになった服を近くの低木の枝にかけて乾かしてみた。
ところどころにほつれが目立つのが残念だが、着替えたくとも替えの服がない。繕いものをしたくともここには針も糸もないのだ。
「あ、糸……はあるかな。使えるかどうかはわからないけど」
先日森で見かけた全長20cmほどの大きな蜘蛛、その蜘蛛の巣の網が実にいい案配に丈夫そうだったのだ。
……まあ普通の少女なら20cmある蜘蛛だなんて悲鳴を上げて逃げ出してしまうだろうけれど。
「あれの縦糸だけ拠って糸に仕立てたら……あー、ダメだ、適当な針がない」
う~んと唸りつつ、腕組みをしたまま川辺に戻る。
服が乾くまでは字の如く一糸纏わぬ全裸なのである。流石に軽々しく出歩くわけにもゆくまい。
「あーるぶ以外誰もいないんだから別に気にしなくてもいいんだけど……」
だがそれれでもやはり少女は人間なのだ。
全裸で森を徘徊するのは流石に恥ずかしいらしい。
亜里沙は浅瀬で石をひっくり返して生き物を探したり、少し流れのあるところで泳いでみたり、髪の毛を洗ったりと思う存分に水浴びを堪能する。
少し風がある程度で太陽は燦々と輝いており、水浴びには絶好のお天気であった。
「へっぷち! ……流石に身体冷やしすぎたかな」
健康的な太ももから水滴を滴らせ、少女は額の汗を拭い、涼風にぶるりと身を震わせる。
途中で魚を見つけて捕獲を試みるも、道具も何もない状態では流石にお手上げで、亜里沙は今後のリベンジを誓った。
とは言っても仮に捕まえられたとして、調味料の一つもないのでは味気ない魚の丸焼きになるのが関の山だろうが。
「んー、せめてお塩があればなー」
普通どんな家に行っても塩が置いてないことなどまずないはずなのだが、アールヴの家だけは例外だった。
人狼には塩分が不要、といいうわけでもなかろう。きっと生で肉を食べるときに一緒に摂取しているのだ。
けれど肉はできれば焼いて食べたい少女にとって塩分の補給はどこかで考えなければならぬ問題である。
「……まだ湿ってる、かな」
陸に上がって身体を乾かしながら、服の乾き具合を確認する。タオルもない現状、こうして衣服とともに自身も乾かす必要があるのだ。
まあ例の腕輪を使えば早いのかもしれないが、ゲルダの説明によれば着火はともかく炎の勢いをコントロールするのは結構疲れるという話なので、できればこういう状況で気軽に使いたくはなかった。
「えーっと、そうだ、お手洗い用の葉っぱも集めておかなきゃ……」
足りないものばっかりで色々頭が痛くなるが、まだ手洗い用の葉は森を探せば手に入るだけ増しというものだ。
少女は周囲をざっと見渡すが特に人影はない。当たり前である。
この辺り一帯はアールヴの縄張りであり、危険な獣もほとんどいないと聞いた。
どきどき、と胸が高鳴る。
なぜか不思議と気分が高揚している、
考えてみれば半月が過ぎ、少しずつ満月が近づいてくる頃合いである。
だからもしかしたら……これも彼女が人狼混じりになった影響なのかもしれない。
「ちょっとだけ……うん、ちょっとだけね?」
そんな風に己に言い訳めいたものを説きながら……
全裸の少女は、こっそりと森の縁へと分け入った。
「えーっと、あの葉っぱは……あった!」
なんとも暖かな日差しが頭上に茂った枝葉どもの隙間から木漏れ日となっって降り注いでいる。
しっとりと泡塗れた肌色を晒しながら、少女は森の中をとてとてと歩き、初めのうちはおっかなびっくり、だがやがて少しずつ大胆に見聞を広めてゆく。
「うわ、大きな葉っぱ……これこのままお皿になるんじゃ」
地面から直接巨大な葉が広がるような低木に目を丸くする。いや作りからして樹木ではなく大きな草のたぐいかもしれない。
「あ! なんだろこれ、ブドウ……みたいな?」
お店で売っているブドウよりは小振りの、だが野ブドウにしては大きめの房になった果物を発見する。
とりあえず一房もいでみて匂いを嗅いでみたが、ほんの少しの青臭さと甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。
「ん~、毒かな。平気かな」
アールヴに聞けばわかるかもしれないが、彼は現在狩りに出かけている最中のはずである。それに狼腹である彼の食性は人間よりも狼のそれに近く、果実は好んで口にすまい。
「えーっと、私はちょっぴりだけどオオカミだから、きっと危険なものだったらあらかじめわかる! はず!」
根拠のない理屈を並べ立てた少女は、意を決して一粒口に放り込んでみる。
が……皮が思ったより堅めで、いったんぷっと口から出した少女は、丁寧に皮を剥いて再び口に含んでみた。
「ん! 結構美味しい!」
想像していた味よりはだいぶ酸味が強いが、それでも確かに甘みを感じる。
こちらの世界に来てから甘いものを食べたのは実に久しぶりの気がした亜里沙であった。
「ん? ちょっと待って。これってもしかして……?」
二粒目の皮を剥いて口に放り込みながら、少女は若干太めな眉を顰めて何事かを考え込む。
「これって、もしかしていけるかも……?」




