第五部第二十七話:黄昏の祝杯と、新しき王の芽吹き
第五部第二十七話:黄昏の祝杯と、新しき王の芽吹き
凄惨を極めたファルス城での激闘を終え、重々しい城門を押し開けて外の空気へと足を踏み出したグレイランス、ソフィア、ブルドの三人。
その眼前に広がっていたのは、予想だにしない圧倒的な「歓声」の嵐であった。
城外の広場には、大剣や槍を掲げた無数の男たち――ルイザ、そしてグレイランスの父、猛将アレスレイン率いる「ギルド傭兵団」の大軍勢が、戦いを終えて彼らの帰還を待ちわびていたのだ。
城内でくり広げられた死闘の戦況は、ソフィアのバッグから飛び立った小竜カークの「念導波」を介し、リアルタイムでルイザのもとへ送られていた。
猛毒と錯乱の紫煙を操る難敵「人狐」が撃破されたとの報せを受け、アレスレインが散り散りになっていた傭兵たちを瞬く間に再組織し、救援と勝利の祝杯のためにこの地へと駆けつけていたのである。
「――グランバード・グレイランスッ!!」
アレスレインが身の丈ほどもある大剣を高く突き上げ、雷鳴のような咆哮を上げた。
「「おおおぁぁぁぁぁッッ!! グレイランス! グレイランスッ!!」」
叩きつけるような地鳴りのごとき歓声が、王都の夜空を揺らす。
その興奮の只中、感情を爆発させたルイザが、目から涙を溢れさせながらグレイランスの胸へ向けて勢いよく飛びついた。
「グレイランスぁぁぁッ!」
しかし――がっしりとルイザの身体を受け止めたのは、グレイランスではなく、その隣に立っていたソフィアであった。
――ギュッ!!
「……ルイザさん……っ!」
「ソフィア……! バカ、バカ……無事でよかったわよぉ……っ!」
抱き合った二人の目から、溢れ出る涙が頬を伝い落ちる。
かつて己の未熟さに葛藤し、精霊玉を託して去ったルイザと、それを胸に受け止めて修羅の道を歩んだソフィア。
言葉にならぬ想いを交わす二人の涙は、月光に照らされて美しく輝いていた。
戦いの後、一行は「傭兵天国」と称される活気あふれるラブルの街へと戻り、連日にわたる豪快な勝利の宴が催された。
立ち込める酒の匂いと歓声、肉の焼ける香ばしい煙。
宴もたけなわとなった深夜、火照った身体を冷まそうと、グレイランスは一人そっと酒場の外へと抜け出し、澄み渡る夜風に当たった。
寂れた路地の陰に、見慣れた二つの影が静かに佇んでいるのが目に入った。
「……よう! マリオン! ……と、そっちの銀仮面は……なんてな、言わなくても分かってるぜ。『ジェイク』だろ?」
グレイランスは気さくにニッと笑い、陽気な声をかけた。
銀仮面は無言のまま静かに手を伸ばし、自らの顔を覆っていた冷たい仮面をゆっくりと取り外した。
現れたのは、幾多の死線をともに潜り抜けてきたかつての友、ジェイクの素顔であった。
その太刀筋の冴えから、グレイランスは最初から彼の正体に気づいていたのだ。
「……許せ、グレイランス。あの時は……お前という存在をこの手で排除することだけが、人間という種族が生き残る唯一の道だと信じ込んでいたのだ……」
先日、容赦なく襲いかかってきた過去の過ちを深く詫びるジェイク。
グレイランスは肩をすくめ、白い息を夜空へくゆらせながら笑った。
「ああ、気にすんなよ。お前が言った通りだったぜ。勝っても負っても、地獄みたいな世界だったさ」
「――ジェイク様! マリオン様ッ!」
木造の扉が開き、ソフィアが酒場から駆け出してきた。
涙ぐむ瞳で、隣に立つ美しき女剣士マリオンへ抱きつく。
「生きて……生きておられたのですね……っ!」
「ええ……。今は『冥王族』として、こうして静かに生きながらえておりますよ」
マリオンは白磁のような冷たい頬を緩め、優しくソフィアの頭を撫でた。
そこへ、重い足取りで酒場から出てきたのは、白ひげを揺らす老僧ブルドであった。
「ふむ……そろそろ拙僧も、本来居るべき冥王界へ帰るとするかのう」
「ブルド……! すまなかったな、俺のせいでこんな体になっちまって……っ」
顔を歪めるグレイランスに対し、ブルドは「なんの、なんの!」と豪快に胸を叩いて笑い飛ばした。
「拙僧は己の使命を完璧に全うしたまでじゃ! 冥王族の人生というものはな、死んでからの方が遥かに長いのじゃよ!」
己の命を奪う危険な『蘇生の術』でグレイランスを黄泉から引き戻したことなど、ブルドにとっては痛くも痒くもない誇りであった。
「……お前たち二人が授かる子こそが、いつの日か世界を包む『真の地王』となるじゃろう。なんてな……拙僧にはそんな気がしてならんのじゃ」
ブルドは優しげな目を細め、胸を張った。彼が命を賭してグレイランスを生かした真の理由は、そこにあったのかもしれなかった。
「……おっと、お迎えが来たようじゃな」
ブルドの視線の先――闇の渦の中から、赤き瞳を怪しく光らせた吸血鬼の真祖「ハンニバル」が静かに姿を現していた。
「達者で暮らせよ、二人とも!」
ブルド、マリオン、そしてジェイクらは、静かに闇へと溶け込み、冥王界の深遠へと旅立っていった。
同じ頃――はるか遠くの「竜神殿」では、かつて決裂したルイザと竜巫女ライザが、静かな和解の時を迎えていた。
月明かりが差し込む神殿の境内。
ルイザは愛用の竪琴を優しく爪弾き、自分が外の世界で見てきた壮大な冒険の数々を、切なく美しい音色に乗せてライザへ聴かせていた。
守護竜ブレイズも、小さな翼を休めたカークも、その調べに静かに耳を傾けていた。
……ラブルの酒場の庇の下。
「よう、中に入れよ! 外は冷えるぞ……」
アレスレインと、その傍らに寄り添うエリザベートが、冷気に肩を寄せるグレイランスとソフィアを迎えに顔を出した。
「……ああ。冬がやって来るな……」
グレイランスはソフィアの華奢な肩を愛おしそうに強く抱き寄せると、温かな灯火と笑い声が溢れる酒場の中へと足を踏み入れた。
――この死闘を経て、世界の理は大きく塗り替えられた。
天王界のギルド「傭兵天国」を中心に、神に頼らず己の足で立つ『地王力』が人々の間に爆発的に普及していくこととなる。
それは、理不尽な神魔の裁きを目撃した人間たちが、もはや天王族を絶対の存在として信頼しなくなったからに他ならない。
それでもなお、信仰を捨てぬ一部の聖職者たちに対し、天王族は寛容さを示して天王力を授け続けたが……一般の人間と天王族との距離は、もはや決定的かつ永遠に切り離されたと言っても過言ではなかった。
――それから数年の時が流れた。
幾多の苦難を乗り越えたソフィアとグレイランスは正式に結ばれ、やがて祝福の新しい命を授かった。
かつてのように神聖な「祝福の天使」が降臨することは二度となかったが――その子が産声を上げた日、世界全体が優しく力強い『地王力』の黄金の光で満たされたという。
地王暦、四十五年の事である。
(第五部・完)




