第五部第一話:饗宴の陰謀と、蠢く邪念
第五部第一話:饗宴の陰謀と、蠢く邪念
地王暦四十二年。
雲海すら見下ろす断崖絶壁に佇む、薄暗く不気味な古城。
そこでは昼夜の区別なく、魔王族による狂乱と頽廃の饗宴が繰り広げられていた。重く湿り気を帯びた空気の中に、酒と香油、そして肌の匂いが濃厚に立ち込めている。
大広間の中央に据えられた巨大な天蓋付きのベッドでは、魔王母メルフェレーンが淫らにその身を悶えさせていた。
白磁のような肌を汗で濡らし、数頭の異形の魔獣たちにその豊満な肢体を委ねながら、快楽の吐息を漏らすメルフェレーン。その妖艶な瞳は陶酔に濁り、背徳の快感に全身を震わせていた。
「――メルフェレーン……メルフェレーンよ……」
突如、ベッドの柱に据え付けられた石造りのガーゴイルの口から、地底の底から響くような重々しい男の声が溢れ出た。
「あんッ……何用ぞ……っ! 不粋な真似をしおって……ッ!」
メルフェレーンは熱を帯びた腰を滑らかに上下させながら、恍惚とした表情を崩さず、吐息混じりに苛立ちを露わにした。
「……最近の人間どもは、もはや我らの手に余るほど強大になったのではあるまいか? 今のうちに手立てを加えねば、いずれ我らを脅かす存在になるやもしれん」
ガーゴイルからの不穏な警告に、メルフェレーンは紅い唇を歪めて艶やかに微笑んだ。
「ふふ……では、私の配下を送り込みましょう。人間など、どこまでいっても取るに足らぬ存在だと証明できれば良いのでしょう?」
「……まあ、そうだな。それならば『ブラム王国』を試験場としよう。そこを支配できたならば、その地はメルフェレーン、貴様に差し上げようではないか」
「まあ……それは楽しみねぇ。ふふふ、これでしばらくは退屈せずに済みそうだわ」
メルフェレーンは狂乱の交尾を打ち切ると、乱れた衣を肌に滑らせ、ゆっくりと起き上がった。
その妖しくも圧倒的な威圧感に、先ほどまで群がっていた魔獣たちがひれ伏す。
彼女が細い指先を打ち鳴らすと、陰から異形なる肉体と凄惨な殺気を孕んだ配下の獣人たちがぞろぞろと這い出してきた。
「行きなさい……ブラム王国を征服し、私の足元に捧げるのです」
メルフェレーンが命じた標的――ブラム王国は、世界において「天王界」と呼ばれる高潔なる領域に位置していた。
しかし、その神聖な名とは裏腹に、実態は王宮の極度な堕落と、神職たちの欲望に塗れた腐敗が深刻なまでに進行していた。
民を省みず贅沢に溺れる王侯貴族。信仰を盾に私腹を肥やす神殿の権力者たち。
そのような手合いであれば、精神を狂わせ、地に堕とすことなど容易い。
メルフェレーンは、愚かな人間たちをどのように弄び、苛み、絶望へ叩き落とそうかと想像するだけで、全身の皮膚が甘やかな快感で痺れるようであった。
「フハハハ! さあ行きなさい、私を大いに楽しませるが良い! 人間の心に……深い憎悪と欲望を植え付けてやるのじゃ!」
人間の内に潜む暗い感情を揺さぶり、溢れ出る「邪王力」を増長させてはそれを喰らう――。
自らの欲望を満たす新たなる「餌場」の決定に、メルフェレーンは歓喜の声を上げると、再び怪異な快楽の渦の中へとその身を沈めていった。
天王界と称されてはいたものの、絶対的な存在である天王族と人間たちとの繋がりは、今や極めて希薄なものとなっていた。
天王族と直接関わることができるのは、神殿の奥深くに鎮座する「聖者」や「聖女」と呼ばれる、ごく一握りの選ばれた人間だけである。
一般の民衆は、ただ神殿という巨大な組織を通して、間接的に天王族の恩恵の残滓に与っているに過ぎなかった。
民と神との絆が形骸化したこの土地こそ、魔王族がつけ入る隙、そして影から潜み、のさばるには十分すぎる条件が揃っていた。
しかし――魔王族の侵攻において、王宮や神殿以上に大きな脅威となりつつある存在がいた。
かつてはただの「身元不詳の傭兵」と呼ばれていた泥臭い剣士や術士たち。
地王暦二十六年にアレスレイン(アル)が設立した「傭兵天国」の世界的隆盛を経て、十六年の歳月が流れた今。
いつしか人々は、怪物退治や難事件を解決し、民の盾となって戦う彼らのことを親しみを込めてこう呼ぶようになっていた。
――「冒険者」、と。
腐敗した権力者の裏で、実力と結束を蓄えた彼らこそが、迫り来る魔の手に抗う新たな時代の鍵となろうとしていた。




