第六話 辿り路の音
第六話 辿り路の音
神崎 結衣
悠真お兄ちゃんは、私を守ってくれる。
でもその目は私ではなくて、私に重ねた誰かを見ている気がした。なんだろう、守ってくれる時の背中が、どこか寂しそうで。苦しそうで。
近くにいるのに、遠く感じるの。
「あの女の人たちの、死んだ時の気持ちが、痛みが流れ込んでくるの。辛いよ、悠真お兄ちゃん……」
女の人たちの苦しい思いに包まれた時、記憶まで流れ込んできた。誰にも大切に想ってもらえなかったこと。裏切られた心の傷。そして、突然命を奪われる恐怖。
身体だって痛い。でも、それよりも心が痛い。
経験したことのない酷い苦しみ。
男の人への恨みが、押し寄せるように伝わってきた。
優しくしてくれる人だっていたけど、この人たちはそんな優しささえ信じることが出来なかったんだ。
——お前と同じ歳の頃、私は売られた。禿として奉公に来た私を見て——また一人、苦しい世界に幼子が沈んだのね、と言われて。
女の人が見せる記憶は、私には重すぎて。吐きそうなくらい胸が苦しいのに、吐けない。想いに引きずり込まれそうだった。
「やめてくれッッ!!」
悠真お兄ちゃんの声で、意識を持ち直した。
「俺の不注意で、ご遺体を踏みつけて申し訳ございませんでした。でも結衣は何もしていません。何かするなら、俺にしてください!!」
見せられていた記憶が、灰色になって止まった。
「はぁ……、はぁ」
ぼやける視界の中で、悠真お兄ちゃんの背中が見えた。
私を庇うように前に立ってくれていて、一気に身体の力が抜ける。女の人は——渦巻いていた顔が、ゆっくりと巻き戻っていく。とても綺麗な、寂しそうな顔をした女の人。
悠真お兄ちゃんは女の人の手を握りしめて、何かを話しているように見えた。
女の人の姿が、薄くなって消えていく。
——気のせいじゃなかったはず。
女の人の身体は、悠真お兄ちゃんの身体に溶けるように消えていった。話していた女の人だけじゃない。悠真お兄ちゃんは気付いていなさそうだった。幾重にも伸びた女の人たちの手が絡みつき、そのまま悠真お兄ちゃんの身体へ沈んでいっていることに。
きっと悠真お兄ちゃんは、魅入られた。
あの女の人たちの悲しみを、背負ってしまったんだ。
「ねえ、もう行こ……? 守ってくれて、ありがとう」
悠真お兄ちゃんの手を引く。その手はさっき触れた時とはまるで違う感触だった。冷たくて、ごつごつとしてて。その手で、ぽん、と頭を撫でられた。けれど、その温もりはどこか違っていた。いつ消えてしまったっておかしくない。そんな不安だけが沸き起こる。
今日会ったばかりだから、私には悠真お兄ちゃんがどんな人なのかなんて分からない。落ち着けるタイミングが無かったのもあるけど。
——チリン、チリーン……。
鈴の音を辿る。
道順を覚えるのは、きっと意味がない。辿っている道は、さっき通った方向のはずなのに今は全く風景が違う。草木は枯れて、濁った水が流れてる。
悠真お兄ちゃんはぼうっとした表情のまま、鈴の音に引かれるように歩いていた。その目は、もう鈴しか見ていなかった。
辿り着いたのは鮮やかな森。
テレビで見た紅葉というのか。赤や橙、黄色が入り乱れてる。とても綺麗で、幻想的で——。
森の奥からは、ザワザワと葉が揺れる音に混じって、クスクスと誰かが笑う声が聞こえてくる。その声はあの神社で聞いた、小狐たちの声に似ているかもしれない。
——もうすぐ、あの悠真ってひとは消えちゃうよ。
——でも抗えないよ。だってそういう運命だから。
囁くような声は、確かに聞こえた。
分かってる。悠真お兄ちゃんは、きっともう帰れない。
それでも私はその手を離せなかった。語りかけてくる声は楽しそうで、悠真お兄ちゃんが消えてしまうことを待ち望んでいるみたい。
『お願いだから、連れていかないで』
そう、心の中で念じてみた。
帰ってきた言葉は、とても残酷で——。
——その男は生きることなんて望んでないよ。
ぞくりと、背筋が震えた。
「あれ見て、なんだか不気味……」
私と同じくらいの大きさの、白くてやけに目立つ岩。
それは頭蓋骨のような形をしていて、不気味だった。
変わらず森は私たちを笑うように木々を揺らして、鈴の音は奥へと誘う。もう声は聞こえなくなった。
「悠真お兄ちゃん、村だよ!」
「人の気配がないな……結衣、あんまり声を出さずに慎重に進もう。また何か出てくるかもしれないし」
村には人の姿が全く見えなくて、木造の家屋が立ち並んでいる。村の人たちは一体どこに行ったんだろう。さっきまで誰かがいたみたいに見えるほど、畑は整えられていて農具も置かれたまま。
その風景は、人が暮らしているようで、誰も暮らしていない山奥の集落だった。
「ここで少し休むか。屋根があるだけ一息つける」
悠真お兄ちゃんは一軒のお家に入っていく。
勝手に入っちゃって大丈夫なのかな、と心配になったけど既に悠真お兄ちゃんは畳に座って、落ち着いていた。妙に畳をはたいたりしてたけど、埃なんてないのに。
私も疲れていたから、おずおずと隣に座る。
畳の香りで、少し心が落ち着いた。
「悠真お兄ちゃんは、どうしてここに来たか分かる?」
「俺は——……」
悠真お兄ちゃんは、俯いて黙ってしまった。
聞いちゃダメなこと、聞いちゃったかな。
「私はね、ちょっとずつ記憶が戻ってきたよ。私はきっと、病院にいてなかなか治らない病気だったの。お父さんとお母さんが泣いてて……」
答えを聞くことなく、私は聞いてもらいたくて。
詰まる想いを、口にしてしまった。悠真お兄ちゃんは記憶が戻ってきたという言葉に一瞬ほっとした表情をしたけど、私の話を聞いて心配そうな表情に変わっていく。
「健康な子が羨ましい。生きたかった。ねえ、悠真お兄ちゃん。私たちは……もう死んでいるの?」
「それは……」
私は生きたい。
お父さんやお母さんに会いたい。
「俺にも分からない、けど。きっと助かる方法があるかもしれない。諦めないで進んでみよう」
「そっか……そうだよね。頑張ってみる」
やっぱり優しい人なんだな、と。そう思った。
——外から話し声がする。
まさか村人が帰ってきたのかもしれない、と身を竦めたけど、声の主が中に入ってくる様子はなくて。会話はところどころ、聞き取れる程度。よそ者が、とか女子供が、とかそんな言葉が聞き取れた。
悠真お兄ちゃんはそんな声が聞こえていないみたいで、いつの間にか一冊の本を手に取っている。そこに書かれていた内容は、日記のような、一人の村人の呟きのような。そんな書き殴り。
他の家も調べていこう、って外に出ることになった。
外では村の人たちが数人、普通に談笑しているのが視えた。でもその身体は透けていて、こちらのことも見えていなさそう。
これは、視ちゃいけないやつだ……!
直感がそう警告する。目を逸らして、知らないフリをして悠真お兄ちゃんの後を追いかけた。悠真お兄ちゃんにも視えていない。もしかして、私が見ている世界と悠真お兄ちゃんが見ている世界、違うのかな。
隣の家。また隣の家。と、無遠慮に入っていくその姿を見て、そう思った。村の人たちは相変わらず私たちのことは見ていないけど、日記を読むたびに様子が変わっていく。
日記の内容が、繋がっているような。
糸が切れたみたいに突然倒れる子供。その子供を抱きあげようとして、苦しみ出す女の人。男の人たちが集まり、不安そうに話し合っている。
うちの嫁が倒れた、子供も倒れた。治らない。どうしたらいいか分からない。なにかの祟りなのか。でもそんな話は聞いたことがない——。話し合っていても、何も答えが出ないまま女の人や子供たちは消えていく。
『ねぇ、それあげる』
子供のような声が、頭の中に直接響いた。
「木箱……」
卓袱台の上に、特に飾り気もない小さな小箱が置いてある。何が入っているのだろう。小箱に手を伸ばすと、悠真お兄ちゃんが私の腕を掴んで静止する。
「それに絶対に触るな」
木箱はカタカタと少し震えていて、中に何かが入っているようだった。なぜだかすごく気になるけど、悠真お兄ちゃんの言うことに従う。
悠真お兄ちゃんは拾った日記を読んで、言った。
やっぱり、と。
〇月×日
また村の女子供が死んだ。
これは「呪い」だと村人が騒ぎ始めた。
犯人探しが始まり手がかりを探して、被害者の家の中を村人たちが調べて回る。
あの木箱があった。
村人の一人の男がその木箱を開けると、中身を見て叫び声と共に落としてしまった。バラバラと散らばったもの。
それは、人間の子供の指だった。
指が、ぎっしり詰まっていやがった。
また鈴を鳴らしたけど、鈴は導いてはくれない。
でも、鈴の音に引かれてか村の人たちがこちらに視線を向けた。気のせいなんかじゃないはずだ。村の人たちはこっちに迫ってきて、私たちを素通りして次々と日記へ手を伸ばす。
「悠真お兄ちゃん、日記が!」
吸い込まれていく。村の人たちが。
この日記は、村の人たちの声。
次々に書き込まれていく。
〇月×日
この木箱を渡したのはあの旅人だ、と伝えると村人たちは鎌やクワなどの農業道具を武器代わりに、旅人を捕らえに行った。
旅人は森の中で見つかった。
男たちは旅人を囲み、暴行した。
旅人は身体中を真っ赤に染めて、息絶えた。
呪いは、おさまるのだろうか?
〇月×日
また村の女子供が死んだ。
呪いはまだ、続いているのか。
〇月×日
女子供はみんな倒れた。ほとんど死んじまった。
俺の母ちゃんもだ。村人は男だけになっていく。
気が狂う。狂いそうだ。
助けを求める声がした気がして、振り返ると倒れた女の人と子供が地面を埋めていた。怖い。気分が悪い。一体この地獄は、いつになったら抜け出せるのか。
嗅いだことのない臭い。でも、吐き気を誘う臭い。
「ううっ……!」
「結衣!?」
「女の人や、小さい子の……死体が、たくさん」
目が離せなかった。
悠真お兄ちゃんが声をかけてくれているのは分かってるけど、返事もできない。血を吐いて、身体を掻き毟って、苦しんで、苦しんで。どうしてこの人たちはこんな目に。
悠真お兄ちゃんに強引に連れられて、ひときわ大きな家に入る時、閉じられる扉の隙間からあの人たちがこっちを見ていた。
最後まで、扉を見て。見つめて。
コンコン。
ナニカが、私たちを追ってきた。
この扉の向こうにはきっと、とても危険なものがいる。
悠真お兄ちゃんは先が尖った竹を拾い、構えて——。
木の扉に勢いよく突き刺した。
その瞬間、扉が鏡のようにひび割れて。
ひとつまばたきをすると、木の扉は大きな鏡に置き換わっていた。悠真お兄ちゃんが突き刺したのは——『鏡に写る悠真お兄ちゃん』だった。




