第一話 始まりの音
第一話 始まりの音
朝倉 悠真
目の前で鳴っているはずなのに音が遠くに聞こえる。
カン、カン、カンと鳴る踏切警報機。開かない遮断機の前でただ立ち尽くして、霞のかかったような意識でぼうっと眺めていた。
俺はさっきまで家にいたはずなのに。どうして自分がここに立っているのか分からない。遮断機の向こうに広がる風景も見覚えがなくて、これは夢?
声が出ない。音だけが響く。
電車が近付いてきて、ようやくそちらに視線を向けたけれど、迫ってくる電車はどこか異質で。運転席に誰の姿もなく、窓という窓が赤く斑に染まっている。
「乗りますかぁ〜?」
不意に背後から声をかけられた。
そこにいたのは綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭の少女が一人。顔は、表情は黒く塗りつぶされたようでなぜか認識できない。乗りますか、と聞かれてもここはホームでもなんでもないただの踏切なのに。乗れるはずがないと思った電車が、目の前で停車した。
「ほらほら、早く乗ってくださ〜い」
高さがある電車のドアが開く。
俺の身体は意識を置き去りにするように、動いて。
よじ登る形で車内に乗り込んだ。
——乗り込んで、しまった。これが異常な状況だなんて分かっている。車内には誰もいない。座席に座った瞬間意識がハッキリしてきて、思い出した。
俺は自分の手で、人生を終わらせようとした。
脳裏によぎるのは暗い部屋で。
転がる度数の高い酒の缶とたくさんの錠剤。
バイト先の先輩の呆れたような、見下すような眼差し。
同じ大学の、後輩の嘲笑。
——母親の、怒声。
父親はいない。亡くなってしまったから。
じゃあここは、あの世への電車というところなのだろうか。現世の電車と姿形は同じでも、異質さを纏うその光景。外から見ていた通り、窓は赤くて視線を落とせば床も赤い。ところどころ黒く変色もしていて、むせかえるような鉄の臭いが鼻をついた。
「ご乗車ありがとうございます〜 朝倉 悠真様。空いていますので座席をご利用ください〜」
え、なんで俺の名前——?
「次は〜やみ駅〜 やみ駅〜」
そんな駅名、聞いたこともない。
初めから異常だなんて分かっていたのに。
今になって込み上げてくる恐怖心。名乗ってもいないのに名前を呼ばれて、聞いたこともない駅に向かってる。俺はここにいていいのか?
降りるべきか? いや走行中だぞ。どうやって——。
そもそも降りても、安全なのか?
窓から見える風景に、俺は全く見覚えがない。それどころか、建物も見えなくて一面赤黒い平地が続いている。チラホラと枯れ木が生えているくらいで、例えるなら——そう。
昔、宗教の本の挿絵で見た地獄絵図。
餓鬼が彷徨う世界に、よく似ていた。
「お待たせしました〜やみ駅〜 やみ駅です〜」
葛藤している間に電車は停車し、呆気なく扉が開かれた。今なら降りることもできるだろうが、先程までの降りた方がいいのではないかという迷いは消えた。
停車したホームから、数体の黒い人影が流れるように乗車してきたから。ホームにもアレが何体か見えるので、とても降りようだなんて思えない。
車窓から見えていた景色と同じで建物はひとつもなく、赤い平地が広がっているだけだ。乗り込んできた黒い人影も不気味だが、こんなところで降りたってどうしようもないだろう。
電車は、それからすぐに動き出した。
ガタン、ゴトンと響く音や衣擦れの音、息づかい。それなりに雑音が静寂の中に響いているのに、自分の心臓の音がうるさく感じる。
ああ、俺はどこに連れていかれるのだろう。
「ご乗車ありがとうございます〜、出発します〜」
相変わらず間延びしているというか、軽い口調の車内アナウンスが流れる。そういえばこの声、乗り込む時に見た女の子の声か。顔が見えない女の子に、真っ黒な人影。ここまで一度も普通の人間を見ていない。
やっぱり俺は死んでしまっていて、この電車であの世に送られる途中なのか。
「はぁ……どうしろってんだよ」
そんな俺の耳に、再度車内アナウンスが流れる。
でも、アナウンスの様子がおかしい。急にスピーカーの調子が悪いのか、ノイズ混じりになっていて——。
一瞬、車内が不自然なほど静かになった。
「次は〜 活け造り〜、活け造り〜」
は?
そのアナウンスと同時に一体の黒い人影が、裂けた。
裂けるたびにその内側から赤い肉が覗いていて、黒い人影は刺身のように一定の間隔で切り分けられていった。液体が吹き出して、人影だったモノの足元が赤く染まった。ぐちゃぐちゃと不気味な音を立てて完成していく、……まさに活け造り。
悲鳴はなくて、それが作られていく音だけが響いていた。
盛り付けられてゆく肉塊は、添えられた手足だけがビクン、ビクンと痙攣していて。あっという間に座席の一つにそれは完成した。黒い人影が、赤い肉塊へ。
「ぐぅ……っ!」
込み上げる吐き気。口をぐっと押さえて耐える。
——いや、耐えられない。抑えた口元から胃液が零れた。気持ち悪い。気持ち悪い。なんだあれは。
「次は〜 えぐり出し〜、えぐり出しですぅ〜」
一体、何がアレを起こした?
誰も触れていないのに、どうして。
次の人影が、身体をビクビクと痙攣させた。
そして黒い人影から、目玉がずるりと零れ落ちる。まるで「何かに抉られた」ように。目玉に続いて、次々に身体に赤い穴が穿たれていく。
そこから、臓器が次々と零れていって……俺の視界がぐらりと揺れて。
「——お気をつけて行ってらっしゃいませ〜」
その声を最後に、目の前が暗転して。
俺は意識を失った——。




