#02 戦没者遺品返還部 アルノ・カリエル
「戦没者遺品返還部のアルノです。本陣の責任者までご案内頂きたく」
澱んだ血の匂いとうめき声で満ちる陣営に、一人の男が現れた。
力無く座り込んでいたところに声をかけられた兵士は、男に顔を向けた後、告げられた所属に気付き、少し遅れて姿勢を正した。
慌てて立ち上がろうとする兵士にアルノは手を差し出し「そのままで」と制する。
「えっと……陣のそばに高台があります。そこで戦況確認をしているかと」
兵士が指差す方向をアルノも眺めた。
「わかりました。ありがとうございます」
「いえ……」
兵士に軽く会釈をし、アルノは陣営内を歩き出す。
布で覆われた寝台の間を抜けるたび、苦痛にうめく声が耳に入る。
薬品と血の臭いが湿った風に混ざり、足元の土は幾度も踏み固められて黒ずんでいた。
やがて戦場を見下ろす高台へ辿り着く。
崩れた柵と、その向こうに広がる黒い森。
地平を埋めるように蠢く魔物の群れ。
アルノの進む先、高台に立つ男は、振り返るより先に口を開いた。
「撤退命令ですか」
アルノはその背へ歩み寄り、静かに答える。
「戦没者遺品返還部所属、アルノ・カリエルです」
問いへの答えはそれで十分だった。
責任者の男は目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……そうですか」
その声に驚きは無く、ただ、長く堪えていたものが終わったという諦めだけがあった。
「前線維持に失敗しました。申し訳ありません」
男はなおも戦場を見つめたまま言った。
「ここを抜かれれば、麓の村まで魔物が流れます。住民の避難は……」
「完了しています」
アルノは即答する。
「貴隊の防衛により、周辺住民の後方移送は予定通り終了しました」
責任者はしばらく黙っていた。
やがて、張り詰めていた肩からわずかに力が抜ける。
「……それなら、良かった」
責任者がようやくアルノに振り返る。
アルノは懐から封書を取り出した。
「本日付で当戦線は放棄されます。総員、即時撤退」
「了解しました」
責任者は短く答えた後、苦い顔で視線を落とす。
「動けない者が多い。全員は連れて行けません」
「承知しています」
アルノは淡々と続けた。
「自力撤退不能者に関しては、携行武装より魔力核の回収処理を実施します」
責任者の眉がわずかに動く。
高台の下では、治療も追いつかぬ兵士たちが地面に横たわっていた。
「魔力核を抜けば……あいつらは、魔物が来ても抵抗すらできなくなる」
思わず漏れた言葉に、アルノは否定も肯定もしない。
「魔力核が魔物に鹵獲されることは避けねばなりません」
両の瞳で責任者の目を見据える。
静かな声だった。
「可能な限りの回収を行う必要があります」
責任者は唇を引き結び、やがて小さく頷いた。
彼は心の内で、改めて言う必要のない非道な言葉をアルノに言わせてしまったことを悔いた。
その気持ちはアルノにも伝わっていた。
「じきに他の回収員も到着します。回収作業への協力を」
「……了解しました」
答えた責任者にアルノは一礼し、再び歩みを進める。
アルノが向かうのは、高台の下。
撤退路とは逆の方向だった。
崩壊した前線。
黒煙の向こうに、折れた槍と、倒れた兵士たちが散らばっている。
責任者はその背へ声を投げる。
「……あなたも大変な仕事ですね」
アルノは足を止めずに答えた。
「お互い様です」
腰や背といった体のあちこちに括り付けられた袋を確かめ、アルノは崩壊した戦場へ一人駆けていった。
死者の残したものを拾うために。
◾️
崩れた胸当ての隙間から、黒い血がゆっくりと垂れていった。
意識は今にも仄暗い底に沈もうとしていて、顔を汚す血は既に乾き始めている。
拭おうにも、腕に力が入らなかった。
空が見える。
遠くでまだ怒号が響いている。
金属のぶつかる音も、魔物の唸り声も聞こえる。
けれどそれらはもう、自分とは関係の無い出来事だった。
男が浅く息を吸うと、肺の奥で、ひゅう、と嫌な音が鳴った。
ああ、これは駄目だと、ぼんやりと理解する。
視界の端で何かが揺れた。
少しだけ顔を傾けると、誰かが近付いてくるのが見えた。
黒い外套に身を包み、膨らんだ袋を全身に幾つも括り付けた男だった。
男は倒れた兵士たちの間を縫うように歩き、時に跪きながら、やがてこちらへ辿り着いた。
外套に付着した、魔物の血の匂いが鼻をついた。
男は仰向けに倒れる兵士がまだ息をしていることに気付いたようだ。
「戦没者遺品返還部のアルノです」
膝をついて静かに語りかける。
「魔力核と個人識別票の回収に来ました」
兵士は薄く笑った。
「……そうかい」
自分でも驚くほど穏やかな声だった。
「もう俺は、助からないのか?」
「はい」
その言葉は、一切の躊躇いもなく。
それを好ましいと兵士は感じた。
「そうか、ああ、悪い。聞くまでもなかったな」
兵士は乾いた息を漏らす。
アルノは淡々と説明を続けた。
「回収した遺留品は、事前登録された遺族、あるいは所属地域管理局へ返還されます」
「……ご丁寧にどうも」
兵士は霞む視界の中で空を見た。
「母ちゃん、泣くかな」
アルノは答えず、代わりに、慣れた手つきで兵士の装備へ触れる。
胸部装甲の留め具を外し、内部に埋め込まれた魔力核を取り出した。
淡く青白い光が、アルノの掌を照らす。
続いて首元へ手を伸ばし、血に濡れた個人識別票を外す。
金属板が小さく鳴った。
「……それ、無くすなよ」
「責任を持って返還します」
「頼むぜ」
兵士はゆっくりと目を閉じかける。
だが不意に思い出したように口を開いた。
「……ああ、そう、だ」
ぐ、と残った力を振り絞る。
かすれた指先が、崩れた防柵のさらに先を指した。
「向こうの……岩場の近く……。第三小隊が残ってる」
「生存者ですか」
「いや……多分、もう駄目だ」
兵士は小さく笑った。
「大勢死んだよ」
瞳の焦点が揺れている。
「意味は、あったのかな。俺の人生に」
口元の血が乾き、うまく口を開くことができない。
「国を守るために戦い抜くって言われてもさ……」
兵士は空を見たまま呟く。
「結局、俺たちは数字の一つでしかない」
アルノはしばらく黙っていた。
少しして、静かに口を開く。
「あなた達を人間として帰すのが僕の仕事です」
兵士は薄く目を開けた。
遠くなりつつある耳が捉えたその声には、慰めも熱も無かった。
けれども、最期に聞く言葉としては悪くはないもののように思えた。
「……そうかい」
兵士は小さく息を漏らす。
これ以上言葉を発することはできそうにない。
それを察したのか、アルノは立ち上がった。
「情報提供感謝します」
そう言い残し、再び駆け出す。
アルノが兵士を振り返ることはなかった。
遠くなる気配を感じながら、兵士はぼんやりと思う。
木造の家、歪んだ扉。
音が遠ざかる。
冷えた風だけが頬を撫で、兵士の意識は静かに途切れた。
◾️
数日後。
石造りの建物の奥、薄暗い窓口で、アルノは回収品の受領確認書へ署名していた。
机上に整然と並べられているのは、既に内部魔力の抽出処理を終えた魔力核容器と、個人識別票。
「抽出完了分、確認をお願いします」
窓口の女性職員が帳簿を差し出すと、アルノは内容へ一通り目を通し、小さく頷いた。
女性は机上の識別票の束へ視線を落とし、苦笑混じりに言う。
「すごい数ですね。今回も」
アルノは答えない。
女性は慣れた様子で続ける。
「一人でこれだけ持ち帰ってくるのは、貴方くらいですよ」
「できることをやっているだけです」
「……遺族返還まで、全てご自身で?」
「はい」
「大変でしょう」
「それが仕事ですから」
淡々とした声に女性は少しだけ視線を伏せる。
労う言葉を探したようだったが、結局何も言わなかった。
◾️
雨が降っていた。
アルノは石畳の街路を歩き、一軒の家の前で立ち止まる。
扉を叩くと、しばらくして中から女が現れた。
「戦没者遺品返還部のアルノです」
その言葉を聞いた瞬間、女の表情が崩れる。
アルノは静かに遺品箱を差し出した。
泣き崩れる者もいた。
怒声を浴びせる者もいた。
「息子を返せ」と叫ぶ男もいた。
アルノは何も言い返さなかった。
ただ返還を行い、記録を残し、次の家へ向かった。
歪んだ扉の、木造の家。
アルノは静かに扉を叩いた。
やがて、小柄な老女が姿を現す。
「……はい」
「戦没者遺品返還部のアルノです」
老女はその言葉を聞き、静かに目を伏せた。
取り乱しはしなかったが、少しだけ肩を落とした。
アルノは箱を差し出す。
「ご子息の遺留品です」
老女は箱を受け取り、しばらくそれを抱き締めた後、小さく言った。
「……ありがとうございます」
雨音が静かに響いていた。
やがて老女は、箱を抱いたまま顔を上げる。
「息子の最期は……わかりますか」
「ご子息の周囲には多数の魔物の死骸が確認されました」
淡々とした口調だった。
「第三小隊所属の者たちと共に、戦場の中腹付近で交戦していたものと思われます」
老女は黙って聞いている。
「レオン・ヴァイス、セルジュ・ラーダ、ノエル・ハイン、エミール・カルヴァ。
現場の状況から、彼らとともに最後まで戦線維持を行っていたと判断できます」
沈黙の後、老女は静かに尋ねた。
「……本当に?」
「ええ」
アルノは答える。
「私がそれを見つけました」
老女はアルノをじっと見つめる。
「あなたは……それを覚えているの?」
「私が回収した方については」
老女は目を伏せ、「そう」と言って小さく笑う。
「……私の息子のことは、私が覚えておくわ。この箱と一緒に」
アルノは黙っていた。
「だからね、もうあなたが抱えずともよいの」
雨音が続く。
アルノは何も答えなかった。
老女はそんな彼を見つめ、小さくため息を吐いた。
「頑固な人なのね」
それから少しだけ表情を和らげる。
「……でも、ありがとうございます」
アルノは静かに一礼した。
そして再び雨の中へ歩き出す。
袋の中には、まだ返還を待つ識別票が多く残っていた。




