天才小説家の妻が、親友の結婚式で泣いた理由
お久しぶりです。
皐月と一馬の結婚式回です
今、僕の心臓はいつもより早く脈打っていた。
一馬の結婚式のスピーチを任されたのだ。
皐月さんへのスピーチを任されたのは、もちろん澪さん。
文章のエキスパートである彼女なら、原稿については何の問題もないだろう。
実際、昨日見せてもらった原稿は完璧だった。
句読点の位置から言葉の選び方まで、一分の隙もない。
……ただ。
僕の隣に立っている澪さんの手は、少し震えていた。
「たくさんの人に注目されることなんて滅多にないから……影武者、今から呼べないかな?」
「無理だよ」
「ですよね……」
澪さんは深いため息をついた。
普段の彼女からは想像できないほど弱気だ。
僕は不謹慎ながら、少しだけ安心していた。
無敵と思っていた妻にも、弱点がある。
そう思うと、妙に嬉しかった。
「大丈夫だよ、澪さん」
「……本当に?」
「うん。僕が見てるから」
「……それ、余計に緊張するんだけど」
「なんで!?」
澪さんが小さく笑った。
その笑顔を見て、僕も少し緊張がほぐれた。
そして、いよいよ結婚式が始まった。
新郎の一馬。
新婦の皐月さん。
二人とも、いつもとは別人のように綺麗だった。
特に皐月さんは、普段の豪快な雰囲気が嘘のようだ。
純白のドレスを身にまとい、幸せそうに笑っている。
その隣で、一馬も少し照れくさそうに笑っていた。
二人を見ていると、こちらまで嬉しくなる。
披露宴も進み、食事や歓談を楽しんでいると、いよいよ余興の時間になった。
司会者がマイクを握る。
「それでは、ここで新婦・皐月さんのご友人による余興です!」
会場から拍手が起こる。
僕は何が始まるのかと思ってステージを見た。
そして――。
「……え?」
僕は目を疑った。
ステージに現れたのは、特攻服姿の男女だった。
しかも全員、やたらと気合が入っている。
背中には大きく文字が刺繍されている。
その中央には、
『皐月命』
と書かれていた。
「……何これ?」
思わず声が漏れる。
隣を見ると、澪さんも固まっていた。
「皐月ちゃんの……舎弟?」
「男女混合なんだ……」
そしてステージ中央に立った一人が叫ぶ。
「姉御!ご結婚おめでとうございます!」
「おめでとうございまーす!」
次の瞬間。
太鼓の音が鳴り響いた。
「ソーラン! ソーラン!」
「!?」
まさかのソーラン節だった。
特攻服姿の男女が一斉に踊り始める。
しかも、ものすごく上手い。
腰を落とし、腕を振り、掛け声を上げる。
「どっこいしょー! どっこいしょ!」
「ソーラン! ソーラン!」
会場が熱狂に包まれた。
こんな熱い結婚式会場はここにしかないだろう。
そして――。
僕はふと、新婦側の席を見た。
「……え?」
皐月さんのお父さんが立っていた。
袴の上に特攻服を着ている。
「お父さん!?」
皐月さんが叫ぶ。
お父さんは感極まった表情で、涙を流していた。
「皐月ぃぃぃ……!」
「なんでお父さんまで!?」
「お前が……こんな立派な嫁になって……!」
「いや、嫁になったのは今日だけど!?」
会場は笑いに包まれる。
すると今度は、一馬のお父さんが立ち上がった。
「ええ余興やないかー!」
「父さん!?」
「最高や! 大阪でもこんなん見たことないで!」
隣のお母さんも大きく頷く。
「ほんまや! ええ友達持ったなぁ、皐月ちゃん!」
「ありがとうございます!」
なぜか舎弟たちが一斉に頭を下げる。
皐月さんは顔を真っ赤にしていた。
「……お願いだから、もうやめて……」
そんな皐月さんを見て、僕は思った。
この人は、本当にたくさんの人に愛されている。
豪快で。
乱暴で。
それでも、周りにはこんなにもたくさんの人がいる。
きっとそれは、皐月さん自身が誰かを大切にしてきたからだ。
やがて余興が終わり、会場は大きな拍手に包まれた。
そして――。
司会者が次の名前を告げる。
「それでは続きまして、新婦・皐月さんのご友人、澪さんよりスピーチをいただきます」
会場が静かになった。
澪さんが立ち上がる。
僕はその姿を見つめた。
さっきまで震えていた手。
それでも澪さんは、ゆっくりとマイクの前へ歩いていく。
一度、深呼吸をつく。
「……皆さん、こんにちは」
声は少し震えていた。
けれど、逃げなかった。
「私は……極度の人見知りです」
会場から小さな笑いが起こる。
澪さんも少しだけ笑った。
「今も、こうしてたくさんの人に見られていると、とても緊張しています」
皐月さんが優しく澪さんを見る。
「ですが……今日は、どうしても自分の言葉で伝えたいことがありました」
澪さんは、一度目を閉じた。
「皐月ちゃんに」
その瞬間。
皐月さんの表情が変わった。
「私は学生時代、人に心を開くことができませんでした」
会場が静まり返る。
「いつも本を読んでいました」
澪さんが少し笑う。
「休み時間も。
昼休みも。
放課後も。
私は、本の中にいることが好きでした」
僕は黙って聞いていた。
澪さんにとって、本はいつだって居場所だった。
「そのせいか、周りからはよく言われていました」
澪さんは少しだけ俯く。
「何を考えているのかわからない人。
本ばかり読んでいる変な人。
話しかけても、何を考えているのかわからない人」
会場には、誰も笑う人はいなかった。
「ある日のことでした」
澪さんの声が少しだけ小さくなる。
「私は教室の前で、女子たちが私の読んでいた本を覗き込んでいるところを見ました」
――。
『何これ?』
『難しすぎて全然わかんない』
『よくわかんないよね。柳沢さんって』
その言葉を聞いて。
私は教室に入れなくなりました。
自分でも、そうだと思っていたからです。
私は人と違う。
何を考えているのかわからない。
きっと誰にも理解されない。
そう思っていました。
そのとき――。
「そりゃ本人と直接かかわってないんだから、当たり前だろ?」
声がした。
皐月ちゃんでした。
『え?』
『話したこともないのに、わかるわけないじゃん』
『……』
『わかんないなら、本人に聞けばいいだろ』
私は、廊下でその言葉を聞いていました。
教室には入れませんでした。
でも――。
その言葉だけは、私の心に残りました。
澪さんが皐月さんを見る。
皐月さんは、何も言わずに澪さんを見返している。
「私は……そのとき初めて思いました」
澪さんが微笑む。
「自分のほうから、人に歩み寄ってみてもいいのかもしれない、と」
会場は静かだった。
「そして、しばらくしてから……私は皐月ちゃんと話すようになりました」
皐月さんが少し照れくさそうに笑う。
「きっかけは……深夜徘徊でした」
「そこ言う!?」
皐月さんが思わず声を上げる。
会場が笑った。
「小説のネタを探すために、夜中に街を歩いていたら……皐月ちゃんに会いました」
「そこで皐月ちゃんが声をかけてくれました」
『こんな時間に何してんの?』
『小説のネタを探しています』
『……小説書いてんの?』
『はい』
『そっか。…てか、女の子がこんな時間歩くのは本当危ないから送ってく!』
「と、皐月ちゃんは私を安全に送り届けてくれました」
澪さんが微笑み、会場を見渡した。
「私は本の中の世界が大好きでした」
そして、皐月さんを見る。
「でも……皐月ちゃんと出会ってから、現実の世界も少しずつ楽しくなりました」
皐月さんの目が潤んでいく。
「私は、皐月ちゃんという素晴らしい友達ができて……本の中だけでなく、現実の世界も楽しいです」
澪さんの声が震える。
それでも、最後まで言葉を止めなかった。
「皐月ちゃんには……本当に幸せになってほしい」
一度、涙を拭う。
「私の、大切な友達だからです」
会場から、大きな拍手が起こった。
僕も拍手をしながら、皐月さんを見た。
皐月さんは――。
泣いていた。
いつも豪快で。
誰よりも強くて。
誰かが困っていたら真っ先に飛び込んでいくような人。
そんな皐月さんが、子供のように涙を流していた。
澪さんが席へ戻ろうとする。
そのとき。
一馬がぽつりと言った。
「な、なんか……澪ちゃんのほうが皐月のこと大好きみたい」
会場から笑いが起こる。
皐月さんは涙を拭いながら、笑った。
そして。
澪さんに向かって言った。
「……私のセリフだよ、澪」
澪さんが立ち止まる。
皐月さんは泣きながら笑っていた。
「私のほうが……澪のこと、大好きだから」
澪さんの目からも涙がこぼれた。
二人はしばらく見つめ合った。
やがて澪さんが、小さく笑う。
「……知っています」
「なんだよ、それ」
「だって、皐月ちゃんですから」
二人は笑った。
会場には、もう一度大きな拍手が響いた。
僕はその光景を見ながら思った。
結婚式は、二人が夫婦になる日だ。
でも今日ここにいるのは、二人だけじゃない。
皐月さんがこれまで出会ってきた人。
一馬がこれまで支えてもらった人。
そして――。
互いの人生を、少しずつ変えてきた人たち。
そんな人たちが集まって、二人の新しい人生を祝福している。
隣では澪さんが、まだ泣いていた。
「澪さん」
「……何?」
「いいスピーチだったね」
「……そう?」
「うん」
「……原稿、十回以上書き直したから」
「やっぱりそこは小説家なんだね」
「当然!」
そう言って澪さんは、少し誇らしげに笑った。
僕も笑う。
そしてもう一度、皐月さんと一馬を見る。
二人は幸せそうに笑っていた。
今日という日が、二人にとって最高の一日になりますように。
そして――。
これから先も、こんなふうに。
たくさんの人に愛されながら、二人で幸せになってほしい。
僕は心から、そう願った。




