王都編24話 閉まる扉の向こう側へ
私──ロキト・プロヴェニアの雇い主であるジャン・フェニコールが亡くなったのを皮切りに、次々と悪いことばかりが起きている。
事態は最悪と言ってよい。
復権派貴族の結束は、もはや崩壊寸前。
風の中の蠟燭に火を灯すが如く、消えるのは必至、といったところか。
強力なリーダーがいなくなったことで、復権派の貴族たちは誰が次期リーダーになるのかを見極めるべく奔走し、買収、賄賂、謀略が蔓延する状態となっている。
もはや、クローラを派閥の長として担ぎ上げようとする者はいなくなっていた。
クローラは全派閥の解体を謳っているから、旧来の派閥構成員たちにはすこぶる受けが悪いのだ。
当主たちの息子・娘世代にはクローラへの賛同者が多く挙がるが、彼らは家の方針を決める立場にはない。
ジャン・フェニコールの死は早すぎたのだ。
結局、クローラの味方になりそうな者達は、力ある者に巻かれる他ない。
孤立無援の大ピンチである。
加えて最悪は続く。
ここに来て我が恋人カンナが殺されかけた。
一人で喫茶店へ入ったところを帝国派に狙われたのだ。
目撃者によると、カンナは青い髪をした二人組に囲まれるようにして食事をしていたらしい。
しばらくすると突然カンナが倒れ、青髪の二人組は足早に立ち去ったのだという。
おそらくだがカンナに接触した二人というのは、カンナが先王墓美術館で遭遇したというスルガとシアノだろう。
彼らはカンナに再度接触を図り、おそらく食べ物に毒を仕込んでカンナを加害した。
毒の摂取量が少なすぎて検出できていないらしいが、毒魔法をこっそり使ったのだろうと推測できる。
幸い命に別状はないようで、医者の見立てでは、麻痺毒によって呼吸困難になったのではないかとのことだ。
これがジャン様にも使われたような出血毒であれば、もっと重篤な状態になっていたかもしれない。
カンナが倒れたという知らせを受けた時、私はクローラとイブと共に王都西区のホテルに滞在していた。
フェニコールの屋敷を離れて宿泊先を転々としながら再起のための策を練っている最中であった。
カンナが意識不明との一報を受けたとき、私達に動揺が走った。
半ばパニックになりかけた私だったが、その場で最も冷静であったのはクローラである。
彼女は言った。
「私は大丈夫ですから、カンナちゃんのところへ行ってあげなさい」
「しかし、クローラ様をお守りせねば──」
するとクローラは笑顔で首を横に振る。
「大丈夫ですわ。私には、イブがいますもの。貴方は恋人の側にいるべきです。行きなさい、ロキ」
私も、できるならばカンナのところへ駆けつけたいという気持ちはある。
しかしクローラを守るという責務が私を足止めしているのだ。
「行っても……良いのでしょうか」
「ええ。ぜひ行ってあげて」
ところがイブはこれに反対した。
「私は反対です、クローラ様。今は護衛を一人減らすことによるリスクが大きすぎます。カンナ・ノイドのことは心配ですが、しかしロキは行くべきじゃない」
イブの言うことはもっともだ。
カンナが倒れたことにより、我々の陣営の誰もが暗殺の瀬戸際にいることを思い知らされた。
確かに離れるべきではないのだろう。しかし。
「イブ、やはり私はカンナが心配だ。ひょっとすると病院で昏睡状態になっているカンナを再び襲ってくるかもしれない。誰かが守ってやらねば」
「し、しかし、優先順位というものが──」
「イブ」
クローラはイブの唇に人差し指をあてて、言葉を制した。
力強い眼光でイブを見つめるクローラ。
少しだけ、瞳の奥底に動揺や恐れが垣間見えるものの、それでも覚悟を決めたような眼差しで我々に目線を送りつつ、彼女は言った。
「ロキを行かせてあげましょう。そして、カンナちゃんの身柄を安全なところへ移す手配をしてもらうの。それが片付いたら私たちのところに帰ってくる。これでどうかしら」
確かに、誰もが出入りできる病院はもはや安全な場所ではない。
いつまた帝国派に狙われるとも限らないから、いずれは別の場所に移送し、警護体制を構築する必要がある。
早め早めで動いておくに越したことはないだろう。
後手が続けば続くほど、我々の敗北が濃厚になる。
即断即決が運命を左右するかもしれない。
こうして遂にイブが折れた。
「……分かりました、クローラ様。しかし、安全な場所というのは何処でしょう。我々ですら宿を転々としている状態だというのに、カンナ・ノイドの身柄を守れる場所など有りましょうか」
「私に考えがあります。それは──」
クローラはおもむろに口を開くと、現状において最も安全と考えられる場所を提示した。
確かに、その場所ならばカンナを確かに保護してくれることは間違いなかった。
が、同時にそこは我々復権派にとっても近寄りがたい場所であった。
クローラが示した安全地帯というのは、国王派貴族ストレプト家の屋敷のことだったからだ。
「確かにそこならば安心です。しかし、彼らと我々が足並みを揃えるのは難しいのではないですか。我々とて、彼ら国王派にとっては敵勢力なのですから」
「いいや。大丈夫だ、イブ。私が、なんとかしよう」
「……ロキ、なんとかすると言ったって、一体どうするつもりなのだ」
「簡単な話だ。平伏してでも頼み込む。それだけだ」
私は決断した。
ここからしばらくは真っ向勝負で行く、と。
小細工など必要ない。
ただカンナの保護を、心より願い出るだけだ。
それに、ストレプト家に願いたいことがもう一つ。
「私はまずストレプト家に行って、カンナの保護を依頼するつもりだ。カンナはマイシィの親友でもあるから、正直ここまではすんなりと受け入れてもらえると思う。──だが、それだけでは駄目だ。クローラ様、私はストレプト家にクローラ様の身柄も守っていただけるよう交渉するつもりですが、いかがでしょう」
「馬鹿な──、国王派筆頭格のストレプトが、クローラ様を匿うなど」
「イブ。貴女の考えもわかりますが、結局交渉事というのはやってみなければ分かりませんもの。ロキ、貴方の思うようにしなさい」
「はっ」
そうと決まれば全力で成し遂げるまで。
私は早速、ストレプト家に向かうことにした。
ストレプト家までは私の足でならほんの十分足らずで到着できる。
通りは人混みのため衝突の危険があるから、私は屋根の上を走り抜けることを選択する。
私は電気の力で増幅させた筋力を存分に発揮して、宿の屋上へと跳躍した。
風魔法でふわりと着地するや否や、再び地面を蹴って次の建物の上まで一気に跳び上がる。
そうして、文字通り風のように走った。
風を切って駆けた。
風を穿って突き進んだ。
「──ふっ」
ストレプト家の家の前に着地し、呼吸を一回。
落ち着く間も無く門番に声をかけた。
「火急の要件につき至急キナーゼ様に取り次ぎ願いたい。ロキト・プロヴェニアがカンナ・ノイドの件で話があると」
すると予期せぬ返答が私を待っていた。
門番の初老の男性──後々話を聞けば、使用人の中でも上役であるらしかった──は真剣な眼差しながらも、少し口角を上げ、主人に確認することもなく私に門を潜らせた。
「お待ちしておりました、ロキト・プロヴェニア様。どうぞ、皆様お揃いです」
「……? 皆、とは……?」
使用人の後について屋敷の中を進む。
私のはやる気持ちを察したのか、少し早足で歩いてくれた。
二階へ上がり、最初の扉を開けると、なんとそこには眠っているカンナの姿があった。
医者を一人と看護師を二人伴って、つい今しがた病院から搬送してきたようだった。
私が頼むまでもなく、ストレプトはカンナ保護に動いていたのだ。
部屋の中には、なるほど、フェニコールの屋敷に来ていた面子がほとんど揃っている。
さらにストレプト家当主のキナーゼ、次期当主と目されるリジン、キナーゼ夫人であるカーパスまでもがこの決して広くはない部屋に集まっていたのだ。
確かに“皆様お揃い”、である。
「ロキ先輩!」
マイシィが駆け寄ってくる。
彼女は目に涙を浮かべながら、私にしがみついてきた。
後先考えずに飛び込んでくるマイシィの体を、柔らかく受け止める。
「カンナちゃんが、カンナちゃんが!」
「ああ、わかっているよマイシィ。大丈夫、大丈夫だ」
私はマイシィの頭を軽く撫でた。
ご両親の手前、恋人でもない男が娘の頭を撫でるなど気恥ずかしいことこの上ないのだが、私の恥で少しでもマイシィの気が和らぐのならば、それで良い。
私はマイシィを抱き止めた姿勢のまま、ご当主に挨拶をした。
「キナーゼ殿、急な来訪で申し訳ない」
「いやいやロキト殿もよく来て下さった。貴殿にとっては敵陣にも等しいでしょうに」
とんでもないことだ。
今や私の中では国王派は敵ではない。
むしろ共通の敵を持つに至り、協力関係を結ぶ必要すら感じている。
「それにしても、考えることは同じですなぁ」
「ええ、カンナの身柄をいち早く確保することは、敵の狙いを削ぐのに有効のはず」
今回、特にスルガ・ニクスオットはカンナに執着しているように思う。
カンナを本気で殺害する気ならば、もっと強力な毒を用いても良かったはず。
つまり、彼の目的はカンナを無力化することにあり、活かしておいたのは今後利用価値があると考えているからに違いない。
だとすれば、のちの事を考え、身柄を保護しておいた方が良いに決まっている。
「それで、キナーゼ殿。実は頼みたいことがあります」
「……クローラ殿の事でしょう」
「ご推察の通りです」
キナーゼは「がはは」と笑い、会話に一拍だけ休符を作り出した後、すぐに言葉を続けた。
「儂の友人にアセット・アミノフという魔闘士がいる。彼にクローラ殿の護衛を頼もうと思っているのだが、いかがかな」
「魔闘士の方が守っていただけるのであれば、今よりも格段に安心できる。ぜひお願いしたい」
魔闘士とは、国という枠組みに捉われずに活動する、魔法士の中でも特に戦闘面での力量に優れる者たちの称号だ。
彼らの仕事は何でも屋に近いが、魔闘士の資格条件がかなり厳しいので、その肩書きを持っているだけで信用度は何倍にも跳ね上がる。
信用されているからこそ、国を超えての活動が認可されているわけだ。
キナーゼは、ひょっとするとこうなることを見越していたのかもしれない。
カンナが倒れてからの動きにしては早すぎるのだ。
しかしその迅速さに私も救われている。
なれば、私も速やかに行動を開始せねばなるまい。
愚図愚図と立ち止まっている暇は、最早存在しない。
「この話、早速帰ってクローラ様に伝えてみます」
私はキナーゼに一礼すると、部屋の扉へと向かって歩いた。
「おいおい、ちょっと待て。もう行くのか」
「ええ、キナーゼ殿のご厚意を、いち早く届けたいのですよ」
「しかし、カンナ・ノイドは君の恋人、実質の婚約者だろう? もう少し側にいてやったらどうだ」
私はカンナの寝顔を、遠目から眺める。
毒が少ないからだろうか、彼女はすやすやと眠っているだけのように見える。
異世界からやってきた、異常な存在。
そんな面影は一切なく、ただ一人の少女としてベッドの中で寝息を立てている。
「私が今動かなければ、彼女と二度と会えなくなってしまうかもしれません。ですから、私は自分の思う最適解を進むのみです。では、失礼」
私はキナーゼ達に背を向けて部屋を出た。
扉の閉まる音がする。
ほんの少し、振り返って。
私は、愛する女の顔をこの目に焼き付けた。




