↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/178

王都編23話 時の海に揺蕩う小舟

 気がつくと、私は貨物船のデッキにいた。


 積み荷の大半は大きな金属の箱。

 それぞれにタグが取り付けられており、行き先を見ればオーストラリア西部の街の名前がほとんどである。


 詳しい行き先は、読み取れない。

 アルファベットが読めないのではない。

 文字の認識ができないのだ。

 さっきだって、よくわからない記号の羅列を見てなんとなくオーストラリアを想起しただけだ。


 ここは、夢の中だ。

 夢だから、自分の記憶にある以上のことは何もわからないんだ。


 私は自分の体を見た。


 私は私だ。

 十七歳の、女の体だ。


 何故だかイブに借りていた黒いチュニックと白のボトムス姿である。


 どうやら私は既に奏夜(そうや)ではなくカンナを自分の魂の形として認識しているらしい。

 そうでもなければ、こんな前(・)世(・)の(・)記(・)憶(・)の(・)中(・)に今の姿でいる理由がわからない。


「ねえ、奏夜さま……私は一体どうなるのですか!」


 不意に、女から呼びかけられた。

 コンテナの下に転がるようにして、手足を縛られた女が五人、こちらを見つめている。

 こいつらは、誰だっけか。


「奏夜さま! どうか、助けてください……私何でもしますから! 命だけは、助けてよぉ!」

「奏夜くん! 私も、私も何でもするから許してぇええ」


 はて。この女たちはどうしてこんなにも懸命に命乞いなどするのだろう。


 私はバスジャック事件までは誰も殺してはいないはず。

 これは、いつの記憶だ?


「み、美園(みその)さんのことは謝る、あやまるから! お願い……おねがいよぉ」


 あ、そうだ。

 こいつら、俺の美園を傷つけたんだった。

 それで、どうするんだっけな。


『ヘイ、ソーヤ。そろそろ報酬が欲しいんだが、いいか』


 一人の外国人が俺に声をかけてくる。

 浅黒い肌に、ゴツい体つき。

 彫りが深い顔に醜悪な笑みを貼り付けている。


 そいつを中心にして、船員が十数名、集まっていた。

 思い出してきた。

 彼らのほとんどがメキシコ系のアメリカ人だったはず。


「ヒイッ、た、たすけ──」


 彼らの姿を見て、女が悲鳴を上げる。

 残念ながらその声は船員の手によって口を塞がれ、俺のところまでは届かない。


『なあソーヤ。こいつら全員ヤッて良いんだよな? 俺らマジでとことん犯しちまうぜ?』

『日本の学生だってよ、ヒュー、ソソるねぇ!』


 俺はニッコリと微笑(ほほえ)んだ。


『ああ、好きにしていいぜ。穴という穴をほじくり返してやってくれ』


 俺の一言で、船員たちが沸き立つ。

その時点で下半身を怒張させてるやつまでいる。

 本当に血気盛んなバカどもだ。


「い、いやあああ!!」

「やめ゛ッ……あああぁぁ! いだ、いだいいぃい、そこは違──お゛ッお゛ッ」


 船内に響き渡る汚い喘(あえ)ぎは、三日もすると次第に嬌声(きょうせい)へと変わっていった。

 彼女らは男たちの欲望を全身に浴びて、すっかり自我のない人形と化していた。


 そして一週間が過ぎた頃。


 彼女たちは僅(わず)かな水と食糧、防寒具を渡されて救命ボートに乗せられた。

 ここは太平洋のど真ん中。

 運が良ければ東南アジアのどこかには流れ着くだろう。


「そうや、さま……」


 虚(うつ)ろな目をした女が、俺の名前を微(かす)かに呟(つぶや)いた。

 既に薬漬けで、人間の思考力など残っていないだろうに。

 それでも俺の名前を呼ぶのか。哀れだな。


 俺は彼女たちからは目を逸らし、空を見上げた。

 いい天気だ。実に清々しい気持ちだ。

 おろしたてのパンツを履いた朝のような、そんな気持ちだ。


「カンナ」


 ふと、私を呼ぶ声がした。


 その声に、私は急に我に返って救命ボートを見た。


「カンナ……どう、して……」


 ボートの上にいたのは、アロエだった。

 リリカがいて、イブがいて、クローラがいて、マイシィがいた。


 全員がボロボロに乱れた服を着て、顔に暴行の跡があって、虚ろな瞳で私を恨めしそうに見ている。


「うそ、だろ……アロエ! マイシィ! どうしてこんな──」

「君の、せいだよ」


 私は声のした方へ目を向ける。

 先刻まで船員たちがいたはずの場所に、眼帯をした女が立っていた。


 彼女の後ろにぞろぞろと続くのは、血に塗(まみ)れた高校生くらいの少年と少女。

 さらに、彼らの背後にも多くの人が列をなしており、そのどれもがどこかで見たことのある顔ばかりだった。

 その中には先ほどまでボートに乗っていたはずの少女たちも混ざっている。


 彼らは私が利用し、あるいは命を奪った者たちだ。


「美園」


 私が名前を呼ぶと、眼帯の彼女は悲しそうな表情を浮かべた。

 調教し、洗脳しつくしたはずのあの夏の日に、最期に彼女が見せた表情もこんな感じだったっけ。


「奏夜、ここにいるのは君が奪った命。君によって運命を歪められた人たちだよ。今の君は、カンナ・ノイドとしての君は、私たちを前にしてどう思うのかな」


 私は、今の私は……。


「私は、君たちに“ありがとう”と言うよ」

「ありが……とう……? ごめんなさいじゃなくて……?」


 私は頷(うなず)く。


 その瞬間、世界は主要な人物だけを残してホワイトアウトする。

 真っ白な靄(もや)に包まれて、私と美園、救命ボートの五人だけが世界に取り残される。


「あの救命ボートに乗っているのは、君の大切な人たちだね」

「ああ、そうだとも」


 リリカは、う~ん、ギリギリって所だけどな。


「君があの日、私の拉致事件に関与した先輩たちにしたことを、彼女達にもすると言ったら、君はどう思うかな」


 そんなもの──嫌に決まっている。

 そんなことをしでかす奴がいるならば、問答無用でそいつは私の敵だ。


「先輩たちにもさ、大切に思ってくれる人がいたんだよ。君が彼女たちに抱いている気持ちと、同じような想いを持っていた人が。君は、そんな人たちの敵になった。今の君ならわかるだろう、大切なものを失うことのつらさが。痛みが。──それでもなお、君は私達に“ありがとう”と言うのかな」


 美園は淡々と用意された台詞を読み上げた。

 まるでたった一人の観客のために役を演じている舞台俳優のようだ。

 かつての彼女のような発話障碍(しょうがい)、吃音(きつおん)が出ていないから、余計にそう感じるのだろう。


「ああ、もちろんだ。私が謝ったところで亡くなった者は帰ってこないのだから、今のカンナ・ノイドを作り上げた礎として、ちゃんと感謝することが彼らへの償いじゃないか」


 美園は、今まで見たことが無いくらいに顔をしかめて憤っている。

 泥棒を威嚇する番犬が如く、牙をむき出しにして今にも飛び掛かってきそうなイメージ。


 ここが夢の中だとすると、目の前の美園も私が心の中で作り出した映像と言うことになるが、私は美園にここまで怒って欲しいのだろうか。


 いや、私は美園に笑っていてほしい。

 それなのに、どうしてこうも怒らせてしまうのだろうか。


「美園、私は最近になってようやく愛することを知ったんだ」

「そうみたいだね」

「それでさ、前世の俺を振り返ってみるとさ、とある一点にだけ、愛情にとてもよく似た気持ちを抱いた瞬間があったことに気が付いたんだ」


 美園は押し黙る。

 私に、続きを喋(しゃべ)らせてくれるらしい。


「それが、美園と別れたあの時だ。胸が締め付けられるような喪失感、あれは愛する者が去ってしまった時の感情に似ていた。──前世の俺はサイコパスだったけど、あの瞬間だけは愛情の片鱗を感じ取っていたに違いないんだ」


 俺はゆっくりと彼女に近づき、そして抱きしめた。


「愛している。いや──愛していたよ、美園」

「そ──、うや」


 美園は私を抱き返してくることはなかったけど、それ以上は抵抗することも、怒りに声を震わせることもなかった。

 ある程度、受け入れてもらえたのだと思いたい。


「ねぇ。奏夜──ううん、カンナちゃん」

「なんだい、美園」


 美園は私から体を離すと、じっと瞳の奥を覗き込むように目を細めた。

 どこか悲しげな雰囲気を残しながら、最後に一言だけ私に言った。


「カンナちゃん、“君の世界”に裏切者がいる。そいつに、気を付けるんだ」

「──へ?」


 プツン。


 突然、電源が落ちるみたいに世界が暗転した。

 前触れも何もない。いきなり、真っ暗闇だ。


 暗闇の中に見覚えのあるシルエット、黒い少女の姿が見えたような気がしたが、錯覚だったのかもしれない。


──

─


 次に目を覚ますと、今度は海辺にいた。

 何もない、ただの砂浜だ。


 辺りを見回す。

 そこが海辺であることには間違いがないのだけど、その奥の背景は酷くぼやけていて、なんていうか真っ白だ。

 世界全体にミルクを零(こぼ)してしまったかのよう。



 なんとなくだけど、直感した。


 そっか。

 ここが本来の“私の世界”なんだ。

 私が奏夜でなかったなら、きっとこんな世界の中を愛する人と歩いていけたのかもしれない。


「あれ?」


 浜辺を散策していると、急に目の前に海亀が現れた。

 海亀は子供たちにいじめられているようで、必死になって抵抗している。

 だけど、やがて諦めたようにぐったりとしてしまうのだった。


「なぁに諦めてんだよ、ばか」


 私は亀に声をかけた。

 周りの子供たちには私の存在は見えていないようだが、亀は私の一言に反応した。


「おまじないをかけてやるよ。はい、りぴーとあふたみー」


 満たせ、満たせ。神の惠よ、苦痛から解き放て、痲酔寛解。


 嫌な気分を吹き飛ばす、精神魔法の呪文だ。


 亀は私の言っていることが理解できているのか、できもしないのに口をパクパクと動かしていた。

 かわいそうなので、私がちゃんと魔法をかけてやった。

 これで、少しはやる気が出ただろう。


 すると亀は子供たちに向かって、果敢(かかん)に反撃を試みるのだった。

 子供たちは虐めていた相手が急に歯向かってきたのに驚いて、慌てて走り去っていった。

 その姿はかき消えて、もうどこにも見えない。


「カンナ」


 急に、亀が話しかけてきた。

 なんだお前、喋れるんじゃないか。


「なに、亀さん」

「私は、今から君の所へ帰るよ」


 はぁ? 何を言っているんだろう。

 と、思った時には眩(まばゆ)い光が私の世界を覆いつくした。


 真っ白な世界に、やがて私自身も溶けていった。


──

─


 気が付くと私は、天蓋(てんがい)付きのベッドに寝かされていた。

 細かい花の紋様が彫り込まれた木造の天蓋、仕切りのレースにも細やかな刺繍(ししゅう)が編み込まれていて、一目見ただけで高級品だと分かる。


「ここ……は……」


 私は、どうして自分がそんな場所にいるのか全く見当がつかなかった。

 夢から覚めたはずなのに、まだ頭がふわふわと浮かんでいる感じ。


「カンナちゃん? か、カンナちゃん! 目が覚めたの!? ああ、良かった! み、皆を呼んで来なきゃ」

「まって、エメ……ダスティ」


 一人にしないで欲しい。

 今はなんだか、誰でもいいから側にいてほしいんだ。


「ねぇ、ここはどこ? 私は、どうなったの」


 エメダスティは私の手を取った。

 ああ、暖かい。

 彼の大きな掌は、私に安心感と安らぎをもたらしてくれる。

 今はこの感覚に心を委(ゆだ)ねていたい。


「ここはストレプトのお屋敷だよ。たぶん一番安全じゃないかって、病院からここへ移ったんだ」

「病院……」


 私、何か病気をしてたっけ。


「カンナちゃんは宿の近くのカフェテラスで、急に倒れたらしいんだよ。クローラ様たちは帝国派にやられたって焦っていたけど、結局病院でも倒れた原因は分からなかったんだ」

「……どく、もられた」


 そうだ。だんだん思い出してきたぞ。


 カフェでスルガに接触され、その時に彼の機嫌を損ねてしまったから、ミルクに毒魔法を使われたんだ。

 シアノがいつから私の近くにいたのか分からないけど、最後の一口を飲んだ時点から調子がおかしくなったから、きっとあの瞬間に接近してきたんだろうな。


「やっぱり、そうなんだね……」


 エメダスティは悲しそうな顔で息を吐く。


「みんなは……? いま、どこにいるの」


 私は不穏な夢を見たような覚えがあって、故に皆が無事かどうかが何よりも気掛かりだった。

 特にアロエとマイシィには怪我一つ負って欲しくないとさえ思っている。


 エメダスティは少し目を泳がせながら、ごにょごにょと口籠った。

 まさか、彼女たちに何かあったのだろうか。


「マイシィ達は何事もなく、無事だよ。でも……」


 エメダスティの瞳から大粒の涙がこぼれ始める。

 彼はそれを拭うこともできず、ただ、天井を見上げていた。


 何か、あったに違いない。

 とてつもなく不幸な出来事が。


 しかし、私は聞かなければならない。

 嫌な予感はするけど、それでも逃げるわけにはいかない。


「聞かせて、エメダスティ。何があったの」


 彼は、大きく深呼吸をして、なんとか感情を抑えようとしている。

 しかし声を出そうとするたびに、唇が震えてしまってうまく台詞にすることが出来ない。


 ……そんな自分が不甲斐ないのだろう、やがてエメダスティは下唇を嚙みしめた。

 血が滲(にじ)むくらいに、自分を責めていた。


「大丈夫だよ、エメダスティ。私、覚悟はできてるから」


 私がそう言うと、エメダスティはようやく決心したように言葉を紡ぐ。


「落ち着いて聞いてね、カンナちゃん。あのね──」




 エメダスティは私に告げた。


 ロキト・プロヴェニアが死んだことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。