入学編36話 記憶のかけら
「おーい、お前いつまで準備に時間がかかってるんだ。もうすぐ大会始まるぞ」
十弐ノ月は終わりを告げ、一年の締めくくりである迎ノ週となった。
今日は楽しみにしていた魔闘大会の日である。
ハドロス領内の闘技を行った後、三日後には全国闘技会が開かれる。
今日は、いわば全国闘技会の予選の様なものだ。
私の応援したかった人は、もういない。
だけど、上級生の本気の魔法を見られる機会、これを見逃す手はない。
「ニコ兄ー、ちょっと待っててねー」
私は扉の外で待つ兄をよそに、ひたすら鏡の前でポーズを決めていた。
うん、今日も美しいぞ、私!
「はぁ……でもなぁ……」
私は前髪を上に持ち上げてみる。額から鼻筋にかけて、はっきりとした傷ができていた。
はじめのうちはマイシィを守り切ったことによる名誉の負傷だと言って誇らしく思っていたが、大切な“お母様の顔”に傷をつけてしまったことに気付くと、ひどく落ち込んだ。
もう、鏡の中に母はいない。
「ねぇ、私。これで本当に良かったのかな」
すると、鏡の中の私はにやりとした笑みを浮かべて言い返してくる。
───いいんだよ、俺。俺はこれまで少し目立ちすぎた。
顔に傷のある方が、寄ってくる男も少なくなってちょうど良いんじゃないか?
「……う~ん、私の王子様まで遠ざかってしまう気がするよ」
私の王子が誰になるのかは知らないんだけど。
……さて、そろそろ時間だ。出発しなくては。
「行ってきます、私」
───行ってらっしゃい、俺。
──
─
私が死闘を演じてから数日。
この世界は変わってしまった。
ああ、違うな。
正確にはこの世界を見たときの感じ方が変わってしまったという言い方が近いのかな。
ぶっちゃけて言うと、前世の記憶が一部戻ってきた。
その為、特に日本と魔法国──いや、向こうの世界とこちらの世界との差異は強く意識してしまうようになった。
まず、馬車だ。私がこれまでこの世界で馬と呼んでいた生き物は、記憶の中にある馬よりも随分太ましくてパワフルだ。
たてがみもないし、蹄だって三本ある。
馬とサイの中間みたいなのがこの世界の馬の正体だ。
私が麦と呼んで食べていた物も、記憶の中にあるそれとは味や見た目が少し違う。
そういえば、この世界で米と言うのを見たことがない。
米を表す言葉はあるので、きっとこの辺りに米食文化がないだけだとは思うのだが、たまにはカレーライスやチャーハンが食べたくなる日もある。日本食が恋しいよ。
「ねえ、マイシィちゃん! 今の先輩すごかったね! 風魔法がびゅううんって!」
スタジアムの三階席。
私のすぐそばで、リリカが大はしゃぎで叫んだ。
魔闘大会の試合で、大技が飛び出したからだ。
「ほんとだねー、私もあんな魔法を使ってみたいな! それでね、いつかドラゴンを倒すの!」
マイシィもいつになく興奮している様子。
体調が回復しきっていないから車いすで観戦しているというのに、試合中は嘘みたいに元気だ。
「倒してどうするの?」
「食べるの!」
「……!! ハハッ、ウケるわ―」
私は隣にいる彼女たちの顔をまじまじ見た。
赤い髪のお人形みたいな顔のマイシィ。
ブラウンのおさげで、くっきりした眉がキュートなアロエ。
黒髪のショートボブで、優しい顔立ちのリリア。
どれも見慣れた顔だけど、どうしても違和感が拭い去れないでいる。
全員、目が大きい。
リアルタッチなゲームのCGなんかを思い浮かべるとかなり近いのではないだろうか。
そして、全員耳が長い。ちなみにぴくぴくとくらいなら動かすことだってできる。
何より、全員に備わる頭頂眼は、私の知る人間には無かったものだ。
なんなら、この世界の大体の脊椎動物に三つの目がある。
これがこの世界の大きな特色なんだろうな。
「……? カンナちゃんどうしたの?」
「い、いや。なんでもないよ」
思わず見とれてしまう。日本人的な美的センスからすると、この子たち全員が超絶美人だからだ。
とびぬけてマイシィと私は美しいのだけど、なんか平均値がヤバい。
私と戦ったあの男や、エメダスティだって十分すぎるくらいかっこいいのだ。
なんなん、ここは。
「そ、それよりさ。マイシィ、疲れてない? 飲み物でも買いに行こうか」
「うん、いこっかカンナちゃん」
「あ、ウチら場所取っとくからいってらー」
「はいはーい」
私はアロエたちに手を振ると、マイシィの車いすを押して、スタジアムの通路側へと歩いて行った。
──
─
「あ! いたいた、おーーい」
マイシィの車いすを押していると、スタジアムの向こうから見知った小太りの男が駆けてきた。
マイシィの騎士ことエメダスティだ。
彼も太ってはいるが、素材は秀逸。
痩せたらひょっとすると惚れてしまうかもしれない。そんな感じだ。
「ん? 僕の顔に何か?」
「い、いや何でもないよバカダスティ」
私は掌で顔を隠しながら右手をわたわたと振った。
顔が熱い。
私はこんな子に惚れられているんだって思ったら、顔から火が出てしまいそうな感じになる。
ああ、早くこの世界の感覚に慣れないといろいろとヤバいかもしれない。
下僕の会にすら恋してしまった暁には私は死ぬしかないのだ。
エメダスティは相変わらず呆けた顔をしているが、用件を思い出したのかハッとしたように話し出す。
「そうそう、ニコル先輩が一緒に試合見ないかっていうんだけど、どう?」
「なんでそこで兄本人から誘わないんだ」
私が呆れていると、エメダスティは遠くの方にあるスタジアムの柱を指し示した。
目を凝らすとそこには一人、柱の裏側に隠れるようにして兄が立っているのが見える。
あんのチキン野郎め。
さてはマイシィに直接声をかけるのが恥ずかしいんだ。
「んー、ありがたいんだけど友達と一緒に見てるからなぁ」
マイシィはそう言って苦笑い。
そんなマイシィの首には今、一つのペンダントがかけられている。
ストレプト家の家紋“星と砂時計”と、ノイド家の家紋“月と竪琴”の二つが縦に繋がれているペンダントトップ。
つなぎ目に貝殻の意匠を施してあるという。
昨日贈られたマイシィの誕生月プレゼントだ。
十弐ノ月の最終日である昨日、「ギリギリになっちまったけど、これ!」と言って意中の男性に貰った物だという。
マイシィはその時感極まって号泣し、しばらく収拾がつかなかった。
……と、贈った本人から聞いた。
本人曰く『無くしたものを取り返そうとしても、どうしても嫌な思い出が付いてくる。だから、その嫌な記憶まで上書きするしかない』とのことで、実はロッカー事件の頃から乗合馬車で片道三時間かけて専門店に通い、綿密にデザインを打ち合わせて注文をしていたそうだ。
我が兄ながら流石である。
……今更になって恥ずかしがっているから大幅減点だけどな!
「三日後の全国闘技会は二人で見に行こうね、って伝えといてくれる?」
マイシィがそう言うと、エメダスティは嬉しそうに頷いた。
それから私の方へと向き直ると、こう言うのだ。
「あ、あのぅ。か、カンナちゃん。その日はぼぼぼ僕と一緒に」
「あ、ごめん先約があるんだ」
即落ちで撃沈である。
ドンマイエメダスティ!
肩を落として負のオーラを漂わせながら去っていくエメダスティ。
やがて当てつけのように大きな声で、兄に向かって叫んだ。
「マイシィちゃんが全国闘技会二人で見に行こうってーーー!」
大声でそんなことを叫ぶものだから、兄は大慌てで顔を真っ赤にしながらすっ転んでいた。
道行く人たちがその光景を見てくすくすと笑っている。
兄よ、ドンマイ。
隣を見たらマイシィまで赤面している。めっちゃ可愛いわ。
いいもん見れた。
──
─
私は魔闘大会の途中、しばしマイシィ達と別れて、とある人物の所に向かう予定になっていた。
関係者用のゲートにて許可状を見せると、そのまま中に案内される。
関係者用フロアはスタジアムをコイルのように巻いている構造になっているらしい。
長くて緩やかなスロープを下り、最下層のエリアに到達すると、そこは選手の控室が並ぶ待機エリアになっていた。
その一角に、目的の集団を見つけて私は駆け寄った。
彼らが私を視認した段階で一度立ち止まり、貴族の敬礼をしたあとさらに駆け寄る。
「ごきげんよう、カンナちゃん」
「こんにちは、クローラ様。お身体はその後、どうですか?」
「見ての通りよ」
クローラはマイシィよりも多量の毒を摂取していたので回復は遅れると思っていたが、顔色はマイシィよりも良いし、自分の足で立ってぴんぴんしている。
自分自身で治癒魔法を使ってある程度初期段階で回復したというのが効いたようだ。
「本日はよろしくお願いします」
私がクローラに礼をすると、クローラも同様に礼を返してきた。
「こちらこそよろしくね、臨時の騎士様」
クローラがそう言うと、本物の騎士であるイブは傍らで少し微笑んだ。
そしてそのまた隣には。
「私達の演武の最中はくれぐれも頼むぞ、カンナ」
そうやって凛々しい表情を浮かべる長身の男性に、私は同じく自信たっぷりの表情で答える。
「任せてください、ロキ先輩!」
──大会の運営がエキシビジョンマッチを打診してきたのはつい二日前のことだ。
容疑が晴れ、釈放されていたロキに、名誉回復の場をと組織の委員長が申し出てきたらしい。
実は事件の影響で大会へのエントリーが間に合わず、出場できなかったロキへの配慮であるらしい。
ちなみにイブやクローラはそもそも出場しない予定であった。
貴族令嬢が死闘を演じて傷だらけになったら大変だし、騎士には令嬢を守る使命があるからだ。
その代わりにフェニコールの威光を示す役を担っていたのがロキだった。
それが本選出場を見送らざるを得ない状況になったので本家も困っていたようだ。委員長の申し出はちょうどよい機会だったのだ。
そしてなんと。話し合いの結果、イブ、ロキの姉弟対決をすることになった。
本人達的にはあくまで演武であるらしいが、客はそんなことを知らないので大盛り上がりである。
なんといってもどちらが出場しても優勝間違いなしの二人が対決するのだから、それはもう一大イベントである。
魔闘大会本選よりも盛り上がりそうなので出場者の先輩たちが少しかわいそうだ。
「それでは、行ってくる」
「行ってきます」
ロキとイブは私達を背に、出場ゲート前へと歩いていくのだった。
私とクローラはと言うと、スタジアムの貴賓席に通されて、そこで一緒に観戦をすることになった。
見るからに豪華な椅子に腰かけるクローラを、私は側に立って見守る形だ。
しかし、クローラは隣の椅子に手を置くと、「カンナちゃんも座りなさい」と誘ってきた。
尻込みする私を見てチッと舌打ちしたクローラは、なんと私を風魔法で持ち上げて無理矢理に着席させてしまった。
すごい、ふかふかで、それでいてちょうど良い張りもあって、どれだけ座っても絶対に疲れそうにない。
加えて、深く腰掛けるだけで自然と背筋が伸びて見えるような設計になっていて、外から見たときに常に凛々しい姿でいられるように配慮もされていた。
「国王様もこちらの椅子にお掛けになったそうよ」
「へ、へえ。私なんかが座ってしまって良いのでしょうか」
するとクローラはにやりと笑って、
「言わなきゃバレないですわ」
とのたまった。とんだご令嬢である。
それからしばらく、魔闘大会の試合を観戦した。
イブとロキの試合はすごかった。競技場内の全域が凍り付くような氷魔法に、大気を震わす電撃の交差。
それらがあたかも全力でぶつかっていくように見えるので、観客も大盛り上がりであった。
クローラ解説がちょくちょく入ってきたが、ロキの技「雷鳴裂光」は演武用の技であり、見た目が派手なだけで殺傷力は低いそうだ。
それよりやはり、相手に接触しての放電の方が強く、本気であれば一撃で相手の心臓を止めるのだとか。
なるほど、私との戦いでは初めから手を抜いていたんだな。
「貴女には色々と助けられたわね」
「そんなことはありません。むしろ、私の幼馴染がご迷惑をかけてすみませんでした」
私はクローラに改めて謝罪をした。
今は名前も忘れた彼だけど、私の身内に違いないのだ。
彼を暴走させたのは私のせいかもしれないのだ。
「ふふふ、もういいのよカンナちゃん。貸し借り無しでノーサイド。これで良いじゃない」
「──そうですね」
思えば、入学したての頃はこんな風にクローラと魔闘大会の試合を見るなんて思ってもみなかった。
たった半年の間だけど、本当にいろいろなことがあって、書き留めたらきりがないくらいだ。
「そうそう、カンナちゃん。ここだけの話なんだけど」
私はクローラに耳打ちされ、そして赤面した。
彼女は言った。
──ロキは貴女に気がありそうだ、と。
そして思い出す。私の王子様の条件を。
【背が高くて、顔が整ってて、清潔感があって、それなりに収入の安定していて、基本クールでたまに可愛いところがある人】
わ、私の王子様はこんなところにいたのか!
いやでもしかし。
「ろ、ロキ先輩とクローラ様は……その、セフレで良いんですか?」
「せふ……? なんですか、それは」
私はあの時二人の情事について根掘り葉掘り聞いたことを、今更になって後悔するのであった。




