入学編12話 私の世界
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「……クソデカ溜息やめろ」
「だぁぁぁってぇぇぇ」
私は中庭のベンチに腰掛け、カインの腕を鷲掴みにし、上下にぶんぶんと振り回しながら不満の声を漏らしていた。カインは迷惑そうにしながら、時折振り回されている腕の動きに合わせて裏拳を入れてくる。
「いたぁい! 顔が痛い!」
「……俺は腕が痛いんだよ!」
今はお昼休み。いつもだったらマイシィたちとランチをしている時間である。
が、マイシィはここ一週間ほど学校を休んでいる。リリカとアロエもどこか余所余所しい。
それはそうだろう。私と関わっているとクローラに目をつけられかねないからだ。徳の高い者は危うい者に近付かない、ということわざがあったような……まあ、事実その通りだ。危険があるとわかっているところにわざわざ首を突っ込むのは愚か者のやる事だ。
とはいえ彼女達とは挨拶くらいは交わすし、表立って避けられているわけではないから、彼女達の行動に関して特に何か思う事はない。
私がクソデカ溜息を漏らすのは、事態に進展が無さすぎるからだ。
「だってさ、あれから何にも動きがないんだもん」
以下回想。
──
─
事件の翌日、私は早速クローラの元を訪ねた。寮に出向く事は難しそうなので、彼女がいつも昼食を食べている会議室に行ってみることにした。平民と同じ空間で食事を取らないよう、彼女には別室が充てがわれているのだ。
ノックもそこそこに部屋に突入すると、高級なレストランの如き空間になっていた。多分普通の会議室だったところにテーブルや調度品を運び込んで食事の空間を仕立てたのであろう。
中ではクローラとその愉快な仲間たちが三人並んで食事をとっていた。長身きょうだいは傍らに控えて立っているものと思っていたから、普通に並んで食事している光景がなんだか異様なものに思える。
「あ、え、と」
思わず言葉に詰まってしまった。
クローラは落ち着いた所作で口元を拭うとおもむろに私の方へ指先を向け、
「風よ」
──私を風魔法で吹き飛ばした。特に威力を込めたわけでもない単調な風に、それでも私の小さな体は簡単に廊下まで吹き飛ばされてしまった。
せめて私は背中から落下するのを防ぐため、こちらも風魔法を起こして勢いを相殺しようと試みた。吹き飛ぶ体の動きは減衰し、やがてふわりといった感じで尻餅をついた。
魔動車の振動対策にと空気のクッションをイメージして練習をしておいて良かった。尻餅の格好ではなく立ったままでいられたら、よりカッコよかったのにな。もう少し練習が必要だ。
会議室の扉が給仕の人に閉められる。あーあ、締め出されちゃったよと思い、よっこらと立ち上がってスカートを払うと再び扉が開いた。一人だけが部屋から出てきた気配がし、扉はまた閉ざされる。
「さっさと失せろ」
そこにはあのきょうだいの男の方が立っていた。
色素が薄すぎて白くも見える金色の長髪、そして真紅の瞳。貴族らしく気品漂う顔は、常に眉間に皺が寄っていて、それ以外の表情筋は凝り固まっているかのよう。私が今一番会いたくなくて、かつ一番話したい人物だ。
ちょうど良いやと思って話を切り出そうとしたのだが、そうは問屋が卸さないのだ。
「あの、実は───」
「無礼だぞ、貴様」
「は?」
瞬間、彼の眉間の皺は一層と深くなる。
「誰に向かって口を聞いている。辺境貴族ごときがこの私に!」
私はすっかり忘れていた。目の前の男はクローラ・フェニコールの従者ではあるが家来ではない。おそらく復権派の派閥の中での優劣はあるのだろうが、基本的には同格の存在だ。
──中央貴族。共に食事をとるのも当然なのだ。
「こ、これは大変な失礼をいたしました!」
相手が相手だけに不本意ではあるが、私が無礼なのは事実なので最敬礼で謝る。すなわち両膝をついて、腕を胸の前で交差させ、体を抱きかかえるようにして前屈みの姿勢。
男女共通のこの動作は、国王や国賓が相手の時は最大限の敬意を、それ以外の人が相手の時には謝罪の意味を持つ。
ちなみに同格の人間相手にこの動作をする事は、この国においては非常に屈辱的な事だとされている。
「名前を言え」
「か、カンナ・ノイドで───」
「誰が貴様の名前を名乗れと言った? 」
先程名前を言えと言ったではないか、というツッコミをしたくなるところだが、そんな事はできない。目上の人間が相手だから? そうではない。
私は今更理解したのだ。彼が名前を言えと言った意味を。
「最敬礼をする時には相手の名前を口にする……田舎者はそんな事も親に習わないのか」
「あ……」
名前は魂の鏡である。故に、詫びる意味で最敬礼をする場合には相手の名前、あるいは称号をきちんと口にし、魂からの謝罪であることを宣言する。それがこの国のマナーであり常識だった。
よっぽど初対面でもない限り、名を持たぬ謝罪は反省なしと受け取られてしまうのだ。
「申し訳、ありませ──」
──やり直そうと思ったが、無理だった。私は、私には、できない。
何故なら、私は彼の名前を覚えていないからだ。
既に何度も顔を合わせているはずなのに、名前を聞いた覚えが全くなかった。いや、たぶん聞いているが忘れたのだろう。いつもの悪癖。気に入った人間以外の名前を覚えることができない、ある種のノロイだ。
ノロイ? ノロイと言うのは何だったか。確か、魂を縛る楔のような意味合いだったはず。
──ああくそっ、なんなんだ私の記憶は……ッ!
必要なことは覚えておらず、どこの国のものともつかないような単語や慣用句がどんどん浮かんでくる。
私が人造人間だからなのか? まっとうな人間ではないからいけないのだろうか。
「どうかしたのですか、ロキ」
「クローラ様」
いつの間にか扉は開いていて、クローラと、付き人である長身の女が傍にやってきていた。
「あら、最敬礼でもしようとしているのかしら? カンナ・ノイド」
「は、はい……」
私は最敬礼の姿勢のまま、項垂れるしかなかった。
「では、私達の楽しい食事に割り込んで台無しにしたこと、詫びていただこうかしら?」
言われたとおりにするしかない。
「申し訳ございませんでした、クローラ・フェニコール様」
「……。ふぅん、私のことは覚えていたのですね」
不思議だ。クローラの事はちゃんと覚えていられるのに。どうしてだろう。
敵として認識した時に脳に焼き付いたのだろうか? 従者だと侮っていたからきょうだいの名前は記憶されなかった?
クローラは私に少しだけ近づくと、身をかがめて私の耳元の方へと顔を寄せた。
あの時の、マイシィにしたみたいに。ああ、あの時のように、小声で何か言われるんだ。
「どうせロキの事は覚えていなかったのでしょう? カンナちゃん」
「え……」
クローラは人を小馬鹿にしたようにくっくと笑う。
「でも私の名前は忘れなかった。何ででしょうね? 私はあなたの所有物ではないのにね」
「所有物……」
「そう、たぶん私は“素材”なのね」
クローラは私を見下すような目つきのまま立ち上がった。笑っているとも、怒っているともとれる微妙な表情。
すぐに男───ロキの方を向いて言った。
「ロキ、この女に名前を覚えられていなかったでしょう? この女は自分の所有物だと思っている物、あるいは“ 自分の世界”を構成する素材と思っている物や人しか名前を覚えられないの。そういう悪徳を持っているのよ」
「なんで」
なんでそのことを、知っているのだろう。私自身、私の本質というのをよくわかっていなかった。名前を覚えられる、覚えられないに線引きがあるなんて思わなかった。なんとなく、関わりの深さに起因していると感じていた程度だ。
“自らの世界”の構成素材───そういう括りになっているのか。逆に教えられてしまった。が、どうして? なぜクローラはそのことに気付いていた?
「私は、貴女のことが嫌いよカンナちゃん。貴女が嫌いだから、私は彼と別れたのよ」
兄、の事だろうか。
私が原因?
私が悪いの?
「私は、貴女のお人形ではないのよ」
クローラはフンと鼻を鳴らして、元いた部屋の方へと踵を返した。制服にアレンジされた彼女のロングスカートが、ひるがえった際に私の頬を撫でた。カツカツとヒールの音を響かせながらクローラは部屋の中へ。
お付きの二人も彼女に従い扉の向こうに消えていった。
扉がキイと小さな音を立てる。
──ふいに、クローラのヒールの音が止まった。
クローラはこちらを振り返る気配など一切見せないまま、さも楽しそうな声色で次のように宣言した。
「そうだ、ちゃんとロキに最敬礼の謝罪をできたなら、もう一度会ってあげますわ。その時は知っていることをすべて話してあげる」
扉が閉まった。
彼女のスカートからほのかに感じたのは、兄の好きなカンキツの花の香りだった。彼女の残り香だけが、私の鼻をくすぐり続けていた。
……そうして、二十分後。
昼休みが終わる直前に部屋から出てきたクローラは、なおも跪いていた私に大変驚いたようで。
「うひゃあ」
って言ってた。
──
─
ここまでが回想である。
この後、マイシィの事件絡みの事は一切起きていない。情報収集も思うように進んでいない。
私のファンクラブ改め下僕の会の連中はいろいろと嗅ぎまわってくれているようだが、有力な手掛かりは何もなかった。彼らも彼らでクローラ一派を怖がっており、大々的に活動することができていないのだ。
クローラの所へは何度か足を運んだが、例の出来事のあとはどれだけ頼んでも門前払いされてしまうのであった。結局、ロキの名前を調べるしか方法が無いのだ。
あれだけの有名人だ。名前を調べるなんてのは簡単そうに思えるだろう?
いっちょ試してみようか。
「ねーえー、かーいーんー(もじもじ)」
「……ん、なんだ」
「ロキしぇんぱいのなまえー、ふるねぇむでーおしえてほしぃなー(はぁと)」
「……ダメだ」
見ましたか今の!
即答ですよ即答!
「……それを教えたら俺の家の仕事がヤバくなる」
ハイ答え合わせきましたーこれー。
つまりクローラはロキのフルネームの情報を漏らさないように方々に圧力をかけたのだ。学校関係者はもちろん、兄や父、果てはマイア地区の人々にまで緘口令を敷いてしまった。試してはいないがきっとハドロス領全域に同様の指示がされているのではないだろうか。
法令ではないから拘束力はないはずなのに、誰も話そうとしてくれない。たぶん彼らもなぜ名前を教えてはいけないのか事情を知らされてはいないのだろう。それでも過激派貴族に目を付けられれば家業が成り立たなくなる危険性があるため、仕方なく守っているといった感じだ。
最近のロキは“名前を呼んではいけないあの人”と呼ばれるまでに至っている。どこかの物語の悪役みたいな扱いだ。あいつが恥ずかしそうにしている姿を見るのが私の唯一の楽しみになっていた。
「はあぁぁぁぁ」
「……また出たなクソデカ溜息」
そりゃあため息もつきたくなるよ。八方塞がりだもん。
せめてマイシィが元気になってくれたらいいのに。あの子が笑ってくれれば、それだけで“私の世界”は救われるんだ。




