25 追試験はあっさりと終わる
先生は追試用の問題を取りに教室を出てしまった。
広い教室に、バジットと二人きりで残されてしまう。
彼はすぐ隣の椅子に座ってきて、話しかけてきた。
「フィル。お前はわざと落第点を取ったんだよな?」
異様に距離が近くて、肩と肩が触れ合いそうだった。
「違うけど……」
「違うのか? 俺はてっきり一緒に試験を受けたかったのだとばかり……。こうしてやっと二人きりになれたわけだし」
私の実力を疑っていた時とは正反対の、優しく甘えたような声だった。
逆に、それが身の危険を感じさせる。
覗き込むように私の目を見てくるので、思わず顔を逸らした。
椅子からお尻をずらして、バジットとの隙間を作る。
「二人きりになりたかったわけじゃないから」
「そうなのか? 素直じゃないな。そんなところも悪くない」
なんだか胃の奥から酸っぱいものが上がってくるようだった。
だめだ。彼とは波長が合わない。
そういえば、ライラさんが通信魔法で自分の弱い面を見せるといいのでは、と言っていた。
「私ね、多分この追試は突破できない」
「素直に言えよ。俺ともっと一緒にいたいんだろ。じゃあ、次も一緒に落第しようぜ」
「違うって。文字が書けないんだよ。自分の名前くらいしか書けない」
「まさか」
「ほんとう」
最初は疑っていたバジットだったが、少し信じたようだ。
「いや、でもさ。解答用紙に書いていたあれ、すごかったよな」
バジットは私が書いた絵のことを言っている。
「ありがとう」
「じゃあさ、文字を絵だと思えばいいんじゃないのか?」
バジットの言葉が強烈に印象に残った。
それはまるで天啓が降りてきたかのようだった。
そうだ、文字を勉強して書けるようになる必要はない。そもそも今から勉強をする時間なんてない。
発想を変えて、文字ではなく絵や記号だと思えばいいのだ。
「ありがとう! バジット」
思わず彼の両手を取ってしまった。
バジットはこれまでにないほど顔を真っ赤にしていた。
「お、おう!」
教壇からは「ごほん」という咳払いが聞こえた。気がつくといつの間にかロゼッタ先生が立っていた。
先生はこちらを睨んでいる。
「じゃ、じゃあフィル。俺はあっちに行くから。それと、もう一回の試験くらい一緒にいたいよな。意味がわかるだろ?」
私は目をぱちくりとさせる。
バジットはいったい何を言いたいのだろうか。
しかし、バジットの言葉で光明が見えたのは事実だった。
そうだ、お礼にノルちゃんにもらったこのポーションをあげよう。
バジットは下剤を飲まされているらしい。しかも、許容量をはるかに超えた量だ。
このポーションがあればきっと問題は起こらない。
ところが、ポーションを渡す間もなく、追試験が始まろうとしていた。
「始めますよ!」
先生の口調はきつかった。
バジットは教室の端に座ったので、ここから大きな声で彼に声をかけた。
「あとでまた!」
私が手を振ると、彼は無言で『わかっている』といった感じに頷いていた。
ロゼッタ先生が試験の用紙を配りながら、イライラとしている。
「問題はほとんど一緒ですが、半分はそのままです。一部は数値や名称を変えています。私が問題を取りに行っている間に復習をしていると思っていたのですが……」
ロゼッタ先生は、私とバジットを交互に睨んだ。何かを勘違いしているようだった。
「うつつをぬかさず、ちゃんと復習できていたら、一発で合格できるはずです。見せてもらいますよ」
先生の声は怖かった。
バジットはそんな空気を全く理解していないように軽い声をあげた。
「俺、一回じゃ無理っぽいなぁ。なあ、フィル」
こちらを見てくるが、さすがに視線を合わせる気にはならない。
試験が終わったらお礼のポーションを渡して、さっさと立ち去ろう。
「では、始めなさい!」
強い命令口調で、先生は開始の合図を出した。
私とバジットの用紙を捲る音が教室に響いた。
先生は問題の半分がまったく同じだと言っていた。
すなわち、それは合格点を取れることを意味する。
やがて、試験時間が終了し、ロゼッタ先生はその場で採点を始めた。
「バジットさんは48点です。今回も落第。でも、次はクリアできそうですね」
ふう、とロゼッタ先生はため息をつく。
バジットはただニヤニヤとしていた。
「さて、フィルさんの答案を見せてもらいましょうか。今度は大丈夫でしょうかね」
私の解答用紙をロゼッタ先生は手に取って見つめる。
しかし、用紙を手にしたまま固まっていた。
「フィル……。さん……。これは……、なんですか?」
頬がぴくぴくと動いている。
問題はないはずだった。今度は絵などではない。そこには文字がびっしりと埋め尽くされているからだ。
「私はフィルさんの能力を侮っていました。いえ、決してあなたに不正があったわけではありません。予測できなかった私が悪いのです」
先生は深く、とても深くため息をついた。
「フィルさん50点。合格です」
「フィル! お前、合格したのか!」
バジットが信じられないといった様子で立ち上がった。
「ちょっといいですか? あなたの文字ですが、ユニスさんにとてもそっくりですよね」
私は先生から目を逸らす。
まあ、そうだよね……。
写したのだから。
「答案を脳裏に焼き付け、リアルに再現しているのですね……。次にやるときは書体を変えることをお勧めします。まあ、こんなことを勧めるのも、教師としてどうかとは思いますが」
そうか。文字というものは一人一人癖があったり、書き方が異なるのか。
そこまでは思い至らなかった。
「約束が違うじゃないか!?」
バジットは叫んだ。
「約束って何?」
私は首をかしげる。
「いや、ほら、俺に手紙をくれたじゃないか? 俺のことをあんなふうに思っているって」
「そのことだけどさ……」
私はうんざりとしながら、彼に答えようとした。
二人の様子を見て、先生は理解したのだろう。
私とバジットの間に何かがあったわけではなく、バジットから一方的に好意を寄せられているということに。
先生がバジットにはっきりと言い放った。
「文字を書けないフィルさんが手紙を……? 書けるわけがありませんよね」
「あ……」
バジットはついに察したようだった。
「その手紙は誰かのいたずらでしょうね。フィルさんの態度を見ればわかりますよ。ではバジットさん、試験を続けましょうか」
バジットは愕然としていた。
「あの手紙は……嘘……?」
これ以上、トラブルに巻き込まれたくなかった私は、さっさと教室を出て行くことにした。
「じゃあ、私はこれで……」
立ち上がって教室の出口へと歩いて行く。
「あ、あれ? きゅ、急に腹が……。なんだ? これ……」
扉を閉めるとバジットの声が小さく聞こえた。
『こんなところで漏らしたら……。学校にいられなくなる……。もう、動けない。少しでも動いたら……やばい……』
きゅうーーー、ぐるるぅぅ、と高い音が聞こえてきた。
『では、2回目の追試を始めます。開始してください』
先生の合図を背中で聞きながら、廊下を歩いた。
そういえば何か大事なことを忘れていた気がする。
とても大切なことだったはずだ。
思い出した時には廊下をかなり歩いたあとだった。
そうだ、ポーションだ。
バジットにあげるつもりだったんだ。
振り返ると、時はすでに遅かった。
「ぐおおおおおお―――――ぉ」
断末魔のようなバジットの声が轟いていた。これだけ離れていても、苦しみに悶絶している様子が伝わってくる。
続けて、叫び声が聞こえた。
「きゃあああああ!!」
ロゼッタ先生の甲高い悲鳴だった。
ばんっと大きな音を立てて、教室の扉が乱暴に開かれる。
先生は鼻を押さながら、教室を転がり出た。
慌てて扉を閉め、もがくように苦しみながら床に膝をついた。這いつくばるようにして、教室から離れるように逃げている。
私はもちろん、近づくことなどできない。
かなり距離があって匂いなんて漂ってくるはずもないのだが、それでも思わず鼻を摘んでしまっていた。




