15 死を予感するフィル
赤眼は動かない。
ただ怨嗟に満ちた目をこちらに向けていた。
私も短剣を握りしめたまま、動けないでいた。
冷や汗が流れる。
この赤眼はとんでもない強さを秘めている。ダンジョンで出会った魔物の比ではない。
私のことなどは赤子の手を捻るように殺せるのではないだろうか……。
握る手は汗ばんでいた。
お願い、このまま動かないで……。
そう祈るような思いでいた。
赤眼が襲ってこないものだから、他の生徒たちが集まってしまった。
「なんなんだ、こいつは!?」
「魔物なのか!?」
ティアとユニスも近くにやって来る。
「フィーちゃん、なんなの!? これ!?」
赤眼は威嚇するように、唸り声だけで周囲の空気を振動させた。
「グルウウウウウウゥ!!」
びりびりとガラスが振動するような響きになって伝わってきた。
「みんな……、こっちに来ないで……。こいつは本当にやばいの……」
だが、生徒たちは赤眼の恐ろしさに気がついていないようだった。
「こいつのせいで魔法が発動できないんじゃないのか!?」
「おい、このままにしていていいのか?」
「攻撃した方がいいんじゃないか?」
ノルちゃんは叫んだ。
「やめて! 何もしなければ大丈夫だから!」
「なんで大丈夫だとわかるんだよ!」
赤眼は恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。いつこちらに襲いかかってくるかわからなかった。
その時、赤眼の側方で動きがあった。
壁に沿って回り込むように赤眼に接近している生徒たちがいた。二人の生徒がナイフを手にして、いきなり赤眼に向かって駆け出した。
二人はナイフを振り上げて赤眼に斬りかかった。
「うりゃあ!」
「おりゃ!」
しかし赤眼は身動きすらせず、ナイフはその強靭な肉体に弾かれただけだった。
「刃が入らない!?」
動いていないと思われた赤眼だったが、眼球だけがぎょろりと一人の生徒を捉えていた。
赤眼は腕をシュッと伸ばす。目で追えないほどの速さだった。
気がつくと、一人の生徒の顔を鷲掴みにしていた。
「うわ!?」
顔を軽く握っているだけで、力は入っていないようだった。
シュウウウウと音をたてて、何かを吸収しているように思えた。
青白い光の粒子が、赤眼の手から微かに漏れ出ていた。
生徒の顔は水分がなくなったように干からびはじめた。
「魔素を吸い取っているのか!?」
誰かが叫んだ。
赤眼の腕が少しずつ膨れていく。
「やめて!!」
ノルちゃんが叫ぶと、赤眼はぴたりと動きを止めた。
手を開き、顔を鷲掴みにされていた生徒がどさりと音を立てて床に落ちた。
生徒はびくんびくんと体を震わせている。
別の生徒が助けに入り、赤眼のそばから引き離す。顔を掴まれた生徒は生気を失ったように弱っていた。
私は一歩前に踏み出た。
「みんな……、下がって……。こいつは、本当にまずい………………………………」
生徒たちを下がらせようとした時だった。
赤眼は突然、私に向かってきた。
肩をこちらに向けて、タックルをするようにぶつかってくる。
赤眼の体は、大人の人間の三倍以上に膨れ上がっている。
その重量感からは想像もできないほどの速度だった。
避ける間もなく、私の胸にぶつかった。
慌てて後方に飛ぶことで威力を減衰させるが、強い衝撃により扉まで一気に飛ばされた。
背中から激しく激突する。
「がはっ!」
なんとか受け身を取ったが、あまりの衝撃に一瞬、意識が飛ばされる。
お兄ちゃんの教えが全く通用しない相手だった。
視線の動きだとか、重心の移動だとか、呼吸だとか、そういった戦闘理論の既成概念を全てぶち壊して、物理法則すら無視したかのような身のこなしと速度だった。
床にうつ伏せに倒れ、なんとか起きあがろうと手をつくが、力が入らない。
赤眼は私に向かって走ってくる。
立ち上がる暇さえ与えてくれなかった。
あっという間に距離を詰めて、私の腹を蹴り上げた。
「ぐふっ!」
内臓が破裂したかのような強い衝撃。
そのまま上に飛ばされて天井に激突し、すぐに落下する。
赤眼は反撃の余裕すら与えてくれない。
床に落ちる前に、私を腕で薙ぎ払った。
横一直線に飛ばされ、石壁に勢いよく衝突。
今度は受け身すら取ることができなかった。激しく石壁に背中を打ちつけ、床に崩れ落ちた。
なおも赤眼は私に向かって走る。
全身の骨がばらばらに砕けたかと思うほどの激痛が走っていたが、今の私はダンジョンの時とは違う。
これでもまだ余裕があるつもりでいた。
肘の拘束具を外していたからだ。
無理矢理に体を起こして立ち上がる。
『――三重分身!!』
私は分身して赤眼に立ち向かおうとした。
ところが……。
分身の直前に赤眼の蹴りが入った。分身の初動動作を狙い撃ちされたのだ。
「ぐはっ!」
続けて、胸、腹と二連続で蹴られる。
骨が折れた衝撃と強烈な痛みが襲う。
苦しむ時間すら与えられず、三撃目が襲ってくる。
赤眼は足を大きく振り上げて、私を蹴り飛ばした。
扉とは反対側、祭壇へ向けて吹き飛ばされる。
そこは赤眼が出てきた牢屋があって、鉄格子は引き裂かれていた。
運悪く、切断された鉄格子の一本が鋭い切先をこちらに向けていた。
体ごと叩きつけられ、私の右肩付近を鉄格子が貫通した。
「…………!!!!」
声にできないほどの激痛が走った。
ほんの少しずれていたら、肩の拘束具が守ってくれたかもしれない。
運悪く、鋭く尖った先が拘束具をかすめて肩を貫いていた。鉄の棒が突き出したところから、勢いよく血が流れ出す。
赤眼は私にとどめを刺そうとこちらに駆けてきていた。
私は肩を貫かれた状態から抜け出せず、宙吊りにされてしまっていた。
タックルをされてから本当に僅かな時間だった。ほんの数秒の間で、何もできずにここまで追い詰められていた。
圧倒的な力の差がある。
勝ち目がなかった。
私は目を閉じて、死を覚悟する。
「フィーちゃん!!」
ノルちゃんの叫びだった。
赤眼がぴたりと動きを止めた。
ノルちゃんが駆け寄ってきて、私に抱きつく。宙吊りの状態から私を下ろそうと必死になって抱えてるものだから、服は血まみれになってしまった。
私を抱き上げながら、後ろを振り返って涙ながらに訴えた。
「お願い! やめて! フィーちゃんは大切な人なの……」
赤眼は身動きもせず、グルルルと呻いていた。
燃えるような赤い眼でこちらを睨んでいる。
憎悪に満ちた赤さは、色を濃くしていく。
赤眼の憎しみがさらに深まっていったように思えた。




