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13 ノルンの過去

 ――かつて……。


 私は第四王女として王城で暮らしていた。


 モルク国王の四女、ノルン・ドゥ・モルク。


 侍女からはノルン様と呼ばれていた。


 なんの不自由もなく、冒険者とは無縁の生活を送っていた。


「ノルン様、本日のお召し物はいかがなさいますか?」


 いつもは侍女にすべてを用意してもらっている。


 だが、今日はセルディアがやってくる日だ。


 とっておきの衣装を見繕ってセルディアを待つ。


 廊下を歩く鎧の金属音が近づいてきた。


 私がおめかしをしても、彼の姿は毎回同じだ。


 変わったのは歩き方。


 最初の頃は、廊下を歩く音からも緊張感が伝わってきた。


 今は落ち着いた安心感のある音だ。鎧の音と足音を聞くだけで彼のものだとわかる。


 扉がノックされた。


 入室を許可すると、一人の近衛兵が入ってきた。お待ちかねのセルディアだ。


 侍女は私に軽く頭を下げる。


「わたくしはこれで」


 セルディアと入れ違うように退出した。


 彼が私の元へと歩いてくる。私のほうからも彼に近づいていく。


「セルディア……」


 彼の目をじっと見つめると、彼のほうでも見つめ返してくれた。


 私に笑顔を向けながら、挨拶しようと口を開いた。


「ノルン様においては、ごきげん麗しゅう……」


 私は彼の首の後ろに手を回して、引き寄せた。


 慇懃無礼(いんぎんぶれい)なほどに馬鹿丁寧な挨拶をしようとした彼の口を塞ぐ。


 お互いに目を閉じて、軽く唇を押し付け合った。


 そして静かに離れる。


 セルディアの顔がすぐそばにある。それだけで幸せに満たされる。


「いつも唐突ですね。ノルン様は」


「なに言っているの。これが私たちの挨拶でしょ。座って、セルディア」




   + + +




 セルディアとの出会いは本当に些細なことだった。


 かっこいいと評判だったルディアス騎士団長が王城に来られるという情報を聞きつけ、私も野次馬がてらに見に行った。


 ルディアスと会ったのはこの日が初めてだった。


 謁見の間でルディアスは、私の父である国王に挨拶し、王子や王女に順番に挨拶していった。


 流れるような金色の髪。男性とは思えないほど、きめの細かい肌。


 もちろんその美貌に私も惹きつけられてしまったのだが、一目惚れするほどには恋愛に(さと)くなかった。どちらかというと年上の男性に対する憧れのような感覚だけしかなかった。


 ルディアスに積極的にアピールする姉たちの後ろで、私は静かに見ていた。


 姉たちからはどん臭い妹として見られていたものだから、余計に前で出られずにいた。


 たまたまその時に目が合ったのがセルディアだった。


 近衛兵として、彼は部屋の入り口に立っていた。


 特に精悍な顔立ちというわけでもなく、締まりがあるわけでもない。


 どちらかというと田舎から出てきた青年といった感じで、少し野暮ったい印象ではあった。


 しかし、王城からほとんど出たことのない私にとっては、素朴で人当たりのよさそうな彼が気になった。


 彼は平民だった。


 姉たちが時々あまりよくない意味で話題に出す、あの平民だ。


 まさか、その彼と恋に落ちようとは。




 私が部屋を出ようとすると、セルディアは無言でついてきた。


 おそらくは外出する者の警護を言い渡されているのだろう。


 ずっと廊下をついてくる。


 なんだか子犬が後ろからついてくるようで、面白くなってしまった。ちょっといたずら心が湧いてしまい、角を曲がると小走りに走って階段の裏に隠れた。


 そこからそっと覗く。


 セルディアは私のことを慌てて探していた。


 きょろきょろ辺りを見回して、不安そうな顔に変わっていた。


「わっ!!」


 突然、セルディアの面前に飛び出して驚かせた。


 だけど、あまりに距離が近すぎてしまい、彼の顔が目の前に迫っていた。


「うわあっ!」


 セルディアは本気で驚いて尻餅をついてしまう。私は勢い余って彼の上にまたがるように乗ってしまった。


 一瞬だけ、彼と見つめ合った。


「ご、ごめんなさい。そこまで驚くとは思っていなかったから……」


 謝りながら彼の上から降りて、立ち上がる。


 スカートの埃を払いながら冷静を装った。


 私の心臓は激しく鼓動していた。顔は紅潮していたかもしれない。


 彼は、がちゃがちゃと鎧の音を立てながら立ち上がり、そのままじっと(うつむ)いていた。


 視線を逸らすようにして、少し頬を赤らめていた。


 口は真一文字につぐんだままだった。


「何も言わないのね」


「姫様とお話しするだけでも叱られます」


 それ以上は何も喋らない。


 そのまま、お互いに視線を合わせられないでいた。


 私は手持ちぶさたにスカートをつまんでいた。


 二人とも無言になってしまったので、私から彼に話しかけた。


「誰が叱るというのよ」


「その……、上官殿です」


「ルディアスが?」


「い、いえ。私はもっと下の階級ですから。ルディアス様は私のことなど名前も知らないかと」


「そんな下の階級がこんなところに?」


「上官は私に目をかけてくださっておりまして。何事も経験だからと、今回の仕事を任せてくれました」


「ふうん。将来の有望株ってわけね」


「それほどというわけでも……。私は所詮、平民出身ですし……」


「あなた。お名前は……?」




   + + +




 今日のセルディアは、なんだかいつもと違っていた。


 テーブルにはいつも通り、侍女が二人のための紅茶の準備をしてくれていた。


 彼が紅茶を淹れてくれる。二人きりになると率先して動くのはセルディアだ。


 甲斐甲斐しく私のお世話をしてくれるのも、可愛らしくて好きだ。鎧姿とのギャップがいい。


 だが、気持ちがうわついている気がする。いつもより紅茶を多めになみなみと注いでいた。


 いつもと違う理由はすぐにわかった。


「ノルン様。私にも希望が見えてきました」


「もしかして、昇進の話がきたとか?」


「いえ、それ以上です」


「それ以上?」


 一体なんだろうか?


 胸がぎゅっと締まった。


 なぜか私の胸には一抹の不安がよぎった。


「それは本当にいい話なの?」


「もちろんです」


 彼の話によると、とある実験に参加するということだった。


 実験が成功した暁には望みを一つ叶えてもらえるそうだ。


 そんなうまい話があるのだろうか?


 私の勘はよく当たる。


 やめた方がいい、と心の声はそう言っていた。


「私はノルン様との婚姻のお許しをいただこうと」


 彼は私が喜ぶ顔を期待したのだろう。


 暗い表情をしていたかもしれない私に、眉を(ひそ)めていた。


「それは断ることはできないの?」


「ノルン様は私との婚姻を望まれておられないのですか?」


「もちろん望んでいるわ。でも……」


「こんな機会はそうそうないのです。平民である私がノルン様と結ばれるには通常の手段では絶対に無理なのです」


 セルディアの決意は固そうだった。


 やめた方がいい……そう思うのだが、これ以上は強く言うことができなかった。


 ――私は結婚なんて、できなくてもいい。

 ――セルディアがそばにいてくれさえすれば、それでいい。


 そんな簡単な言葉を口にできなかったことを、深く後悔することになる。



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