32 奈落の底
「オマエラモ、オチロ、オチロ……」
「シネ、シネ、オチテ、シネ……」
アサシン・フロッガーは長い腕を振るう。鞭のようではあるが切れ味が鋭い。まるで柔軟性のある長い剣を振るっているようだった。
私のすぐ近くで、血しぶきが上がった。
「うわああああ!!」
ライラさんは苦痛の叫びを上げる。右腕は前腕から上腕まで、ぱっくりと深く切り裂かれていた。傷口から激しく血が噴き出す。
間髪入れず、アサシン・フロッガーの腕がライラさんの右足首をくるくると巻き取った。そのまま勢いよく放り投げて、ライラさんは空中に投げ出された。
「ライラさん!!」
私は叫ぶ。
ライラさんは血しぶきを撒き散らしながら、そのまま穴へと飛ばされる。
大穴が彼女を飲み込まんとして、真っ黒い口をあけていた。
私はライラさんを追って反射的に飛び込む。
後ろでフレア様の叫ぶ声が聞こえた。
「ライラさん!! フィルさん!!」
飛び込みながら、私はなんとかライラさんの左手首を掴んだ。
「くっそーーーー!」
このまま二人して穴へと落ちていく。
落下しながら、身を翻して短剣で衝撃波を放った。
衝撃波はアサシン・フロッガーへと飛ぶ。粘体質の体を両断して、二つに別れたカエルの体はそのままの勢いで天井にぶち当たる。岩に叩きつけられて潰れ、緑色の体液が撒き散らされた。
分身していたもう一匹も自動的に消滅する。
(――あれが特級レベルなのか?)
私は疑問に思う。弱くないか、と。
(――いや、違う)
ライラさんがやられたのだから、間違いなく特級レベルの強さだったはずだ。
きっと、お兄ちゃんからもらったこの短剣が凄いのだ。
でもあと二匹残っている。落下しながら二撃目を放つ。だが、届かない。そのままライラさんと一緒に落ちていく。
その時、背中に強い衝撃が走った。
「がはっ!!」
岩壁から飛び出ていた岩にぶつかったのだ。
激しい痛みと衝撃が私を襲う。なんとか耐えて気を持ち直す。大丈夫、この高さくらいならなんとかなる。落ちながらもなんとか上を見ると、すでにフレア様は小さくなっていた。
フレア様は大丈夫だろうか……。
(――きっと大丈夫。私よりもずっと強いのだから)
ライラさんも同じように岩に叩きつけられていた。だが、声も出ず、反応がない。ライラさんは気絶していた。
落下しながら、私はライラさんを守るように引き寄せる。しかし、すぐに反対側の壁から飛び出た岩にぶち当たる。岩壁からは不規則に岩が飛び出ており、落下しながら何度も岩に当たった。
とにかくライラさんを守ろうと必死で抱き寄せる。
しかし、落下は止まらない。
(――何だ、この高さは……)
いろいろな方向から、ガツンガツンと岩に当たりながら落ちていく。
すでに三十階分の高さは落ちたように感じた。
まだ視界が良ければなんとかなったかもしれない。
下へ行くほどに暗闇に包まれていく。真っ暗な中を落下していきながら、私は横の壁を蹴った。落下の方向を少しでも上向きにすることで勢いを殺そうとした。
(――そうか、あのカエルたちはこの高さを知っていて、戦いの場に選んだのか……)
しかし、勢いを殺すにも限界がある。なにせ、蹴り出す岩や壁が目に見えないのだ。
適当に検討をつけて蹴っているだけなので、何度も空振りがあった。
やがて血の匂いが濃くなった。穴の底がすぐ近くだと察知した私は、岩に足があたったタイミングでうまくライラさんを上に投げる。こうすることで、ライラさんは落下時の衝撃が軽くなるはずだ。逆に私は下方向への力が加わるので勢いよく穴の底に叩きつけられた。
「が、がはっ!!!!」
とてつもなく強い衝撃だった。一瞬、気を失いかけた。
五十階以上の高さはあったのではないか。もしかしたらそれ以上かもしれない。つまり五階層以上は落ちたことになる。
周囲は暗闇に包まれていた。
遅れて、どさりと音がした。
ライラさんも底に落ちたに違いない。
体中が痛い。まるで骨がばらばらに砕けているようだ。
暗くて何も見えない。
それでも私は手探りでライラさんを探す。
「ら、ライラさん……」
温かいものに触れた。手でまさぐると、どうやらライラさんの顔のようだった。
「し、しっかりしてください……。大丈夫ですか……」
ライラさんの体を揺する。頭を打っていたら動かすべきではないのだが、そんなことを考える余裕はなかった。
私は体を起こせず、腕だけを動かしてライラさんを揺すっていた。
ご、ごほっ。ごほっ。とライラさんは咳をした。
「ライラさん……」
か細い声が私の口から漏れた。
「……フィル……お願い……。治癒ポーションを……」
私の持っていたポーションは全部、割れてしまっていた。
ライラさんのポーションは運よく一本だけ残っていた。
ポーションを取り出して口元へと運ぶ。
口の端からポーションをこぼしながらも、なんとか飲んでくれた。
少し動けるようになったライラさんが魔法で明かりをつける。
『……神聖提燈……』
だが、伸ばした腕をがくりと落とす。
「ごめん……、回復までには……時間がかかる……」
ポーションが効き始めるには時間がかかりそうだ。それほどの大怪我だった。
魔法のおかげで、辺りが見えてきた。
地獄のような光景だった。
そこは無数の死体――。
すべて潰れてぐちゃぐちゃだった。
かつて冒険者、警ら隊や騎士団、騎獣や魔獣だったものたち。
それらはほとんど形状をとどめていなかった。
ライラさんが苦しそうに声をだす。
「だいぶ……落ちたみたいね……。どのくらい……落ちた?」
「わかりません……。五階層くらい……」
なんとか言葉を絞り出す。口を開けるだけでも辛かった。
「はは、生きてる……だけで……奇跡だ……」
「……はい……」
「フィルは……大丈夫……?」
「どうにか……」
ライラさんに気づかれないように、荒かった息を整える。
呼吸するだけできつい。肋骨が折れているかもしれない。
心臓が異様に強く鼓動しているように感じる。体は燃えるように熱い。
全身を強い痛みが襲っていて、いまにも気絶しそうなほどだ。下唇を噛んでなんとか持ちこたえる。
「よかった……。フレア様……は……?」
「わかりません……。私達だけが……落ちました」
「そうか……。動けるか……?」
「動け……ます……」
本当はとても動けるような状態ではなかった。
ライラさんはやっとのことで腕を伸ばして上方を指差した。
「あそこに横穴が……ある。あそこから進めるんじゃ……ないか?」
私は懸命に立ち上がる。
「わかりました……。助けを呼んできます……」
ライラさんは力なく、目を閉じた。口だけを動かして声を出す。
「ああ……、私も回復したら……フィルのあとを……追う……」
私は足を引きずり、岩壁に手を置く。
ライラさん、フレア様、どうか……、どうか、助かりますように。
私は二人をここにつれて来てしまったことを深く後悔していた。
二人を助けなくてはいけない。
腕を伸ばし、痛みをこらえながら岩壁を登り始めた。




