16 再び十二階層へ
私はエミルを落ち着かせようとやさしく語りかけた。
「エミル、大丈夫だよ。一度、十二階層まで降りてから、別の経路で十一階層へ上がる道を探そう」
野営したポイントまで戻り、その先へ進むと一本道で十二階層へ続いている。下へ降りて別の迂回路を探すしか選択肢は残されていなかった。
「そんな簡単に行くわけないでしょ」
エミルは取り乱しかけている。混乱し、自暴自棄にでもなりそうだった。
「おい、フィル。お前、かなり無理なことを言っているぞ」
ボルザも私を嗜めるように声を荒げた。
「十二階層へまた行くなんて、考えられない」
エミルは怯えた声で拒絶する。
私は二人を説得するように話しかける。
「だって、戻るしか道はないんだよ」
道は崩されており、前に進むことはできない。野営地点からここまで道は一本道だった。
引き返して十二階層に降りるしかないのだ。
これしか選択肢がない以上、ここで立ち止まっていても仕方がない。
「戻るしかないことはわかっているが……十二階層の魔物は尋常じゃない強さなんだ」
ボルザは十二階層の魔物を警戒しているようだった。
「大丈夫だと思うのだけど」
「フィル、本気で言っているのか。魔物から身を隠して進むのは不可能だ」
私は荷物持ちとして戦闘を見ていただけだ。それでも魔物の強さはだいたいわかっていた。
「二人は怪我をしているから全部私が倒すよ。私がやるしかないから」
二人を安心させるように、低く落ち着いた声を出した。そのまままっすぐ二人の目を見た。
ボルザとエミルが落ち着くように、「大丈夫」と声をかけ、深く頷いてみせた。
お兄ちゃんの言葉を思い出す。
『どんな時も諦めるな。諦めたらそこで終わりだ。たとえ窮地に陥っても、強い心を持て。死神すらよせつけるな』
それがお兄ちゃんの教えだ。(本当は私に向けた言葉ではなく、お兄ちゃんが自分に言い聞かせていた言葉だけど)
「フィルの口調、ベテランの冒険者みたいに自信にあふれてる……」
エミルは少し落ち着きを取り戻していた。そんな彼女が私に聞いてくる。
「フィルは七級なのよね」
「そうだよ。これが二つ目の仕事」
「さっきね、蜥蜴の魔物に襲われた時、私を守ってくれたフィルはすごく強く見えた」
「そうかな? 五級冒険者の足元にもおよばないとは思うけど」
「だってフィルが二人に見えたんだよ。それくらいすごかった」
「まあ、実際に二人になっていたしね」
「ん……?」
何を言われたのかわからない様子のエミル。
目をぱちくりとさせていた。
そういえば、このパーティのみんなは誰も分身しない。
どうしてなのだろうか。
分身して戦ったほうがたくさんの魔物を相手にできて便利だと思うのだけど。
山にいた時、私は三×三の九分身をしていた。その状態で森を飛び回ると高揚感がすごくてとても楽しいのだ。まるで妖精にでもなった気分だった。
お兄ちゃんは二分身までしかできなかったから、いっしょに遊んではくれなかったけど。
かわりにたくさん戦闘訓練をして、それがお兄ちゃんとの思い出だ。
お兄ちゃんからはいろいろなことを教わった。ここでもそれを役に立てることができるかもしれない。
ライラさんからお兄ちゃんのことはなるべく内緒にしておくように言われていたから、王国騎士団長をしていることは伏せて二人に語りかける。
「私のお兄ちゃんはかなり上の階級まで到達した冒険者だったんだよ。私はそんなお兄ちゃんに小さい頃から戦闘の知識を教えられ、鍛えられてきた」
「魔物と戦っていたフィルは、確かに強かったな」
ボルザの言葉に、エミルも頷く。
「うん、すごかった。まるで上級冒険者のようだった」
私は二人に対して、自信を持ってこう言った。
「それはきっとお兄ちゃんのおかげだ。私はお兄ちゃんに教わったことを実践しているだけだよ。七級だけど、私にもできることがきっとあるはず。十二階層のワーウルフくらいなら倒せると思う」
ところが、私の言葉をボルザとエミルは即座に否定する。
「いやいや、ありえないぞ、フィル。絶対に無理だって」
「私もそう思います。いくらなんでもそれは無茶です」
少し声を荒げながら、二人は主張した。
二人がそう判断するのも無理がないと思った。
ボルザもエミルもかなり疲れている。げっそりとしており、かなり疲労の色が濃く顔に現れていた。
しかも体中には無数の痛々しい傷あとがある。今も顔や腕から血がにじみ出ている。
「二人とも、ここまでの長い行程と戦闘の連続でとても疲れているし、かなりひどい怪我もしているよね」
私は二人に向き合う。
「お兄ちゃんはこうも言っていた。『疲労や負傷は判断力を鈍らせる』と。だから、私が倒せないと思ってしまうのも無理はないんじゃないかな」
「そんなはずはない。十二階層の魔物はかなりやばかった」
「そうです。そんなに簡単に倒せる相手ではありませんから」
ボルザは強く否定し、エミルは必死に訴えかける。
私は二人の言葉を聞きながら深く頷く。
「疲れすぎて判断力が落ちているんだよ」
対称的に私は明るい声で笑顔を返した。
私の態度が楽観的すぎたのか、ボルザは苦笑する。
「納得はできないが、確かに疲れているのは事実だな。それに体中がぼろぼろだ」
エミルもため息を吐きながら、体をさする。
「ボルザも私もあちこち傷だらけです。私なんてあまりの痛さで立っているのもやっと」
二人は疲労と負傷で辛そうだった。歩く元気もなさそうだ。ボルザは歯を食いしばって痛みに耐えている様子だった。エミルに至っては立ちながらふらついている。
それでもダンジョンから脱出しなければならないのだ。
目の前の二人を私は元気づける。
「とにかく進むしかないんだ。私だけが無傷で疲労もしていない。なんとかここから脱出するためにも、お兄ちゃんから教わったことを試していくしかない。私の背後に上級冒険者のお兄ちゃんがいると思ってほしい。みんなで絶対にここから脱出しよう」
ボルザもエミルも十二階層へ戻るしかないことはわかっているはずだった。
けれど、怪我だけでなく不安や恐怖がその足を止めているのだ。
こんな状態でダンジョンの奥深くに取り残されしまったのだから無理もないと思う。
私は説得を続けた。しばらくすると、二人はなんとか十二階層へ向けて歩き出してくれた。
私だって怖くないと言ったら嘘だ。
だけど、私まで怯えてしまったら本当に脱出することができなってしまう。
ここは空元気でもいい。少し無理してでも楽観的に振る舞うくらいがちょうどいいのだと思った。
大丈夫。お兄ちゃんの教え通りにやっていけば、きっと外に出られるはずだ。
***
私たち三人は十二階層へ降りる階段を目指して進む。
野営道具は邪魔になるため全て置いてきた。食料がないので調理道具は使えないし、テントで寝てしまうと魔物の襲撃に気がつくのが遅くなるからだ。なにより、戦闘になった時に身軽な方がいいと判断した。
持ってきたのは僅かな装備品と少しだけ残されたポーション類だけだ。
エミルが回復のポーションを一本残している。
私のポーションは二本とも残っている。
ポーションは色でその効能が違うそうだ。私のもエミルと同じ回復ポーションだった。治癒のポーションであればボルザたちの怪我を直すことができたかもしれなかった。
下へ降りる階段が視界に入った。
「ここからが先が十二階層だね」
ささやくように小さな声で二人に声をかけた。
岩でできた階段は壁沿いにあり、一人がやっと通れる幅だ。階段全体の高さは身長の十倍以上はある。踏み外すと固い地面へと叩きつけられる。
私は早足で先に降りきる。ダンジョンの構造を少しでも早く把握しておきたかった。
慎重に進むボルザとエミルは壁にしがみつくようにびくびくと降りていた。
「本当に別の道があるのでしょうか」
震える足で階段を降りているエミルが不安そうに言う。
「探すしかないだろ」
ボルザは気丈に応える。
「下の階層から魔物が上がってきたりはしないでしょうか?」
エミルは心底怯えている声だった。宥めるようにボルザが話す。
「魔物は階層間の移動はしないよ」
「十三階層は一級冒険者でも足を踏み入れることをためらう地獄の階層なんでしょ。もしそんな魔物たちが十二階層に上がってきたら……」
「そうしたら俺達は一瞬で殺されるだろうな。余計なことは考えないことだ」
二人の話が耳に入ってしまった。この下の階層は恐ろしいところらしい。
山にいる時に、本でいろいろな冒険譚を読んできた。冒険者たちは窮地に陥ったり、恐怖を味わったりしていた。けれどそれは疑似体験でしかなく、実際に体験してみたいといつも思っていた。
思わず「地獄の階層」というところを想像してしまって苦笑する。そんな階層を見てみたい自分がいるが、首を振って想像を打ち消す。
二人の会話も気になったが、今は他にやることがある。この先の道を調べることが優先された。
階段を降りる二人を待つ間に、私はこの先の構造を調査する。
耳を澄まして小さな音に注意する。
肌に感じる微かな魔素に神経を集中する。
人差し指を口に含み、唾液で湿らせてから指を立てた。
その間に二人は私のところまでやってきた。
ボルザとエミルに問いかける。
「二人は空気の流れでダンジョンの構造って感じ取れる?」
問いかけに二人とも首を振る。
「お兄ちゃんから地形の把握方法は習っているので任せて。空気の流れだけでなく、魔物の匂いとか、魔素の流れとかでもある程度、道はわかるから」
ボルザが私に尋ねる。
「もしかして魔物を避けて進むこともできるのか」
「避ける経路があれば可能だけど」
「じゃあ、なるべく避けていこう」
ボルザの言葉に、私は首を傾ける。
「そうなの?」
私の問いかけに、ボルザは不満そうな顔をする。
「そうなのって、無駄な血を流さないに越したことはないだろう」
「魔物の血を、って意味?」
「いや、俺達の血ってことだが」
ボルザは顔を顰める。
「疑問だったんだけど、ここに来るまでに魔物を警戒したり、遭遇を避けたりしてたよね。いったいどうしてなの?」
「そりゃ、なるべく戦闘は少ないほうが……」
「なぜ、少ないほうがいいの?」
「なぜって、負傷するかもしれないし、なるべく疲労は避けたいし……。なにより命の危険が……」
ボルザは不機嫌そうに答えた。
平静を保つ私に対して、彼の態度は対称的だった。
「今は食料もないわけだし、最短経路でいったほうがいいと思う」
私とボルザの会話にエミルが口を挟んできた。
「戦闘はなるべく避けるべきです」
エミルは口を真一文字にし、毅然と言い放つ。
「そういうものなの? じゃあこの先、二股を右へ行くと早そうなんだけど、例の魔物、ワーウルフが三匹ほどいて……」
「避けよう」
「避けましょう」
「でも、そっちの経路のほうが絶対早いのだけど……」
「いや、やばいって、まじで」
「もしかして私じゃ倒せないと思っている? 七級冒険者じゃ無理だって」
私は腕組みをして考え込む。
二人はあまりにも慎重になりすぎているように思う。でもそれも仕方がないことだ。
疲れていて思うように体が動かせないのかもしれないし、負傷も私が思っているよりひどいのかもしれない。
かわりに私が率先して動くしかないのだ。
「ここを通らないとかなり遠回りになる。ちょっとここで待ってて。すぐに戻るから」
止めようとする二人を置き去りにして、なるべく足音を殺しながら走り出す。やがて分かれ道が見えたので右へ曲がる。
遠目に魔物が視界に入った。反撃を食らう前に、瞬足で距離を詰める。
周りに誰もいないと、思う存分短剣を振るうことができる。それでもダンジョンの壁に被害がいくようなことだけは避ける必要がある。
ワーウルフの首元だけに狙いを定め、三連撃。三つの首が同時にふっとび、落下する。三つの頭部が同時に地面に落ちた。
そこにいた魔物を倒し、二人の元へと急いで戻る。
「おまたせ。三匹とも倒しておいた」
「へっ?」
聞こえなかったと思い、もう一度同じことを言った。
「三匹とも倒しておいた」
「こんな短時間で、そんなわけ……」
疑い深い二人を急かして先へと進む。
二股を右へ曲がったところに、三匹の魔物の死体が横たわっている。
「ほんとうに倒されている……」
***
そうしてこの先も魔物の気配がある度に、私が先へ行って倒す展開が続いた。
しばらく歩くと空気の流れが上向きに変わった。
「もしかしたら十一階層への階段があるかもしれない」
少し進むと上へ登る階段が見つかった。
ボルザとエミルの安心するような顔が目に入った。
でも、私は二人に違う提案を持ちかけた。
「ちょっと相談があるのだけど……」
二人は何事だろうと、私の言葉に注目した。
「ここを登るよりも、先へ進んで、十三階層まで降りてから回ってくる経路のほうが、結果として早く上まで行けそうなのだけど」
一瞬、何を言われたのかわからない様子の二人。
「ここを登らないで、十三階層まで降りてみようかと……」
私が最後まで言い終わる前に、ボルザとエミルの二人の声が重なった。
「却下だ、却下!」
「絶対に却下よ!」
ボルザは目を吊り上げ、エミルは顔を歪めている。
「でも、そっちのほうが早く帰れると思うのだけど……。それに地獄の階層というのも気になるし。せっかく来たのだから、どういうところだか見てみた……い……!?」
ボルザもエミルも私の言葉を待たなかった。
「い……え!? ちょっと待って!?」
消極的だった二人は私の手を強く引き、勢いよくぐんぐんと階段を登り始めた。
がっちりと私の手を握り、足取りもしっかりしていた。私はなされるがままだった。
さっきまでは今にも倒れてしまいそうな二人だったのだ。
どこからこんな元気が湧き出てきたのだ?
残念ながら、ここで十一階層へと登ることになってしまった。
私は二人に引っ張られながら、名残惜しい視線を十二階層に落としていた。




