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隣の石田くん(仮)  作者: 北海
第二話:不運は続くよどこまでも
4/4

03

 私立西原高校は、私立であるにも関わらず授業料が公立並みに安い。この不況の折にあって、「施設設備費」や「部活動費」などというその他諸費用も、一般的な公立校並みの水準を保っている。有体に言ってかなり保護者の懐に優しい私立学校だった。

 そもそもこの学校の創立者たる加賀清介なる人物が戦後特需やバブル期を経て有り余るほどの財を成した後、自らの故郷である西原市へのいわば恩返しのような形で創立されたのがこの学校である。加賀清介には妻子がなく、自身の死後遺産を国に取り上げられるよりは、故郷の未来への投資を選んだのだと、西原高校の入学案内パンフレットには記されている。それを証明するかのように、この西原高校には成績優秀者やスポーツ特待による奨学金援助の他、「西原市民枠」などという謎の優遇措置まであるのだから徹底している。

 その徹底ぶりはなにも金銭的なものだけに留まらず、ある意味この高校最大の特色とも言える学生自治の分野においても顕著に表れる。

 創設者加賀清介は、「教育は未来の国民のためにあり、学び舎は国家の縮図である」という理念の元、学生自治の制度確立に最も心血を注いだ。生徒会役員選出のための選挙制度にはリコール制度と健全な生徒会運営がなされるよう監視する監査委員会を設置することで、独裁や癒着を防止する自浄作用を期待した。また、幾つかの手続きこそ必要とするものの、学校における法律――校則の改変の権利も学生に託したのである。

 とりたてて偏差値が高いわけでも、国体優勝常連の体育会系部活や全国常連の文科系部活があるわけでもないけれど、私立西原高校が昔から変わらず一定の評価を得続けているのは、このようにミニチュア国家とも言うべきユニークな学生自治を行っているからである。三権分立の考え方で言えば、主権と立法権は全校生徒に、行政権は生徒会に置き、司法権は教員を始めとする大人たちが持つことで、「学生任せ」や「権利の暴走」に陥る事態も防いでいる。

 だが、学生の自治活動が盛んだということは、それだけ学生たちが自ら行わなければならないことが多岐に及ぶということでもある。そのため、西原高校では全生徒が、何かしらの委員会に所属するか、学級の係になることが義務付けられていた。

「そういうわけで、委員決めをせにゃならんのだが」

 言って、担任教諭である加賀清一はぴら、と持っていたファイルから一枚の紙を取り出した。

「入学してすぐの一年生のこの時期だけは、それぞれのクラス担任の独断と偏見で委員を指名しても良いことになってる。隣の柚木先生は生徒たちの自主性に期待するとかで自分たちで決めさせるみたいだが、そんな入学早々お前らの間に諍いを生みかねないやり方はリスキー過ぎるんで却下だ」

 えー、と口ぐちに不満の声が上がる。

 皆、何かしらの委員や係にならなければならないことは承知している。だが、それでもやりたくない委員、なりたくない係というものはあるのだ。

 少しざわつき始めた教室に、加賀は小さく息を吐く。

「声がでかいのや図々しいのばっかり自分の主張をゴリ押しして、人見知りのが不満を溜めないようにっていう、先生からのありがたーい気遣いだろうが。大体、クラス全員分決めんのにどれだけ時間かかったと思ってんだ。辞退も交換も認めんからな」

「でも、先生私たちと初対面でしょ? どうやって決めたの?」

 窓側の席に座っていた女子生徒が、不満そうな顔を隠しもしないでそう尋ねる。

 その問いに、加賀は胸を張って答えた。

「昨夜、酒飲みながらダーツで決めた」

「想像以上にヒドイ方法だったんだけど!」

「このダメ教師!」

 せめて中学からの内申書を見るとか、とぶつぶつ文句を言う面々に、加賀は耳を押さえてわざとらしく聞こえないフリをする。

「黒板の横にこの紙貼っとくから、休み時間にでも自分が何になったのか確認しておけよ。ついでに俺は数学教師なので、このクラスは数学係も学級委員長と副委員長並みにこき使うからそのつもりでよろしく」

 その瞬間、クラスの人員のほとんどが学級委員長と副委員長だけでなく、本来比較的楽なはずの数学係に指名されたであろうクラスメートに大いに同情した。

 ただでさえ、この高校は委員会活動が熱心で忙しいと言われている。そこに堂々と担任からの「こき使う」宣言である。なむなむ、と合掌しつつ、誰もがその三つだけには当たってくれるなと祈った。


                 *


「そんなわけで、落とし穴にはまった気分でいっぱいの数学係、藤峰うたです」

「藤峰さんね。私は稲森素子、学級副委員長よ」

 よろしくね、と会釈されて、うたはこちらこそよろしくお願いしますとへこへこ頭を下げた。

 放課後、入学式当日だというのに早速呼び出された学級委員と数学係二名、計四名である。なんでも、明日以降のオリエンテーションやLHRで使うプリントをひとり分ずつまとめてホチキス止めしてほしいのだとか。

 作業自体は教室でやるとして、まずはそのプリント類とホチキスをもらわねばと職員室に向かい、今は教室に戻るところなのである。

 うたの相方となるもうひとりの数学係は吉澤明紀という気弱そうな男子で、人見知りの気があるのかそわそわと落ち着きがない。

(……いや、アレは人見知りじゃなくても気まずいかもしれない)

 最後のひとり。眉間の皺はそのままに、貝のように口を閉じたまま黙々と歩を進める石田を見て、うたは苦笑した。

『宿主殿は、この仏頂面がでふぉるとじゃからなあ』

 自称背後霊もまた、吉澤の挙動不審ぶりの原因は石田にあると思っているらしい。美人の不機嫌顔って迫力あるもんねと、うたは声に出さず同意した。

 お隣さんになった彼の名前は、石田貢。学級委員長にサックリ決まってしまった辺り、命に関わりないところでも不運なのかもしれないとうたはこっそり思う。

 これで担任が委員決めを内申書を見てとか入試の成績を見てなどという根拠を持って行ったのならまだしも、ダーツで決めたという適当感溢れる人選なのだ。数学係になってしまったうたが言えたことでもないのかもしれないが、そんな決め方で見事学級委員長に指名されてしまうなんて、なんと運の悪いことだろうか。

「にしても、凄い量のプリントだよね」

「西原高校名物、宿泊研修が今月末にすぐあるからね。きっと学級委員はこれからLHRで大忙しだよ」

 西原高校は、各学年が年に一回、気合の入った旅行行事を企画する。

 一年生は、親睦会も兼ねてゴールデンウイーク前に行く宿泊研修。二年生は修学旅行、三年生は遠足だ。

 中でも一年生時の宿泊研修は、入学したてということもあり友達作りの最大のチャンスでもある。クラス内の交流は夏休み明けにある学校祭で図れるとしても、クラスの枠を超えるとなると同じ部活動や委員会にでも所属しない限りなかなかチャンスはない。だからこそ、入学したてのこの時期に、せめて顔と名前を知り合う機会を設けようというのが学校側の意図なのである。

「はあ。ちょっと憂鬱。私、学級委員だけは何が何でもやらないぞって思ってたのに」

「生徒会入りするための登竜門みたいなもんだからねえ」

 まるで議員を目指す人間が政党の党員になったり議員秘書を務めたりするように、まずは学級委員となってちょっとでも生徒会活動に携わってみる、というのが生徒会入りを目指す生徒の定石なのだ。

 そのため、各クラスの学級委員を務める人間は良く言えばやる気のある、悪く言えば野心強い生徒が多く、自薦ではなく他薦で学級委員となった人間には少しばかり居心地が悪い委員会なのだ。

 それもあるけど、と稲盛は続けた。

「私、小学校からずっと学級委員やっててさ。あれって一回やると次も稲盛さんで、みたいに推薦されちゃうから断れなくて、高校では絶対他の委員になるんだ、って気合入れてたの」

 なのにまた学級委員なんだから、やんなっちゃう。

 ため息交じりに言う稲盛に、うたはそうだよね、と眉を下げた。

「でも、学級委員は通年じゃなくて半期の任期だし。後期になったら違う委員に立候補すればいいんだよ」

「数学係は通年だけどね……」

 吉澤が暗い声を出す。

 こき使われると宣言された立場は同じでも、石田と稲森は半年でお役御免になれるかもしれないのだ。入学初日から大量のプリントの整理を頼まれた身としては、これから一年を憂慮したくなるのも無理からぬ話だろう。

 ぴく、とうたの視界で黒い靄が揺らいだ。うた、と声にならぬ声が届く。

「石田くん、ちょっとストッ――」

「きゃあ!?」

「――プ、って……あらまあ」

 効果音をつけるなら、ぴた、どん、どさ、ばさあ! だろうか。

 頭から順に、うたに呼び止められた石田が曲がり角手前で足を止め、けれど向こうから飛び出した女子生徒が彼の存在に気づかず正面衝突した音。そしてその女子生徒が尻餅をつき、彼女が持っていたのであろうプリントがざざあ、と勢いよく廊下にばら撒かれた。

 あちゃあ、とうたは額に手を当てる。ふよふよと浮いてきた黒い靄こと、自称石田の背後霊もまた、うたの隣であちゃあ、とでも言いたげな雰囲気を纏っている。

「だ、大丈夫!?」

 吉澤が慌てて転んだ女子生徒のもとに駆け寄る。すると、後ろにのけぞっていた女子生徒の頭がぐりん、と前を向いた。

 そのあまりの勢いにひい、と小さく悲鳴を上げた吉澤を、女子生徒がぎ、っと睨み上げる。

「いったあ~い……もう、誰!? あんなところで立ち止まってるなんて! 危ないでしょ!」

 だが、女子生徒は顔を上げた先にいた石田を見て、ぽかんと口を開けた。

 さもあらん。うたはうんうんと頷く。そりゃ驚くよね、何の前触れもなくあの絶世の美貌が目の前にあったら! と。

 正確にはうたの時とは違い女子生徒と石田の距離はさして近くもないのだが、それでも初対面の人間には総じて似たような反応をされるのが常である石田は、女子生徒の反応にやはり何ら頓着することなく、ダイヤモンドダストもかくや、ばかりに冷たい瞳で未だ廊下に座り込んだままの女子生徒を見下ろした。

「前方不注意はそっちだろう。突進してきた勢いと同じで、猪並みの頭しか」

「すとーっぷ! 落ち着こう、石田君。相手は可愛らしい女の子だ!」

  はっし、とうたは石田の制服の裾を掴んだ。暴言、ダメ、絶対。これまた不機嫌そうな目で振り返って睨まれたが、無言でふるふると首を振る。ここで引き下がってはいけない。

 うたが石田を止めている隙に、稲森が半歩前に出て女子生徒と向かい合った。

「貴女、さっき向こうから走って来なかった? そっちの方が危ないと思うんだけど」

 言いながら、稲森は不快そうに眉をひそめる。

 うたが石田を呼び止めたのは彼の背後霊に指示されたからでもあるが、パタパタと小走りで駆ける足音が近づいて来ていたからでもあった。もちろん、その足音はここにいる四人全員が聞いている。音と女子生徒が現れたタイミングを考えれば、廊下を走っていたのが誰かなんてすぐにわかるのだ。

 稲森の指摘に、女子生徒は一瞬しまった、とでも言いたげな気まずそうな表情になった。だが、すぐに強気な態度に戻り、「そ、そんなの、急いでたんだから仕方ないじゃない」と開き直る。

 あらら、とうたは今度は頬に手を当てた。どうにも、あまり素直じゃない性格の子らしい。

 これは言えば言うだけ頑なになるなと、稲森にもわかったのだろう。ため息をひとつ吐いて、自分の持っていたプリントを一度隅に置き、女子生徒がばら撒いたプリントを拾い始める。

「え? ちょっと……なにやってんのよ、それ」

「急いでるんでしょ? ならぼうっと見てないで貴女も拾いなさいよ」

「い、今やろうと思ってたんだから!」

 なんだろう、この思春期の母娘みたいな会話。うたは遠い目をした。この場合、女子生徒の精神年齢が低いのか、稲森の精神年齢が高いのか。両方、という可能性もあるけれど。

 膝を曲げてプリントを拾う女子ふたりに触発されたのか、吉澤も一緒になってプリントを拾い出す。

 うたも自分の足下にまで滑ってきていたプリントを拾おうと身を屈めたところで、稲森が再び「石田くん!」と声を上げたのにパッと顔を上げた。

「見てないで、一緒に手伝ってよ。そうしたら早く終わるしさ」

「断る」

「……は? こ、断る? なんで……」

 その稲森の問いには答えず、石田はすたすたと歩いて行ってしまう。

 ちょっと! と今度は稲森も多分に怒りを含んだ声を出すが、石田は立ち止まる気配もない。

 憤然と肩を怒らす稲森と、さっさと遠ざかっていく石田と。うたはきょときょとと双方を見比べて、ううん、と暫し悩んだ。が。

「はい、これ。こっちに飛んできた分。私、石田くん追いかけて来るね!」

「え? ちょっと、藤峰さんまで……!」

「二人の分のプリント、ちょっと持って行くからさ。ちょっとひとりにしとけないっていうか……とにかく、教室で!」

 再び、稲森の声が石田の時同様追いかけて来たが、うたは後ろ髪を引かれながらも出来るだけ急いで石田の後を追った。

 急いでくれ、と石田の背後霊が言う。焦りを滲ませたその雰囲気に、わけがわからぬまま足を速める。

「石田くん!」

 いた! 階段の手前に学生服の背中を見つけ、うたは大きな声で石田を呼んだ。

 さきほど稲森の呼びかけを無視していたことを考えれば、うたも同じように無視されるかもしれないと思って大声を出したのだが、石田はうたの声に素直に足を止めると、ついと半身だけ振り返った。

「走るな。別に逃げたりしない」

「いやいや、それさっき稲森さん無視してさっさと行っちゃった人のセリフじゃな」

 うたの言葉を遮ったのは、けたたましい窓ガラスの割れる音だった。

 間を置かず、石田の頭部スレスレを何かが通り過ぎ、バン! と壁に叩き付けられる。

 咄嗟に二人の間に残っていた距離を詰め、うたに覆いかぶさるように壁に手をついていた石田は、壁にぶつかった後てんてんと廊下に転がる白球に吸い寄せられるように視線を向けた。

「野球……ボール……?」

 割れた窓ガラスの向こうからは、体育会系男子特有の野太い声。気のせいでなければ、窓割っちゃった、だのなんだの騒いでいるように聞こえた。

 窓の向こうを見て、割れたガラスを見て、へこんだ壁と転がるボールを見て。うたと石田は、無言で互いの顔を見やったのだった。

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