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『誰のための戦争だ』  作者: Yukiya


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6-3:迫る追撃

6-3:迫る追撃


最後の一団が通路の出口に近づいたとき、空気が変わった。


男は反射的に顔を上げる。


遠くで鳴っていた砲声とは違う。

もっと近い。

乾いた連続音。

壁に弾が跳ねる硬い音。

通路の外側から、砕けたコンクリート片がぱらぱらと降ってくる。

音はまだ直接の姿を見せていないのに、それだけで十分だった。

距離。

角度。

反響。

迫ってくるものの輪郭が、彼の中で一瞬にして組み上がる。


追撃だ。


だがそれは、単純に敵兵が迫ってきたというだけではなかった。


別方向からは味方の砲撃も近づいている。

さきほどから地面を揺らしていた振動が、明らかにこちらへ寄ってきていた。

無線を切った以上、こちらはもはや保護対象ではない。

敵にとっては排除すべき群れであり、味方にとっては命令に従わない障害物になりつつある。

どちらの論理から見ても、この避難民たちは踏み潰されやすい位置に押し込まれていた。


まるで、敵か味方かを問わず、戦争そのものがこちらへ迫ってきているようだった。


人を殺すのは、いつも敵だけではない。

命令も、砲撃も、誤認も、遅れも、恐怖も、すべてが同じ方向から押し寄せてくる。

そのことを、男は骨の中まで知っていた。

そして今、その圧力はこの細い通路ごと、ここにいる人間たちを押し潰そうとしていた。


男は瞬時に周囲を見る。


出口まで、まだ数十メートル。

だがその先の開けた空間を渡るには時間がかかる。

老人の足は限界に近い。

母親たちも消耗している。

子どもたちの呼吸は乱れ、転倒者が出れば一気に列が詰まる。

誰か一人が止まれば、後ろの全員が止まる。

そうなれば、この通路はただの逃げ道ではなく、まとめて仕留められる袋小路に変わる。

弾も十分ではない。

牽制しながら全員を通すには、手数が足りない。


男は歯を食いしばった。


時間がない。

そして何より、全員を一緒に動かせる段階を過ぎつつあった。


前方では少年が振り返り、男を見た。

その顔には、はっきりと不安が浮かんでいる。

恐怖だけではない。

何かが崩れかけていることを感じ取り、その正体を知りたくないまま知ってしまいそうな目だった。

その目を見た瞬間、男はこの子がもう薄々分かり始めていることを悟る。


自分が、ここに残ろうとしていることを。


男は一度だけ周囲を見渡す。


狭い通路。

崩れた壁。

高所を取られれば終わる構造。

瓦礫の陰は少ないが、そのぶん射線は絞れる。

入口側の幅は狭く、二、三人ずつしか同時に入ってこられない。

さらに、崩落寸前の支柱がある。

あれを適切な角度で撃てば、通路そのものを半ば埋められるかもしれない。

完全に塞ぐことはできなくても、相手の速度を大きく削ぐには十分だ。

その数十秒。

あるいは一分。

その程度の時間があれば、前方の群れは開けた場所を渡りきれるかもしれない。


全員を逃がすには、自分がここに残るしかない。


その結論は、計算としては一瞬で出た。

そしてその早さに、自分でも驚くほど迷いが少ないことを男は知る。


死ぬ可能性は高い。

いや、おそらく戻れない。

追撃だけではない。

味方の砲撃も近づいている。

この場所に残るということは、敵と味方の両方の論理から外れるということだ。

どちらからも守られない場所に、自分から立つということだ。


それでも、この場に残る役目を引き受けるべきなのは自分しかいない。


走る速さも、撃つ精度も、地形を読む力も、ここで時間を稼ぐために使えるのは自分だけだ。

この群れの中で、最後尾に立てるのは自分だけだ。

怖れを押さえ込み、崩れかけた構造ごと利用し、秒単位で死を遅らせられるのは自分しかいない。


少年と避難民たちは前へ行ける。

自分が残れば。


その事実が、男の中で静かに形を結んでいく。

命令ではない。

誰かに与えられた役割でもない。

自分が、自分で選ぶ役割だった。


男の中に、静かな覚悟が降りてきた。


恐怖がないわけではない。

身体は死の輪郭を正確に知っている。

どこから撃たれれば終わるかも、どの崩落が致命傷になるかも、彼は理解している。

だがそれ以上に、これがようやく自分の選んだ戦いなのだという感覚があった。


命令で与えられた戦場ではない。

数字で塗りつぶされた区域でもない。

誰かの言葉に従って進むだけの戦いでもない。

目の前にいる人間たちを生かすための、たったひとつの選択としての戦い。

そのために残るのなら、自分がここまで戦場で削り落としてきたものも、無駄ではなかったのかもしれない。

そんな考えが、ほんの一瞬だけ胸をよぎった。


「急げ」


男の声が低く響く。


「出口の先まで走れ。振り返るな」


避難民たちが最後の力を振り絞るように動き出す。

よろめきながら。

支え合いながら。

転ばないよう必死に足を前へ出しながら。

その背中には、もう余計な言葉を受け取る余裕はない。

あるのはただ、前へ行けという命だけだった。


少年だけが、その場に縫い止められたように立っていた。


男はその少年を見た。


まだ何も言わない。

だがもう、自分が何を決めたのかを伝える時間が近づいていることを、彼も分かっていた。

少年の目は揺れている。

拒みたい。

離れたくない。

それでも、次に何を言われるのかを、どこかで理解し始めている目だった。


通路の奥で銃声がさらに近づく。

頭上の鉄骨がきしむ。

粉塵が舞う。

壁のひびが、音もなく広がっていく。

戦争が、すぐそこまで来ていた。


そしてその只中で、男は初めて自分の意志で最後の役割を受け入れようとしていた。


それは命令された任務ではない。

褒められる戦果でもない。

記録に残る勝利でもない。

ただ、誰かを前へ行かせるために、自分がここで止まるという選択だった。


その選択だけが、いまの彼をいちばん静かに、そしていちばん強く立たせていた。


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