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『誰のための戦争だ』  作者: Yukiya


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第6章 逃がすための戦い 6-1:最後の道

6-1:最後の道


避難民たちを連れた男は、崩れた商店街の裏手で足を止めた。


前方には、細い通路が一本だけ伸びている。

かつては建物の搬入口か、あるいは市場へ荷を運ぶための裏路地だったのだろう。

両側の壁はひび割れ、上部の鉄骨は今にも落ちてきそうなほど歪んでいる。

路面には瓦礫が散らばり、足を取られれば簡単に転倒する。

しかもその先は、開けた通りに接続していた。

そこを抜けるには、砲火の届く危険地帯を横切らなければならない。


安全な道ではない。

むしろ最悪に近い。


だが、他に道はなかった。


北側の路地はすでに崩落している。

東へ回れば敵味方の交戦区域に入る。

地下通路は途中で水没し、老いた者や子どもを連れて進むには無理がある。

西側は見通しが良すぎて、砲火と狙撃の両方に晒される。

消去法の果てに残ったのが、この最後の細い道だった。


男は通路の奥をじっと見つめ、頭の中で距離と時間を測る。


次の砲撃までの間隔。

煙が風に流れる向き。

敵の視界が通る位置。

崩れかけた壁の陰に何人まで身を寄せられるか。

走れる者と、歩くしかない者の速度差。

誰がどこでつまずきやすいか。

どこで群れが詰まり、どこで音が響きやすいか。

一歩間違えば全員がまとめて動けなくなるような状況を、彼は冷静に分解していった。


計算は癖になっている。

戦場に出てから長い時間をかけて、身体の奥に刻み込まれたものだ。

どの角度で撃てばいいか。

どの壁が崩れやすいか。

どこに身を伏せれば生存率が上がるか。

それらはかつて、敵を倒し、自分が生き残るための知識だった。


だが今、そのすべてが別の方向へ使われていた。


どこを通せば、この人々が少しでも死から遠ざかるか。

どこで立ち止まらせれば、最も弱い者が助かるか。

彼の視線はもはや敵を探しているだけではなかった。

先回りして、死の方を避けようとしていた。


「ここしかない」


男は低く言った。


避難民たちの顔が強ばる。

誰もがその通路の危険を見て取っていた。

壁は今にも崩れそうで、足元は不安定で、その先には空の開けた場所が待っている。

逃げ道というより、死に向かう細い綱のように見えたかもしれない。


だが、戻る場所はない。

立ち止まっても死が遅くなるだけだと、もう皆分かっていた。

この戦場では、「もっと安全な場所」は、しばしば存在しない。

あるのは「今いる場所より少しだけましな死に方」か、「少しだけ生き延びられる可能性」だけだった。


男は群れの前へ出る。


「三つに分けて通す。歩ける者が前、子どもと怪我人を中央、最後尾は俺が見る。合図するまで動くな。走るな。転んでも叫ぶな。立てないなら隣の人間が支えろ」


その指示は簡潔で、迷いがなかった。

声は大きくない。

だが不思議と、誰の耳にもはっきり届いた。

人を叱りつける声ではなく、現実だけを削ぎ落として差し出す声だった。


避難民たちは頷いた。

軍人の命令に従っているというより、今はこの男だけが道を知っていると理解している顔だった。

誰かが先に決めなければならない。

誰かが危険の順番を見極めなければならない。

そしていま、その役を担っているのはこの男しかいなかった。


男は角に身を寄せ、通路の先をもう一度見た。


遠くで砲撃音。

数秒後、地面が震える。

さらに三拍遅れて粉塵が舞う。

壁の上を走る細かな振動が、次の爆撃までのわずかな間を教えてくる。


今ではない。


彼は手を上げて制した。

誰も動かない。


再び静寂が落ちる。

その静寂の長さを、男は秒ではなく肌で測る。

風の流れ。

振動の途切れ方。

空気の張りつめ具合。

次が来る前に第一陣を半ばまで通せる。

第二陣は壁際の窪みに待避。

第三陣は爆音に紛れて横断。

計画は言葉になる前に、身体の中で完成していた。


「……今だ。前、行け」


年配の男と若い女が先頭を切って通路へ出る。

その後ろを数人が続く。

足音を殺し、身を低くし、瓦礫の間を慎重に進んでいく。

誰もが呼吸を浅くし、自分の存在そのものを小さくしようとしていた。


男は視線を一瞬たりとも逸らさない。


上。

前。

足元。

死角。

彼の意識はあらゆる危険を同時に追っていた。

どこに落下の兆候があるか。

どこで誰かの重心が崩れるか。

どこへ破片が飛ぶか。

どこから人の列が崩れ始めるか。

そのすべてを先に読み、崩れる前に支えようとする。


ひとりが瓦礫に足を取られかけた瞬間、男は即座に前へ出て腕を支えた。

子どもが壁際の鉄片に服を引っかければ、無駄のない動きで外す。

老人の歩幅が乱れれば、隣の者へ体重を預けるよう短く指示を飛ばす。

砲撃の兆候を感じれば全員を伏せさせ、破片の飛ぶ方向まで読んで位置を微調整する。


それは今まで彼が磨いてきた戦場の技術そのものだった。


だが、使い方だけがまるで違っていた。


彼は敵を倒すために先を読むのではない。

人を生かすために、数秒先の死を奪い返しているのだ。

誰かを排除するために角度を見るのではない。

誰かが倒れないように、足場の崩れ方を見ているのだ。

生き残るのは自分一人でなくていい。

いま彼が守ろうとしているのは、この小さな群れの呼吸そのものだった。


最強兵士としての能力が、初めて本来あるべき形を得たように思えた。


破壊のために研ぎ澄まされてきた技術が、ようやく誰かを前へ運ぶ力に変わっていく。

その変化に、彼自身まだ言葉を与えられない。

だが確かなことが一つあった。


この細い通路は、ただの逃げ道ではない。

彼にとっては、自分が何のために戦うのかを選び直すための道でもあった。


そしてその道を、彼はもう引き返すつもりがなかった。


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