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わたくしが心配していた通り、カーリー殿下はブールのなにもかもが、お気に召しませんでした。部屋は貧相でボロボロだと嘆き、専属として付いた侍女には気の利かない愚か者だと騒ぎ、食事はわざと貧しげなものを出して差別していると泣きます。
念のために申し上げれば、専属侍女はわたくしの母が直々に指導して、太鼓判を押した方です。よく気が付く気持ちの良い方で、普段は女王陛下の身の回りにお仕えしています。
それに食事だって、豪華な特別メニューなのです。カーリー殿下は部屋に閉じこもっておられ、食堂にお出ましにならないのでご存じないのでしょう。城では王家の方々も使用人も、同じ食事を食べております。それでは姫君が食べにくいだろうからと、料理長がわざわざ別に作っているのでございます。
…そういう意味では、差別かもしれませんね。
ブールは山間の貧しい国でございます。耕作地が少なく、食料は貴重です。それをわかっているからこそ、わたくしたちも王家の皆様も、食事に贅沢を求めない。少ない食料を皆で分け合って生きているのです。
それなのに。
「また召し上がらなかったらしいわよ。こんな食事、口にできないって」
「あんなに贅沢な貧しい食事なんて、見たことがないわよ」
廊下の端で、侍女たちが文句を言っています。最初は親切にお世話しようとしていた彼女たちも、文句ばかり言う姫君に、嫌気がさしているのでしょう。最初からいいとは言えなかったカーリー殿下の評判は、ますます下がっております。
(味方のいないところでたった一人悪意にさらされるわたくし、めっちゃかわいそう!)
そういうカーリー殿下のご意向で、随行してきた侍女や護衛は、姫君の周囲から遠ざけられております。ブールの食事を召し上がらなければ、飢えて死んでしまわれるのではないでしょうか。
そう心配するわたくしに、母が教えてくれました。メルジールから来た侍女たちが、夜中にこっそり、持ち込んだ干菓子や果物を窓辺に置いているのだそうです。大変ですね。
そのメルジール人たちは、少数を残して国へ帰っていきました。カーリー殿下がブールを出立されるときには、随員は必要ないのでしょうか。
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そんなはた迷惑なカーリー殿下から、わたくしにお茶会の誘いがございました。とても面倒、いえ、迷惑、いえ、畏れ多いことでございます。しかし、お断りするわけにも参りません。
お約束の日、お伺いしてみるとカーリー殿下はすでにテーブルの前に座っておられました。なんだかひどくご不快のようで、可愛らしい口を尖らせておられます。
わたくしがご挨拶申し上げる間もなく、殿下はイライラした甲高い声でおっしゃいました。
「ねえ、あなたはどうして茶会を催さないの?」
「は?」
殿下のおっしゃるところでは、悪役令嬢は取り巻きを引き連れて、茶会を催すものなのだそうです。そこでヒロインを馬鹿にしたり、転ばせたり、自分のほうが愛されている自慢をしたり、お茶をひっかけたりするのだそうです。
「あなたがちゃんと動かないから、わたくしが茶会を主宰する羽目になってしまったじゃないの」
「申し訳ございません」
一応謝りましたが、釈然としません。悪役令嬢を叱りつけるヒロイン。あまりかわいそうではございませんね。
それに、茶会と言われても正直困るのです。我が家は雑貨屋。お茶会をする場所などございません。それに、取り巻きもおりませんし。友人はおりますけれど、皆それぞれに家の手伝いをしたり働いたり、忙しいのです。
それでも席に着くと、テーブルには美味しそうな焼き菓子や果物が、たくさん並べられています。侍女が注いでくれたお茶からは、普段は嗅ぐことのない良い香りがいたします。
カーリー殿下は、それらをつまらなそうに一瞥しておっしゃいます。
「なんなら、今ここでそのお菓子を投げつけたり、お茶をかけたりしてもよくってよ」
…いったい、この殿下は何を言っていやがるのでしょうか。意地悪令嬢だって、できることとできないことがあるのです。
焼き菓子は、料理長はじめ厨房の料理人たちが、食事の支度の合間に作ってくれたものです。女王陛下は質素倹約に努めていらっしゃいますから、普段はこんな贅沢なお菓子を作りません。
お茶の葉も、大国の姫が来るからと家令が奮発して買った高級なものです。それを味わうこともなく、人に投げつけろとは。
それに汚れたドレスだって、どうなさるおつもりなのでしょうか。お茶がかかれば、当然シミができます。それを誰がどのようにきれいにすると思っていらっしゃるのでしょう。
わたくしは、カーリー殿下をまっすぐに見ました。眉を顰め、不服そうな殿下に、きっぱりと申し上げます。
「そのようなことはいたしません。絶対に」
「なんてつまらない女なの。せめてアルフォンス殿下と一緒に、毎日散歩する姿をわたくしに見せつけるとか、執務室で一緒に過ごすとか、そのくらいのことはしてちょうだい。こっちの気分が盛り上がらないじゃない」
わたくしも暇ではございません。父は国の仕事が忙しく、跡継ぎの弟にはアルフォンス殿下の執務の手伝いがあります。そうなると今、雑貨屋はわたくし主体で運営するしかないのです。
それに、アルフォンス殿下はもっとお忙しい。女王陛下の補佐をし、王配殿下と一緒に騎士団の訓練に参加し、魔獣の討伐に参加し。呑気に散歩するような余裕は、どちらにもないのでございます。
わたくしはとても嫌な気分になって、早々にカーリー殿下のもとを辞しました。
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店で商品の品出しをしておりますと、アルフォンス殿下がいらっしゃいました。わたくしの顔を見るなり、吹き出します。本当に失礼な方です。
「ルー、一体どうしたの。そんなに怒って」
「カーリー殿下のことですわ」
「今は私しかいないんだし、その喋り方やめてもいいんじゃないの?」
「…わかった」
二人で、店の軒差に置いたベンチに座ります。お向かいの屋根の向こうに、さっきまでいた城が見えました。
告げ口なんて、本当は褒められたことではありません。でもわたくしは、ぐちぐちと不満を吐き出さずにはいられませんでした。
ずっと昔から、わたくしの愚痴を聞いてくださるのはアルフォンス殿下です。いまも、うんうんと相槌を打ちながら耳を傾けてくださっています。
「…なるほどね。あの姫君は、相変わらず不幸に酔っているわけだ。来るべき幸福を、倍加させるために」
「お姫様のくせに、わがまますぎるよ。物語とはぜんっぜん違う。思い出作りに協力してあげようって思ってたけど、もうヤダ。城のみんなだって、カーリー殿下が少しでも快適に過ごせるようにって、気を配ってたんだよ?あの人何にもわかってないんだ」
「本当のお姫様なんて、あんなものなんじゃないかな。苦労知らずで、人が何かしてくれるのを、当たり前だと思っているんだから」
「いちいち文句言ってくるのだって、ブールを馬鹿にしてるとしか思えない。ふざけんなって」
小さいころから憧れていたお姫様像が、がらがらと崩れていくようです。ベンチに膝を抱えて座るわたくしの顔を、頬杖をついたアルフォンス殿下が覗き込みます。
「お姫様への憧れがなくなったのなら、ルーも行儀作法の勉強なんてやめちゃえば?いつも通りの振る舞いでいいじゃないか」
「それはヤダ。あのオンボロ砦だって王宮なんだよ?あたしだって侯爵令嬢だもん。…いえ、侯爵令嬢ですもの。それに相応しい振る舞い方があるのですわ」
わたくしは、ぷいと横を向きました。
…本当なら。もしナリモニア大公国という国が、今でもあったなら。
アルフォンス殿下は、次期大公殿下として多くの貴族に傅かれていたでしょう。わたくしのような田舎娘ではない、本物の貴族令嬢が幼馴染としてお傍にいたはずです。
それなのに今殿下にお仕えしている貴族は、わたくしの母だけ。あとはわたくしを含め、爵位を自称している平民みたいなものでございます。
「山賊の根城」
「貧民の女王」
ほかの国の民から馬鹿にされていることも、分かっています。それが、わたくしはとても悔しいのです。ブール王国が馬鹿にされることも。アルフォンス殿下が、軽んじられることも。
わたくしがいくら努力したところで、本物の貴族令嬢にはなれない。そんなことは、十分すぎるほど分かっております。それでもわたくしはアルフォンス殿下のために、少しでも貴族に近づきたい。メルジールやカメーダから、ナリモニアの公子も落ちぶれたものだなどと、絶対に嘲笑されたくないのです。
もうすぐ婚約を披露する夜会が、ブール城で開かれます。そこでアルフォンス殿下は、カーリー殿下との婚約を辞退する手はずになっています。真実の愛に酔う、愚かな王子を演じて。
メルジールとブールの関係者しかいない場だとしても、アルフォンス殿下が恥をかくことには変わりありません。それなのに、これだけブールを馬鹿にしているカーリー殿下には、なんの咎めもないのです。
「アルフォンス殿下…アルは、それでいいのかよ。いくら関税や輸出で優遇されるって言ったって、あたしは納得できないね」
「そうだね。メルジールはちょっとやりすぎだと、私も思う」
アルフォンス殿下が苦笑します。
「この茶番は関係者以外には漏らさない。そう取り決めたのは、知っているよね。あくまでカーリー殿下を満足させるためだからって。でも、良くない噂が広まっていると、知人が教えてくれたんだ」
「ウワサ?なんだよ」
「ブールの冷酷な王子は、メルジールの美しい姫君に恋慕して無理やり婚約者にしようとしたのに、あっさり心変わりして、意地悪な令嬢にうつつを抜かしてるんだってさ」
「は~~~~!?」
わたくしは思わず、大声で叫んでしまいました。
「しかもブール城の使用人や貴族も、それを後押ししてメルジールの姫君につらく当たっているらしいよ」
「なんだよそれ。全然違うじゃねえか」
ブールの民は、アルフォンス殿下のお人柄をよくわかっております。城勤めの人々のことも、よく知っているはずです。だからそんな噂を聞いても、きっと信じないでしょう。万が一、信じる者がいたとしても、狭い国のことです。事情に通じているものが、誰かしら近くにいるでしょうから、誤解を解くことはできます。
でも、他国となれば別の話。アルフォンス殿下は、女性にだらしない非道な王子として、世間に名前を記憶されることになります。ブール王国だって、それを黙認し一緒に姫君を虐げたあくどい国として誹りを受けるでしょう。いくら協力報酬があるからとはいえ、悪影響が大きすぎるのではないでしょうか。
そういうと、アルフォンス殿下は苦笑しました。
「どうも、先に戻った使用人の一部が、まっすぐ帰国しないで噂を広めているみたいなんだ」
この手の物語を好む民衆が多いことは、わたくし自身そうですからよく分かります。そのヒロインとしてのちの世まで語り継がれるならば、カーリー殿下もさぞ満足されるに違いありません。
でもそれは、真実だから許されること。他者を貶めてまでするようなことではないはずです。メルジールはこれをどう思っているのでしょうか。そう問えば、殿下が肩を竦めます。
「噂を広めているのが姫君の独断なのか、メルジールとして関わっているのか、まだ分からないんだけど。もし国が広めているのならば、メルジールとブールでは、国力が全然違う。こちらが苦情を言い立てたとしても、どうにでもできると思っているんじゃないかな」
今回、二つの国の間に正式な文書は交わされていません。それは我が国に負担をかけないためだと、メルジールは説明していました。しかし今となってみれば、自分たちに都合よく物事を進めるために、あえて証拠を残さなかったのではないかという疑いが大きくなります。
それに内密だけど、とアルフォンス殿下が声を潜めました。耳元に顔を寄せられ、わたくしの頬が熱くなります。なんてことをしやがるんでしょうか、この殿下は。
「実は、カーリー殿下の本命の縁組は、もうとっくに進んでいるみたいなんだ」
「そうなのか?」
「ベイカ帝国の第四皇子。メルジールは彼に縁組を申し込んでいるらしい。しかも私が婚約を辞退する夜会に密かに皇子を連れ込んで、可哀そうな姫君を救い出してその場で求婚してもらうつもりのようだよ」
事情を知らない方から見れば、確かにカーリー殿下は気の毒な女性に見えると思います。正義感の強い男性であれば、彼女の名誉を守るために、その場で求婚するかもしれません。もともと縁談がある相手なのですから。
でもそうなれば、アルフォンス殿下はベイカの皇族にも恥をさらすことになります。そしてその顛末も、メルジールは世に広めるつもりでしょう。幸せな皇子夫妻と愚かな小国の王子として。
怒りのあまり、わたくしの頭がかあっと熱くなりました。
「いい加減にしろよ。そんなのあんまりだ。ブールとアルをなめくさりやがって!アルはこんなに誠実な、いいやつなのに!」
殿下はとても嬉しそうな顔をなさいました。
「ルーがそう思ってくれているのなら、私は誰に何と思われてもいいんだけれど。でもこのままだと、ルーも大国の姫君を馬鹿にした頭の悪い令嬢として、名前が残ってしまうね。それは避けないと」
アルフォンス殿下は、わたくしの手をそっと握りました。
「いま、知人の協力でちょっとした仕返しを考えてるんだ。楽しみにしてて」
殿下は一体、何をなさろうとしているのでしょう。握られた手が、とても熱く感じられました。
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