メニュー060 合わないコーヒー
蘭を豪邸から連れ戻してから、数日が過ぎた。
あの日以来、大三郎から何の連絡もない。
おそらく、良太が完治したのであろう。
フィリアは『勝手な父親だ』と思いつつも、安堵していた。
喫茶異世界に、平和な日常が戻ってきたのた。
そして今日は『夏祭り』だ。
「これを……着て……」
蘭は、フィリアに『浴衣』を手渡した。
淡い水色の生地には、白い花が咲き誇り、涼しげな印象を与えている。
浴衣に着替えたフィリアは「とても軽くて、動きやすいです」と笑顔を見せた。
「フィリアさん……可愛い」
「ありがとうございます。蘭ちゃんも素敵ですよ」
蘭の浴衣は、紺色で花火の模様が散りばめられている。
そして二人は、夏祭りへ繰り出した。
道路の両側には色鮮やかな屋台が並び、提灯が風に揺れている。
人々の笑い声が絶え間なく響いている。
遠くから威勢の良い掛け声が聞こえてきた。
「エッサホイサ!エッサホイサ!」
大勢の男たちが巨大な神輿を肩に担ぎ、汗を流しながら街を練り歩いている。
その迫力ある姿に、フィリアは「凄い光景です」と、思わず目を丸くする。
そして二人は、とある屋台で足を止めた。
『焼きトウモロコシ』の屋台だ。
炭火の上で、じっくりと焼かれ、醤油が塗られるたび、香ばしい香りが広がる。
「すみません。2本頂けますか?」
「あいよ!」
そしてフィリアと蘭は『焼きトウモロコシ』にかぶりついた。
粒が甘く、醤油の香ばしさと炭火の香りが絶妙に重なり合う。
「甘くて香ばしいです」
フィリアは、自然と笑顔がこぼれた。
蘭も「……美味しい」と頷いている。
次にフィリアは『イカ焼き』の屋台を発見した。
「こちらも美味しそうですね。食べてみましょう」
「うん」
さっそく一口食べるフィリア。
鉄板の上で焼き上げられたイカは、照りのあるタレをまとい、噛むほどに旨味が溢れていく。
「柔らかくて美味しいですね」
「……イカ焼きも……美味しい」
続いてフィリアは、『リンゴ飴』を手に取り、真っ赤な飴を一口かむ。
飴の軽やかな食感のあとに瑞々しいリンゴの酸味と甘味が広がり、その不思議な組み合わせに何度も目を輝かせた。
やがて二人は『ヨーヨーすくい』の屋台へたどり着いた。
フィリアは、なかなかすくえず苦戦していた。
困ったように首を傾げるフィリアとは対照的に、蘭は器用な手つきで次々とヨーヨーをすくい上げていく。
「蘭ちゃん、お上手ですね」
「……楽しい」
次に二人は、『金魚すくい』へ向かう。
ここでもフィリアは、一匹もすくう事が出来なかったが、蘭は静かに金魚をすくい続け、店主を驚かせるほどの腕前を見せる。
「蘭ちゃん、スゴすぎます!」
金魚すくいを終えた二人は、『射的屋』の前で声を掛けられた。
「おう!フィリアじゃねぇか!」
権蔵の屋台だった。
「ここは権蔵さんの店なのですか?」
「そうだ。俺は毎年、ここで出店してるんだ」
そして権蔵は、コルク銃をフィリアと蘭に差し出した。
「ほれ、せっかくだから撃ってみな」
フィリアは、恐る恐る銃を受け取る。
「銃……ですか?」
「心配するな、コルク銃だ。本物じゃねぇ」
それでもフィリアは、周囲を見回して不安そうな表情を浮かべている。
「こんな場所で銃を撃って、本当に危なくないのでしょうか?」
権蔵は思わず吹き出した。
「だからコルクだって言ってるだろ」
フィリアは、言われるまま景品へ狙いを定める。
そして慎重に照準を合わせ、ゆっくり引き金を引いた。
ポンッ。
軽い音と共にコルクが飛んでいく。
だが景品には、かすりもせず、明後日の方向へ飛んでいった。
「難しいですね……」
肩を落とすフィリアを見て、次は蘭が銃を構える。
パンッ。
一発目で景品のお菓子が棚から落ちた。
続く二発目、三発目も見事に命中し、景品が次々と倒れていく。
権蔵が「おいおい、上手すぎだろ」と苦笑している。
蘭は、権蔵から、たくさんのお菓子を受け取った。
すでに蘭の両手には、ヨーヨーと金魚の袋が握られている。
「蘭ちゃん、今日は大収穫ですね」
蘭は、恥ずかしそうに頷いた。
そして二人は、祭りの帰り道、香ばしいソースの香りに足を止めた。
鉄板の上では、大量の麺が勢いよく炒められ、ジュウジュウと食欲をそそる音が響いている。
「美味しそうですね。お土産にしましょう」
フィリアの提案に、蘭も頷く。
出来立ての焼きそばを受け取ると、二人はそのまま喫茶異世界へ戻った。
フィリアは、コーヒー豆を挽き、お湯を静かに注ぎ始めた。
立ち上る湯気と共に、深く豊かな香りが広がる。
蘭は、その様子を黙って見つめている。
「どうかしましたか?」
フィリアが尋ねると、蘭は少し俯いた。
「フィリアさんが……コーヒーを淹れる姿……もう二度と見られないと……思ってた……」
蘭の声に、フィリアは優しく微笑む。
「これからは、いつでも見られますよ」
蘭は小さく頷いた。
二人は、テーブルを挟んで向かい合う。
湯気を立てる焼きそばと、淹れたてのコーヒーが並ぶ。
フィリアは、フォークで焼きそばを巻き上げた。
艶やかなソースが麺一本一本に絡み、キャベツの甘みと豚肉の旨味が香りと共に立ち上る。
一口頬張ると、もちもちとした麺の食感に濃厚なソースのコクが広がり、紅生姜の爽やかな酸味が絶妙なアクセントになっていた。
「とても美味しいです」
幸せそうに頬を緩めるフィリアを見て、蘭も焼きそばを口へ運ぶ。
そして二人は、温かなコーヒーを一口飲んだ。
その瞬間―――
二人の動きが同時に止まる。
焼きそばの濃厚なソースと、コーヒーの苦味が、口の中で喧嘩を始めた。
フィリアが困ったように言った。
「これは……合いませんね」
すると―――
「ふふっ」
蘭が、思わず吹き出した。
その小さな笑い声に、フィリアは目を見開く。
「蘭ちゃんの笑顔……初めて見ました」
蘭自身も少し驚いていた。
(何年振りだろう)
(こんなふうに笑ったのは)
(フィリアさんと出会えて、本当に良かった)
気付けば、蘭の顔は、満面の笑みが咲いていた。
フィリアも、心から嬉しそうに笑っている。
静かな喫茶店で、二人の穏やかな笑い声が、いつまでも響いていた。
―――第2章 完
これで、第2章は完結となります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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