第三話 あの日の宝物
「廃校って、もっとホラー映画みたいになってると思ってた」
小田栄が無邪気に言った。
誰もいなくなった学校に、俺たちの足音だけが響いていた。
閉校してから三か月。
まだ完全な廃墟には見えない。
挨拶標語を剥がした跡のある看板。埃をかぶった靴箱、蛍光灯の消えた廊下。
「ここは学校だった」という記憶が、まだこの場所のあちこちに残っている。
抜け穴を通ってから校舎の脇を抜けて、校庭に出る。
一度立ち止まり、辺りを見回す。
記憶の中にある校庭よりもずっと狭かった。
昔は端から端までが遠くて、鬼ごっこにはいくらでも逃げ場があった気がする。
サッカーのゴールだって、もっと遥か彼方にあったはず。
でも、そうじゃなかったんだと今なら分かる。
校庭が小さくなったんじゃない。俺たちが大きくなっただけだ。
「なんかさー、めっちゃ狭くない?」
大川が言った。
「……ああ。俺も今そう思ってた」
「昔のお前らが小さかっただけじゃね?」
小田栄が笑う。
「感慨深げに当たり前のことを言わないで」
弁天橋が冷静に切り捨てる。
「ベッティ、思い出の場所でも通常運転すぎない?」
「思い出の場所だからといって、校庭の面積は変化しないから」
「ほらな。ベッティは昔からこうだって」
小田栄が肩をすくめる。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
そう言って笑いながら、四人で校庭を横切る。
鉄棒を見て、誰が何回逆上がりに失敗したかを思い出す。ジャングルジムを見て、小田栄が調子に乗って一番上から落ちかけたことを思い出す。
長い昔話にはならない。
今の景色に、昔の一瞬が重なって見えるだけだった。
それでも一つ一つのエピソードが浮かぶ度に、四人の間の隔たりが少しずつ埋まっていく気がした。
校庭の端にある大きな木の近くまで来た。
記憶ではここにタイムカプセルを埋めたはず。
「絶対このへんだって」
大川が断言する。
「もうちょい向こうじゃね?」
小田栄が反対方向を指す。
「木の近く、という曖昧な記憶しかないのかしら? 目印があるとか、地図があるとか」
弁天橋が容赦なく言う。
俺は周囲を見渡した。
まずはあの時の記憶を掘り返す。たしか先生に見つからないように埋めたはずだ。
だとすれば、校庭から見えにくい木の裏側にするはずだ。
「えーしょー、そっち見てくれ。かわわは反対側。俺はこっち側を見る。ベッティは待機で」
「なぜ私だけ待機なの」
弁天橋が口を尖らせる。
「一番覚えてそうだからな。俺たちが探しているところを見て思い出したことあったら教えてくれ。あと制服だろ? 汚れちゃうし」
「……合理的ね」
「えー! ベッティだけズルい。私も見学がいい! この服、高いブランド物なんだけど」
大川が反論してきた。
「かわわはタイムカプセルを校庭で掘り起こすことがわかってその服で来たんだろ?」
俺は大川の反論をピシャリと断る。
「つるけん、昔もこんな感じで仕切ってたよな」
小田栄が笑う。
無意識のうちに、昔の自分が顔を出していたらしい。少し恥ずかしかった。
〇
しばらく探しても見つからず、「実は本当は埋めてないんじゃないか」という疑念が生まれ始めた頃、小田栄が土の中に何かを見つけた。
「……あった」
その声で全員が動きを止める。
次の瞬間、四人は一斉に土を掻き始めた。
小田栄が勢いよく掻き出し、俺も周囲を掘る。大川も服が汚れることを気にせずに手伝い、弁天橋も「素手で掘るのは非効率的」と言いながら、結局はしゃがみ込んで参加していた。
現れたのは、土に汚れ、少し錆びた黄色い金属缶。
「え、待って……ほんとにあったんだけど」
大川が声を上げる。
「これ本物だよな」
小田栄も驚いている。
俺たちが埋めたものが、忘れられていた場所でずっと残っていた。
「ここで開けるか?」
小田栄が聞く。
「せっかくなら校舎の中で開けようよ」
大川が提案する。
「もう侵入している以上、今さら罪状が一つ増えても同じという理論?」
弁天橋がジト目でこちらを見る。
「罪状って言うとマジで犯罪みたいになるじゃん」
俺が言うと
「まぁまぁ、せっかくということで教室行こ?」
大川が話をまとめた。
鍵がかかっていない窓を見つけて、そこから四人で校舎へ入る。弁天橋は言うわりには素直に付いてきた。
周囲は静寂。俺たちの足音だけが響いていた。
小学六年生の時に使っていた教室の前で、俺は少しだけ立ち止まった。扉、窓、黒板、自分たちがいた場所。何もかもがそのままで、それなのに全部が古くなっている。
教室の中に入り、机の上に黄色い缶を置いて四人で囲む。窓側に俺が立ち、蓋を開ける位置に大川、左右から小田栄と弁天橋が覗き込む。
窓の外の街灯が、教室の床に淡い光を落としていた。
「じゃ、開けちゃうよ?」
「お前、ずっとそれやりたかっただけだろ」
「えー、だって普通に気になるじゃん」
大川が缶の蓋に指をかける。長い年月を土の中で過ごした錆びた金属が、キィ、と鈍い音を立てる。
そして、ガコッと蓋が開いた。
その瞬間――俺だけが、何かに引っかかった。
言葉にできない違和感だった。
何がおかしいのか分からない。教室は何も変わっていない。窓から入る光も、黒板も、床も、目の前で缶を覗き込んでいる三人の顔も、一つとして変わったところはない。
それなのに、ほんの一瞬だけ、自分だけがこの場から取り残されたような気がした。
三人を見る。誰も気にしていない。
「……俺だけかな」
そもそも、自分自身が何に違和感を覚えたのかさえ言い表せない。なら気のせいだ。俺はそう結論づけて、黄色い缶の中を覗き込んだ。
中身は、それぞれの子供時代を映していた。
俺の分には、昔の四人の写真、未来の自分への手紙、手作りの「隊長バッジ」。
大川の分には、四人の遊びの記録、くだらないおもちゃ、写真、「鶴小弁大の秘密基地マップ」。
小田栄の分には、サッカー選手カードとキーホルダー。
そして弁天橋の分には――
「え、待って。これベッティの?」
大川が取り出したのは、子供向けヒーロー番組のカードだった。
「……違う」
「名前書いてあるぞ」
俺は言う。
「返して」
「うわ、顔赤くなってる」
小田栄がにやける。
「なってないから」
四人は自然に笑った。
缶の底から、当時使っていた連絡帳が出てきた。俺たちはそれを勝手に交換ノート代わりにしていた。今日遊んだ記録、次の集合場所、くだらない落書き、誇張された冒険談。
「本日、かわわが敵の基地に単独潜入した」
実際には近所の犬に追いかけられただけだった。
「えーしょーが高さ三メートルの壁を飛び越えた」
実際には腰の高さくらいの低い塀。
「ベッティ博士が作戦を考えた」
「博士とは書いていません」弁天橋が抗議する。
「書いてあるってー」
「誰が書いたんですか」
「たぶん俺」
自分の字だった。
そこには、昔の俺が当たり前のように未来の予定を書き込んでいた。
「明日は12時集合!」
「秘密基地へ行く!」
「俺たちでやる!」
昔の俺は自分から未来を決めて、先に走っていた。
それに比べて今の俺は、誘われなければ動こうともしなかった。
ページをめくる。次第に年月が進んでいく。
そして日付は卒業式の日になった。
ページを全て埋めるように四人それぞれの筆跡が残っている。
そして真ん中に大きく書かれていた。
「ずっと四人一緒にいられますように」
それを見て四人に少しの沈黙が流れる。
「えー、流石に重くない?」
大川が茶化すように言う。
「誰だよ、こんなの書いたの」
小田栄が戯けたように笑う。
「四人全員の筆跡があるわね」
弁天橋が指摘する。
「……じゃあ、みんなで書いたんだな。誰に文句は言えないな」
大川が笑い、小田栄もつられて笑った。俺も笑い、最後に弁天橋が小さく笑った。
誰もその願いが「叶ってないな」とは言わなかった。
中学校にそれぞれ進学して俺たちは疎遠になっていた。
でも今ここで、その空白の年月をわざわざ言葉にする必要はなかった。
「じゃあさ」
大川がスマホを取り出す。
「今からでも、作ればよくない?」
そう言って四人のLINEグループを作り始める。
「名前どうする?」
「決まってんだろ」
小田栄が連絡帳を指す。
「鶴小弁大」
「……つるこべんだい。いや、今見ると意味わかんなくない?」
大川が笑う。
「俺ら、何でこれで納得してたんだろうな」
俺がツッコむ。
「当時の私たちの命名基準は謎すぎるわ」
弁天橋が呟く。
「でも、これだったじゃん」
小田栄が言う。
「……まあな」
スマホが震える。
【かわわが『鶴小弁大』にあなたを追加しました】
久しぶりに届いた大川からのLINEが、あの日、四人を集めた。今度は大川が作ったグループが、これからの四人を繋いでいく。
〇
四人で教室を出て、校舎を歩く。
入った時の抜け穴を通る。小学校から外に出る。
侵入したときはまだ距離のあった四人だったが、今はもう、声をかける理由を探す必要がなかった。
「で、次どうする?」
大川が聞く。
「何が?」
弁天橋が返す。
「また集まるんだろ?」
少し前の俺なら、答えずに誘われるのを待っていたと思う。でも今は自然に言えた。
「もちろん。当たり前だろ」
小田栄が得意げに言う。
「なら合法的な場所にして」
弁天橋が付け加える。
「えー、そうだね。今度は検討しとくー」
大川が笑いながら言う。
その横で、小田栄も笑っている。
弁天橋は呆れたような顔をしている。
俺も、つられて笑っていた。
「まぁ場所はともかく、とりあえず集まれればいいんじゃないか」
小田栄が言う。
「せっかくグループ作ったんだから、そこで決めようよ」
大川がスマホを取り出す。
「じゃあ次の予定、グループで決めるか」
俺もスマホを開く。
画面には、さっき作ったばかりのグループが表示されていた。
【鶴小弁大】
小学生の頃、何も考えずにつけた名前。
今となっては意味なんてほとんどない。
それでも。
その名前が、今は妙に嬉しかった。
〇
小学校を後にして家が立ち並ぶ細い路地を四人で進む。
俺たちが登下校時にいつも通っていた通学路。
吠えまくる犬がいる家。妙な値段の自販機。いい感じの棒や、蹴飛ばすのにちょうどいい石が見つかる空き地。
昔の俺たちにとって、通学路はそれだけで遊び場だった。
でも今の俺がみるとただの薄暗い路地にしか見えない。
そのまま進むと小さな十字路についた。
四方を家に囲まれて名前さえないただの十字路。
俺たちはそこで立ち止まる。
左へ行けば、小田栄の家。
右へ行けば、弁天橋の家。
そして、俺の家と大川の家はそのまま真っ直ぐ。
小学生の頃、俺たちはいつもこの分かれ道で「またね」と言って、それぞれの家へ帰っていた。
何度も繰り返した、いつもの別れ。
それなのに、今日はその一言がなかなか出てこなかった。
「じゃ、俺こっちだから」
小田栄が手を上げる。
別れの挨拶。小学生の時に言っていた「またね」と言っていいのか分からず、言い淀む。
「またね、えーしょー」
大川が躊躇なく言う。そして大きく手を振った。
変なことを気にしていたのは俺だけだったのかもしれない。
「またな。えーしょー」
「おう、また会おうな」
小田栄はそれに笑顔で応える。
「それじゃ、私も失礼するわ」
弁天橋も控えめながら手を振る。
「ベッティ、またな」
「ベッティもまたねー」
俺と大川がそう言うと
「結局、ベッティのままね。……またね。連絡するわ」
弁天橋は不満を口にしながらも、その表情は満更でもなさそうだった。
四人の視線が、一度だけ交わる。
そして昔と同じ場所で同じように、俺たちは別れた。
小田栄と弁天橋がそれぞれの道へ歩いていく。
それを俺と大川で見送る。
「つるけん、行こうか」
「おう」
俺と大川は、並んで真っ直ぐの道を進み始めた。
〇
さっきまで四人でいたせいか、二人になると妙に静かだった。
でも今日集合した時のような気まずさはなかった。あの時のような心地よい距離感。
「……ねえ、つるけん」
「ん?」
「今日、なんか楽しかったね」
大川は前を向いたまま言った。
「小学生の時みたいだった」
「そうだな」
「みんな小学生の時よりはマシになってた。あの頃の私たち、今思い返すと結構バカじゃん」
「そうか? 今もそんなに変わってないと思うけど」
「ひど」
笑う。
その笑い声が、夜の道に少しだけ響いた。
それから、大川は少しだけ黙った。
「でもさ」
今度は、さっきより小さな声だった。
「私たち四人、一回は離れちゃったけど」
俺は大川を見た。
大川は前を向いたままだった。
「……また今からでも、一緒にいられるよね?」
その言葉に、少しだけ考える。
考える必要なんてなかった。
「当たり前だろ」
大川がこっちを見る。
「鶴小弁大、復活したんだから」
一瞬、大川は驚いたような顔をした。
それから、ふっと笑った。
「うん」
小さく頷いた大川は、どこか安心したように見えた。
「よかった」
何がよかったのか。
その時の俺は、聞かなかった。
きっと同じことを思っているのだろうと、その時の俺は信じていた。
小田栄と弁天橋と別れた十字路から歩き、俺と大川の家への家路が別れる交差点に着いた。
「それじゃあね。つるけん」
「じゃあな。かわわ」
別れの挨拶。
でも今度は、次に会うことを疑わずにいられた。
だからだろう。大川の顔は晴れやかだった。
「またね」
「またな」
あの頃も、俺たちは同じように「またね」と言って別れたのだと思う。
それなのに、俺たちは疎遠になった。
それは変わらない事実だ。
それでも、今はもう一度信じてみたい。
「またね」という、何でもないはずの言葉を。




