Episode.107 潜入任務
夜。
帝都ラドムを発った一行は、日が完全に沈む頃には目的地である山岳地帯へ到達していた。
雲に隠れた月。
吹き抜ける冷たい風。
深い森の向こう。
切り立った岩山に抱かれるようにして――巨大な石造りの砦が佇んでいる。
――落日の砦。
かつて帝国騎士団が敗北した場所であり、ガルム・クランゼルとクラリス・リアンダーが命を落とした因縁の地。
そして今、世界最強の盗賊団――黒狼の牙が拠点として利用している場所。
砦の壁には苔が這い、いくつもの塔が夜空へ伸びている。
窓から漏れる僅かな灯り。
外壁の上には黒い旗。
その中心に刻まれているのは――狼の牙を模した紋章だった。
「…………」
岩陰から砦を見つめるミリアは、無意識に息を呑んだ。
(ここにいる。ガルフが。そして、幾度となく自分たちの前へ立ちはだかった、黒狼の牙の幹部たちが)
「……始めるぞ」
低い声。
先頭にいるゼインだった。
帝国騎士団本隊は、落日の砦から離れた森林地帯で待機している。
馬もさらに後方へ下げていた。
大人数が近付けば、音や気配で察知される可能性がある。
故に、ここから先へ進むのは――四人だけ。
先頭――ゼイン。
その後ろにミリア。
シャルロット。
最後尾にレイヴァン。
四人は黒狼の牙の拠点へ潜入するため、闇の中に身を潜めていた。
ゼインが全員を振り返る。
「もう一度だけ確認する」
普段の気怠そうな雰囲気はない。
その目は鋭く、声も最低限まで落とされている。
「ここから先、無駄口は禁止だ。喋る時は小声。勝手な行動もするな」
全員が聞き入る。
「俺が止まったら止まれ。隠れろと言ったら理由を聞く前に隠れろ。何か見つけても一人で動くな」
ゼインは砦へ視線を戻す。
「目的は戦うことじゃねぇ」
大元の魔物結晶、幹部の位置、内部構造、見張り、巡回経路。
それらを調べ――生きて戻る。
「いいな?」
「了解っス」
レイヴァンがいつもの軽い調子で頷いた。
ミリア、シャルロットも無言で頷く。
「よし」
ゼインが立ち上がった。
「行くぞ」
◆◆◆
四人は森を抜けた。
足音を殺し、気配を抑え、砦へ近付いていく。
外壁まで二十メートル。
十メートル。
五メートル。
やがて正面を避け、崩れかけた側面の通用口へ到達する。
ゼインが壁へ背中を預ける。
指を二本立てた。
待て。
全員が停止する。
ゼインが僅かに顔を出す。
「…………」
数秒から十数秒。
やがて眉を寄せた。
「……いねぇな」
小さく呟く。
「見張り?」
ミリアが尋ねる。
「ああ」
誰もいない。
門番も巡回する構成員も。
静かすぎる。
「妙だな」
ゼインの目が細くなる。
「これだけの拠点で、入り口を無人にするか?」
「…………」
ミリアも違和感を覚えた。
しかし――。
「今更考えても仕方がない」
シャルロットが囁く。
「見張りがいないなら、こちらにとっては好都合だ」
「……まあな」
ゼインは納得しきっていない様子だった。
それでも。
「入るぞ」
四人は――落日の砦へ足を踏み入れた。
◆◆◆
内部は外観以上に広かった。
長い石造りの廊下、吹き抜け、兵舎跡、武器庫、地下へ続く階段。
かつて帝国騎士団が使用していた要塞だけあり、内部は複雑に入り組んでいる。
四人は慎重に進んだ。
ゼインが先頭で索敵し、ミリアとシャルロットが周囲を警戒する。
レイヴァンは後方確認。
曲がり角へ来るたびにゼインが止まる。
確認して進んでまた止まる、その繰り返し。
シャルロットは小さな紙へ内部構造を書き込んでいった。
通路、階段、扉、行き止まり。
窓、罠、見張りの位置、巡回する黒狼の牙構成員の人数、巡回周期。
そして――。
「ここ」
ゼインが壁の一角を指差す。
細い亀裂が走っている。
「何だ?」
シャルロットが尋ねる。
「古い抜け道だ」
「分かるの?」
ミリアが覗き込む。
「空気が流れてる」
ゼインが指先を亀裂へ近付ける。
「外に繋がってる可能性が高い。脱出経路として記録しとけ」
「分かった」
シャルロットが地図へ印を付ける。
侵入するだけではない。
どう逃げるか。
それまで含めて、ゼインは考えていた。
(やっぱりゼインって、こういう時すごいな……)
ミリアは感心する。
普段は飄々としているが。
敵地へ入った瞬間から、まるで別人だ。
――その時。
「ゼインさん」
小さな声。
レイヴァンだった。
「ん?」
「次、右へ行くつもりっスか?」
「ああ」
正面には分岐。
右と左。
ゼインは右を選ぼうとしていた。
「そっちはやめておいた方がいい気がするっス」
ゼインが振り返る。
「何か見えたか?」
「いや」
「音?」
「何も」
「魔力?」
「感じないっス」
「じゃあ何だ」
レイヴァンはにっ、と笑った。
「勘っス」
「…………」
ゼインの顔から感情が消えた。
「お前な」
「いやいや」
レイヴァンが小声で笑う。
「自分、昔から勘だけはいいんスよ」
「敵地のど真ん中で進路を決める根拠が勘かよ」
「でも当たるんスよねぇ、これが」
「…………」
ゼインは右を見る。
左を見る。
もう一度右。
「……チッ」
小さく舌打ち。
「左へ行くぞ」
「信じてくれるんスね」
「外れたら後で殴る」
「理不尽っス」
四人は左へ進んだ。
そして数十秒後。
――ザッ。
「!」
ゼインが拳を握る。
全員停止。
遠くから足音が近づいてくる。
「巡回だ」
ゼインが囁く。
すぐさま物陰へ身を隠す。
直後、先ほど四人が進もうとしていた右側の通路から――三人の男が現れた。
「…………!」
ミリアは息を殺す。
もし右へ進んでいたら、曲がり角で鉢合わせしていた。
男たちは四人に気付くことなく、そのまま通り過ぎていく。
足音が完全に消えるまで待ち、ゼインがレイヴァンを見る。
「…………」
「…………」
レイヴァンが小さく笑う。
「言ったっスよね?」
「……気に入らねぇ」
「褒めてくださいよ」
「一回当てただけだ」
「厳しいっスねぇ」
ミリアは思わず小さく笑いそうになり、慌てて口を押さえた。
◆◆◆
潜入開始から、かなりの時間が経った。
集めた情報は着実に増えている。
そんな中、四人は二階の回廊へ到達した。
正面から二人の見張りが近付いてくる。
「隠れろ」
ゼインの合図で四人が散開する。
ミリアは近くの柱の陰へ。
シャルロットは――反対側へ行こうとする。
(そっちは見える……!)
ミリアが気付いた。
声を出せない。
咄嗟にシャルロットの腕を掴む。
「……っ」
引き寄せた。
二人の身体が、同じ柱の陰へ収まる。
狭い空間で自然と距離が近くなる。
ミリアがシャルロットの耳元へ顔を寄せた。
「シャルロット……」
「…………!」
「こっち……」
吐息が耳へ触れるほどの距離。
「……了解した」
シャルロットは完璧だった。
表情一つ変えない。
声も平静で呼吸すら乱さない。
さすが帝国騎士団副団長。
敵地であろうと冷静さを失わない――。
(耳元ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?)
――わけではなかった。
(近い近い近い近い! ミリアちゃん近い!)
内心は壊滅していた。
(待って息かかった! 今絶対耳に息かかった! 無理無理無理! 何これ潜入ってこんな素晴らしい任務だったの!?)
シャルロットの心拍数が跳ね上がる。
(落ち着け私! 副団長! 私は帝国騎士団副団長!)
ミリアは何も知らず。
「もうちょっと……詰めて」
(もうちょっとぉぉぉぉ!?)
「見つかっちゃう……」
「……分かっている」
外面だけは鉄壁だった。
その時、見張りが二人のすぐ横を通る。
「…………」
「…………」
ミリアとシャルロットは息を殺す。
足音が遠ざかり数秒後。
「……行ったね」
「ああ」
ミリアが離れる。
(行っちゃった……)
ほんの少し残念だった。
「シャルロット?」
「何だ」
「顔、赤くない?」
「暑い」
「こんなに寒いのに?」
「鎧は蒸れるんだ」
「そうなんだ……」
「そうだ」
断言。
ミリアは納得した。
シャルロットは心の中で拳を握った。
(た、耐えた……!)
帝国副団長の威厳は、辛うじて守られた。




