Episode.106 秘めた本音
帝国騎士団本部。
先ほどミリアと別れたシャルロットは――。
「…………」
自室へ戻ると、まず念入りに扉へ鍵を掛けた。
カチャ――。
確認する。
さらにもう一度。
カチャカチャ――。
「…………よし」
誰もいない、窓も閉まっている。
壁の向こうから人の気配もない。
「完璧だ……」
シャルロットはそのまま浴室へ向かい、模擬戦でかいた汗を流した。
そして湯浴みを終え、寝間着へ着替えて長い金髪を下ろしたまま部屋へ戻る。
「…………」
副団長シャルロット・クランゼルはベッドを見た。
助走をつけ、そして――。
「――――っ!!」
飛び込んだ。
ぼふんっ!
枕へ顔を埋める。
数秒の間、沈黙。
そして――。
「ミリアちゃん可愛いいいいいいいいいっ!!」
帝国騎士団副団長が消滅した。
そこにいたのは、ただの限界オタク女子だった。
「何あれ何あれ何あれぇ! 『みんなで生きて帰ろう』って! あんな顔で言う!? 普通!?」
ごろんと右へ転がる。
「しかも拳こつんって!」
ごろんと左へ。
「距離近かったぁぁぁ……!」
枕を抱き締める。
「可愛い……格好いい……可愛い……強い……可愛い……」
語彙が死んでいた。
昼間、帝国騎士団副団長として数百の騎士を束ねる女とは思えない。
「リリシアちゃんも可愛いしぃ……!」
今度はリリシアを思い出す。
「何あの『ですぅ』って! ずるい! あんなの保護するしかないじゃない!」
足をばたばたさせる。
「怯えて後ろに隠れるのも可愛いし! ちっちゃくなってるのも可愛いし! 絶対お菓子あげたら喜ぶ!」
そして――。
「ミリアちゃんはまた違うのよ……」
急に真顔になる。
「普段は凛々しいのに、笑うと急に年相応になるのがいい……」
うんうんと一人で頷く。
「分かる。私には分かる……」
誰と会話しているのかは不明だった。
さらに脳裏には先ほどまでの模擬戦が蘇る。
剣を交え、距離が近付き、汗を流しながら笑うミリア。
「…………」
シャルロットの顔が赤くなる。
枕へ顔を埋める。
「はぁぁぁぁ……ミリアちゃんの汗の匂い……」
数秒の余韻。
「……たまらない」
そしてはっとする。
「いや違う! 私は変な意味で模擬戦に誘っているわけではない!」
誰も聞いていない。
「剣士として! 純粋に! 互いを高め合うために!」
沈黙が空間を包む。
「…………」
そして目が泳ぐ。
「……八割くらいは」
さらに沈黙。
「…………六割?」
自分で自分を疑い始めた。
「と、とにかく!」
布団を頭から被る。
「模擬戦の後のミリアちゃんが可愛いから毎回誘ってるなんて――」
顔を真っ赤にする。
「死んでも言えない……!」
――帝国騎士団副団長、シャルロット・クランゼル。
戦場では冷静沈着な二刀流の達人。
鋭い眼光、隙のない立ち振る舞い。
騎士たちからは「冷徹の副団長」と陰で呼ばれるほど、近寄り難い存在。
だが誰も知らない。
彼女が可愛いものを見ると、心の中で盛大に壊れることを。
ミリア、リリシア、そして彼女の愛馬である、真っ白な白馬”シエル”。
現在、この三つがシャルロットの中で最高位に君臨していた。
「……明日もミリアちゃんと一緒……」
布団の中から声が漏れる。
「しかも潜入……」
想像する。
暗闇の中の隠密行動、声を出せない状況。
近付いて話す必要がある。
「…………」
顔だけ布団から出す。
「距離、近くなる……よね……?」
数秒の余韻。
「――――っ!!」
再び布団へ潜った。
「むりぃぃぃぃぃぃ……!」
副団長の威厳は完全に死んでいた。
◆◆◆
その頃、壁を隔てた少し先の部屋。
「…………っ!?」
リリシアが跳ね起きた。
耳を澄ます。
今、どこかから。
『むりぃぃぃぃ……』
女の声が聞こえた。
「…………」
リリシアの顔が青ざめる。
「お……お化けですぅぅぅ……!」
布団を頭まで被った。
「聞こえません聞こえません何も聞こえませんですぅ……!」
明日の黒狼の牙より、今夜のお化けの方が怖くなった。
◆◆◆
さらに夜は深まり、帝国騎士団本部の屋上。
一人の男が、夜風に当たっていた。
「…………」
ゼイン。
煙草の先端だけが、暗闇の中で赤く光っている。
遠くには帝都の灯。
明日、黒狼の牙との戦いが始まる。
ゼインは煙を吐いた。
「…………」
何かを考えている。
長く、深く。
だが、それを口にすることはなかった。
煙草を地面へ落とし、踏み消す。
そして――何事もなかったように、暗闇へ消えた。
◆◆◆
同じ夜、団長室。
ギルバートは窓辺に立っていた。
眼下に広がる帝都ラドム。
父が守った国であり、母が剣を振るった国。
「……父上……母上……」
静かに呟く。
明日、あの場所へ戻る。
自分たちの人生を変えた場所へ。
落日の砦――。
「今度は――必ず勝ちます」
窓に映る自分の顔。
どことなく父に似ている気がした。
「見ていてください……」
静寂が身を包んだ。
◆◆◆
そして――翌日の夕刻。
帝国騎士団本部前の大広場には、完全武装した騎士たちが集結していた。
近衛騎士部隊、特攻騎兵部隊、独立遊撃部隊、魔法騎士部隊。
整然と並ぶ騎士たち。
帝国旗が夕風にはためく。
馬たちが地面を蹴り、武具が夕陽を反射する。
ミリアたちも既に準備を終えていた。
「シャルロット」
「……ん?」
呼ばれたシャルロットが振り返る。
そこにはミリアがいた。
「おはよう……じゃないか。もう夕方だね……」
「ああ……」
「昨日はありがとう」
「何がだ」
「話せてよかった」
「…………」
シャルロットはいつも通り。
無愛想な表情で、短く――。
「そうか」
とだけ答えた。
しかし――。
(話しかけてくれたああああああああああ!!)
内心では大騒ぎだった。
(しかも昨日の話! 覚えてる! 覚えててくれた! 当然だけど! でも嬉しい!)
「シャルロット?」
「……何だ」
(顔! 顔を見るなぁぁ! ミリアちゃん! 今絶対ちょっと緩んでる!)
「なんか顔赤くない?」
「夕日のせいだ……」
「そう?」
「そうだ」
「体調悪いなら――」
「絶好調だ」
「ならいいけど……」
ミリアが離れていく。
シャルロットは背筋を伸ばしたまま見送る。
「…………」
そして心の中で――。
(かわいい……)
静かに死んだ。
「副団長?」
「黙れ!」
近くにいた騎士が驚いて姿勢を正した。
◆◆◆
やがて、ギルバートが全軍の前へ立った。
太陽は既に西の地平へ沈みかけている。
作戦開始は――日没。
潜入班が闇へ紛れるためだ。
夕刻に帝都を出発し、日没後に落日の砦周辺へ到着。
そこから潜入班が先行する。
ミリア、ゼイン、シャルロット、レイヴァン。
四人が砦内部へ潜入し、大元の魔物結晶とガルフや幹部たちの配置、見張りと内部構造を確認する。
そして情報を持ち帰った後、本格的な黒狼の牙討伐作戦が始まる。
「帝国騎士団――傾注!」
ギルバートの声が響いた。
数百の騎士が一斉に姿勢を正す。
「我々が向かうのは――落日の砦!」
空気が震える。
「かつて我ら帝国騎士団が敗れた場所だ!」
シャルロットの瞳が鋭くなる。
「そこで多くの仲間を失った!」
騎士たちが拳を握る。
「父を失った者もいる! 兄弟を失った者もいる! 友を失った者もいる!」
ギルバートの声が帝都へ響き渡る。
「だが――!」
剣を抜く。
夕陽が刀身を赤く染めた。
「我々は復讐のためだけに剣を取るのではない!」
ミリアが顔を上げる。
「黒狼の牙は今、帝国だけではない! この世界に生きる全ての者へ牙を向けようとしている!」
騎士たちの目に戦意が宿る。
「ならば! 我らが――その牙を折る!」
ギルバートは剣を天へ掲げた。
「「「――応ッ!!」」」
轟音。
数百の声が一つとなり、大地を震わせる。
「帝国騎士団!」
ギルバートが剣を振り下ろした。
「――出陣ッ!!」
「「「オオオオオオオオオオッ!!」」」
帝都の巨大な門が開いていく。
馬蹄が鳴り騎士たちが動き出す。
帝国旗が風を裂く。
その中でミリアは遠く沈んでいく夕陽を見つめた。
これから向かうのは、かつて無敗の帝国が敗れた場所。
ガルムとクラリスが死んだ場所。
そして現在では、世界最強の盗賊団が待つ場所。
「行こう」
ミリアが呟く。
ライガが拳を鳴らす。
「やっとだな……待ちくたびれたぜ」
リリシアは震える手を、ぎゅっと握る。
「……逃げないですぅ」
ゼインはただ無言だった。
シャルロットは双剣へ触れる。
そしてギルバートが先頭を駆ける。
夕陽を背負い、帝国騎士団は帝都ラドムを発った。
目指すは――落日の砦。
因縁の地に再び、夜が訪れようとしていた。




