Episode.1 旅立ち
剣と魔法の世界――レガリア。
その片隅の村レーヴァで物語は始まる。
これは英雄の娘ミリアの成長を描いた物語――。
数年前から、この世界には”天の厄災”と呼ばれる
魔神【ザンガ】が現れるようになった。
ザンガがどこから来たのかも、目的も不明。
だが、現れた土地は例外なく焦土と化し、豊かな国すら一夜にして沈む。
黒い瘴気は風に乗って広がり、人々の肺を蝕み、心を腐らせていく。
人々はその禍々しい存在を、ただ恐怖の象徴として語り継いだ。
ミリアの父――アルトは、かつてレガリアに召喚された魔神を討伐した
英雄の一人として、ザンガ討伐の任を請け負った。
◆◆◆
三年前のことだ。
「必ず戻る。お前たちを、この世界を守るために」
そう言って家を出た背中を、
ミリアは母とともに見送った。
しかし、いまだに父は帰ってこない。
ザンガは神出鬼没であり、世界各地に突如として現れる。
追跡するにも、街を滅ぼした後は瘴気として消え去る。
再び現れるのは数年後か、数ヶ月後か、はたまた翌日か。
誰にもわからない。
◆◆◆
最近になって母の様子がおかしくなる。
急に咳き込んだり、よく躓くようになったり、呼んでも聞こえていなかったり。
母――リナはザンガの瘴気に侵されていた。
病はゆっくりとリナの身体を蝕み、
やがて立ち上がることさえ難しくした。
それでもリナは笑っていた。
「大丈夫よ、ミリア。お父さんはきっと帰ってくるわ」
声は優しく、まるで春の日差しのように温かかった。
月日が流れ、父――アルトの消息は途絶えたままだった。
ザンガの被害はむしろ拡大し、
村も、森も、命の灯が消えていく。
そんな中でも、リナは毎晩、ミリアに語り聞かせた――
「アルトと旅した頃はね、本当に大変だったの。
でもね、不思議と笑っていられたのよ。
私もアルトもこのレーヴァ村の幼馴染でね、
いつも剣士ごっこをして遊んでいたの」
焚き火の前で語るリナの声は、
どこか遠い世界の物語のように響いた。
「成長した私たちは夢だった冒険に出たわ。
ライバルと出会い、師匠と出会い、たくさんの絶景を見てきた。
あなたに戦い方を教えたのも、いつかあなたにも冒険をして欲しいから…ごほっ……ごほっ」
リナは苦しそうに肩を上下させながら激しく咳をした。
時々吐血しながらも。
「母さん……もう休もう…」
「大丈夫よ、ミリア。ありがとう。
でもあなたにちゃんと伝えておきたいの」
それからリナはたくさんの冒険の話を聞かせてくれた。
楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、全部。
ミリアはその語りを胸に刻みながら、
いつかアルトやリナと同じように戦える力を手にしたいと願っていた。
そして――その日が、静かに訪れた。
リナの呼吸は次第に浅くなり、
頬の色が雪のように薄れていった。
手を握ると、もう指先のぬくもりは感じられなかった。
「ミリア……そこにいる…?」
「いるよ……母さん」
リナはわずかに微笑みながら、ミリアの頬を撫でた。
「父さんを……探して……ザンガを……討って……。
ミリアなら……できる……。
あなたはもう、十分強い……
父さんと母さんの子……愛してるわ……」
それが、リナの最後の言葉だった。
涙が頬を伝っても、ミリアは叫ばなかった。
リナの穏やかな寝顔が、まるで深い眠りに落ちたようだったから。
静かに祈りを捧げ、翌朝に村の外れの丘に墓を築いた。
丘からは辺境の街『アステル』が一望できる。
風がミリアの束ねた黒髪を揺らし、空には朝日が昇る。
「母さん、約束する。必ず父さんを見つけて、一緒にザンガを倒す」
ミリアは膝をつき、剣の柄を強く握りしめた。
「私はもう、子どもじゃない」
ミリアは立ち上がり、涙を拭った。
朝日が昇るたびに、この世界は新しく生まれ変わる。
ならば、自分の旅もまた――この光の中から始まるのだ。
丘の上から見下ろす街は、黄金色に染まり、
瓦屋根が陽光を反射してきらめいていた。
遠くでは鐘の音が響き、人々の生活が息づいている。
その温もりが、ミリアの背をそっと押した。
風が吹き抜ける。
剣の鞘が微かに鳴った。
ミリアの瞳には、もう迷いはなかった。
――父を探す旅。
――ザンガを討つ戦い。
――そして、母が信じた希望の証明。
ミリアは振り返り、優しく微笑んだ。
「母さん、行ってきます。」
そして前を向いて一歩を踏み出した。
陽光の中に、彼女の影が伸びていく。
世界の命運を握るその背に、確かな光が宿っていた。




