課題開始
「はあ……何故あの娘は、あそこまでアリアを目の敵にしているのだ」
やれやれと思いながら首を振ると、「まあ、なんて美しいのかしら」「今日も素敵だわ」と騒がしい声が聞こえた。
「ほら、ご覧になって! あのノア様のお姿!」
「立っているだけで神々しい、まさに生きる天馬のよう!」
「きっと神の使いとして、ノア様をこの世に生み落としてくださったのよ!」
「「ノア様~~~〜!!!」」
キーーーーンッという耳を劈くような女たちの声に、思わず耳を塞ぐ。
『おい、今度はなんだ!?』
『あちらに、第一王子がいるみたいですよ』
『第一王子?』
眉根を寄せながらそちらを見ると、周囲の騒ぎに全く興味のなさそうな男が一人、皆に遠巻きにされて立っている。
『あれは……ノア・ヘイムダルか?』
『おや。ご存知でしたか』
『知っているに決まっているだろう。この国の王太子なのに』
銀色の髪の毛の下。無関心に遠くを見ている碧眼が懐かしい。
『あいつが子どものときに少しだけ会ったことがあるのだ』
『それは、なかなかに興味深い話ですね』
『見ない間に、随分と大きくなったな』
身長があんなに伸びると、一目じゃ誰かわからないな。
じいっと眺めていると、ふと、ぱちっと目が合った。
お、と思いながら手を振ろうとすると、どうでもよさそうな表情で顔を逸らされてしまった。
『……超不愛想だな。あんなやつだったか?』
『そんなの今に始まったことではありませんよ。我が国の王太子は笑わないことで有名ではないですか』
『え、そうなのか?』
『人呼んで〝氷華の王子様〟。聞いたことありませんか?』
フェンリルの言葉に『氷華?』と首を傾げる。
『我が国の王太子は、とにかく冷たくて他を寄せ付けない。しかし、あの美貌ですから、誰も彼を無視できない。そのため氷に花を閉じ込めた芸術品のようだってよく比喩されているのです』
「へえ……」
「それでは皆さん、課題を始めます! Aクラスからお願いします」
頷いたと同時に、ユーリッヒが告げる。さっそくノアたちのいるクラスから始めるらしく、参考まで見ておくかと傍に寄ろうとすると野次馬に身体を押された。
ずさあっと砂の上に腹を打っている私を無視して、彼女たちは「きゃあ~~!!」と叫んでいた。
「頑張って! ノア様~~!!」
「今回も実技成績第一位で間違いなしよ!」
「みんなで声を揃えましょう!」
「「せーのっ」」
「「ノア様~~! ファイト~~!!」」
「っ、おま……!」
お前らなあ!? と身体を起こして怒りそうになった瞬間、目の前にやってきたフェンリルが「にゃん」と鳴いた。
『まあまあ、相手はいたいけな学生たちです』
『なんでだよ! こっちはいきなり身体を押されたんだぞ!?』
『とはいえ、油断しすぎたあなたもいけません。注意が不足していたのでは? それにしたって滑稽なお姿ですが』
『ぐっ……! うるさい! 退け!』
立ち上がろうとしたら、「全く」と腕を掴まれた。
「大丈夫か、アリア」
「ん? っと……」
ぐいっと引き上げられて、よろりと立ち上がる。
「アステルか、ありがとう」
「全く、王太子の取り巻きは周りが見えてないんだから、あんまり近づくなよな」
「大人気なんだな」
砂埃を払いながら、「そういえば」とアステルを見た。
「あの猫目ボブはどうした……んですか?」
「ハンナ? あいつなら、とっくにどっか行ったよ。お前をいびりたいだけだろうし……って、その呼び方は一体何なんだよ」
「あいつは何故アリ……私のことが嫌いなんですかね。何か理由でもあるのかしら」
「え? そんなの……」
グオオオオォォッ! という雄叫びに掻き消される。
なんだ、と思ってそちらを見ると、空高くまで身体を膨らませたスケープゴートと対峙しているノアの姿があった。
「へえ。あの人形、あそこまで大きくなれるのか。まるでゴーレムだな」
「うげえ……マジかよ。さすがは王太子。魔力量も技術も半端じゃないってことか」
スケープゴートが大きな腕を振って、ノアに向かって拳を叩きつける。轟音と共に地面が砕けた瞬間、「キャーッ!? ノア様!?」と先ほどの黄色い歓声とは別の悲鳴が上がった。
砕けた地面と砂埃が舞う中、スケープゴートが拳を上げたらそこには誰もいなかった。
「ノア様はどこに!?」
「見てっ、あそこよ!」
砕けた地面の欠片に足を乗せたその男は、手のひらの上に水の玉を浮かせるようにして出すと、そのままその水を巨大化させた。
「うわっ、なんだあの水の玉!?」
アステルが引いたように言う。
同時に私たちが足場にしていた緑の芝が、枯れたように一瞬で茶色くなる。ここから見える範囲内の木や草花が一気に朽ちていった。
『この辺りの水を一瞬でかき集めましたね』
『みたいだな』
『さすがはノア・ヘイムダル。すさまじいほどの魔力量に、神から与えられたような優れた魔法技術。王太子じゃなければ、よき魔法師になりそうなものなのですが』
『惜しいものです』と、フェンリルがじいっとノアのことを見つめている。
確かに、こいつが惜しむのもわかる。人材としては、秀でたものを持ちすぎている。
いやしかし、それにしても。
「本当に魔法の扱い方が上手くなったな……」
呟いた瞬間、彼はその巨大な水でスケープゴートをまるまる呑み込むと、そのまま赤いラインまで押し出していた。
ばしゃあっと水が弾け、スケープゴートが地面に向かって倒れるとともに、芝や草木に色が戻り、何事もなかったかのような景観になった。
しゅるしゅると元の大きさまで萎んだスケープゴートを見て、「お見事! 合格です!」とユーリッヒが拍手する。取り巻き立ちたちも「きゃあ~~!!」と一斉に黄色い歓声を上げていた。
「さすがノア様! 見た目だけでなく魔法までクールで麗しいだなんて!」
「さくっと合格されてしまうところもカッコいい~!!」
「本当に素敵!!」
きゃあきゃあ、と騒ぎ立てる周囲を無視して、ノアは歩いて行ってしまう。
「少しくらいにこっとしてやればいいのに」
「王太子がそんなことしたら、あの中から死人が出るぞ」
アステルが呆れたように言ったら「それでは次の人!」と課題がさらに続いた。
ノアの素質が異様だったから、あのような大仰な課題になっていたが、大抵は適当に動く人形を赤いラインの外へ押し出すだけであっさり終わっていった。
「次はCクラスの皆さん、お願いします! それではハンナ・スコットさんから!」
「はい」
ふふん、と自信ありげな猫目ボブが相手にするスケープゴートは、身体を自由に伸ばして、バネが跳ねるようにして逃げ回っていた。
他の生徒達の時と比べて、激しくスケープゴートが逃げるところを見ると、ハンナもそこそこ実力者なのだろう。
しかし、そんな人形を見ても平然としている猫目ボブは自身の髪の毛を一本引き抜くと、糸のように長く引き伸ばしてそのままスケープゴート目掛けて縄を巻くようにして、簡単に縛り上げていた。
ほう、あれは。
「なかなかコントロールがいいな」
「ハンナはアーチェリーとかもできるし、ああいう風に何かに目掛けて狙い撃ちにするっていうのは得意なんだよ」
アステルの説明を聞いている内に、紐で縛り上げたスケープゴートを赤ラインの外まで押し出した猫目ボブに、ユーリッヒは「合格です、素晴らしい!」と拍手をしていた。
得意げに髪を払う猫目ボブに、「凄いですわハンナ様!」「あんなに一瞬で課題を終わらせるなんて!」といつもの取り巻き女たちが集まっている。
そして、私の方を見ると、呼んでもいないのにこちらに向かってやってきた。
「見てましたか? マグライアさん」
「ああ、はい。見事なコントロールでしたね」
軽く褒めると、当然でしょ、と言わんばかりに猫目ボブは私に向かって首を傾げた。
「わたくしがすごいのは当たり前として。あなたこそ、あれほどのことを言ったのですから、わたくしよりもさぞ凄い魔法を見せてくれるのよね? 期待してるわよ」
「次はアステル・ストームさん」
猫目ボブの言葉を遮るようにして、ユーリッヒがアステルの名前を呼ぶ。「次、俺か」と言って歩いていく背中を見つめていると、「アステル・ストームがあなたに優しいのは」と猫目ボブがさらに続けた。
まだ話が続いていたのか、とうんざりした気持ちでそちらを見ると。
「聖女候補第一位だからってことをお忘れなく」
「……」
「じゃあ、せいぜい頑張って。無能な聖女候補さん」
鼻で笑って去っていく猫目ボブ。最後まで嫌味たっぷりだった。