Bastard & Master 【20】
【20】
翌朝。
一行は旅立ちの準備をしていた。
黙々と荷造りをしている彼らを眺めながら、ネリーは決意を固めていた。
トランス状態のクリステルに、捨て身で接触したレオン。
レオンによって与えられた命の水で、無事に生還したクリステル。
それが何を意味しているのか、スピリッツ・マスターの端くれである彼女は、もちろん理解していた。
ふたりは想い合っている
予感が、現実のものとなった……というだけの事であった。
命の水に関わる掟──
ネリーには医療を司る力はまだない。しかし、その掟については学んでいた。
術師は、病人もしくは怪我人に手をかざした時、病状と共に『想い』を知るという。
その一番大きな部分に住まう人物こそが、命の水の効力を、最大に引き出すことが出来るのだ。
しかし、その事実を、術師以外の人間には決して知られてはいけない。
それが、命の水を使う時の掟であった。
心に住まう人物が、家族や恋人、あるいは恩師といった、誰もが納得出来る者であれば問題はない。
しかし、倫理的に許されない関係を知ってしまう事も、多分にあるのだ。
せっかく病や怪我に打ち勝っても、その後に待っているのが過酷な人生では遣り切れない。
周りに悟られないように、そんな場合には術師が自ら命の水を施すのである。
命の水を術師に施された者は、公に出来ない何かがある──
そんな話がもし一般に広まってしまったら、術師は医療を施す事が難しくなってしまう。
人の口は恐ろしい。
想う人物が離れた場所にいる者もあれば、誰も心に住んでいない、寂しい人生を送っている者もいるのだ。そんな人々までが、心に傷を負うだろう。
そして、身に覚えのある者は、どんなに症状が重くとも術師を拒むかも知れない。
助かる命に触れる事もさせてもらえず、死なせてしまうかも知れない。
それを恐れて、術師たちは、『理由を語らない』という掟を作ったのである。
ネリーは荷物を背負って立ち上がった。
仲良く、馬に荷物を積んでいるレオンとクリステルに歩み寄る。
「あの……短い間だったけど、ありがとう」
え?……と、二人がネリーを振り返る。
少し離れた所で、やはり出発の準備をしていたラインハルトとダニエルも、手を止めてこちらを見た。
一斉に皆の視線が集中して、ネリーは赤くなってもじもじする。
「え……と……あたし……ここから、ひとりで行くね」
「都へ、一緒に行くのではなかったのですか?」
戸惑ったようにクリステルが問うと、ネリーは、えへへ……と笑った。
「クリステルやダニエルさんを見てて、あたしも考えたの。みんな、あたしなんかより実力があって……なのに、精一杯頑張ってる。あたしも、背伸びしないで、まずは自分が出来る事から頑張ろうって」
ちょっと照れたような、しかし、清々しい笑顔であった。
「これからどうするつもりなんだ?」
レオンが、妹を手放す兄のような気分で不安げに訊くと、ネリーは胸を張って言った。
「世界中を歩くの。自分の足で。困った人々の力になりたいんだ。最初は小さな事しか出来ないかも知れないけど、少しずつやってみる」
「そうか……頑張れよ!」
短期間で、随分逞しくなったようなネリーの笑顔に、レオンもつられて微笑んだ。
「どうかお元気で……」
クリステルはそう言って、ネリーを抱き締めた。
「どこにいても、いつも、あなたらしさを失わないで下さいね」
ネリーはクリステルの腕の中で、コクリと頷き、ありがとう……と、呟いた。
「成長したあなたに、またお目に掛かれる事を、楽しみにしていますよ」
ネリーは、くすんと鼻を鳴らし、また小さく頷く。
「ネリー嬢」
いつの間にか側に来ていたラインハルトが、ネリーに声を掛ける。
振り返ったネリーの手を、ラインハルトが恭しく取った。そっと、そこへ唇を落とした。
「あ……」
真っ赤になったネリーに、ラインハルトが紳士の微笑を向ける。
「淑女への、敬愛のキスです。あなたの旅立ちを祝福させて下さい」
ラインハルトのような上品な男に、淑女扱いしてもらって、ネリーは慌てた。
「あ、あのっ……ありがとう。あなたって、いい人ね。それに、よく見るとすごくハンサムだし……えっと……昨夜は、いじめてごめんね」
ラインハルトは苦笑し、そして吹き出した。
若い娘が色めき立つような美丈夫を捕まえて、よく見ると……などと言われたのは初めてであった。
その上、いじめてごめんね……だ。
この娘は大物になる。
ラインハルトは愉快な気分でそう思った。
全員が笑っていた。
明るい旅立ちとなった。
ネリーと別れ、そしてラインハルトとダニエルも、フッサールへ帰っていった。
事後報告に戻らねばならないが、近いうちにフォンテーヌでお目に掛かりましょう……と、言い置いて、ラインハルトたちはフッサールへ進路を取った。
旅の始まりと同じように、レオンとクリステルは二人きりになった。
静かで穏やかな旅が、二度目の夕刻を迎えようとする頃──
美しい田園の風景の向こうに、遠目にも繁栄している事が伺える城下町と、聳え立つ白亜の城を見た。
「あれが……」
「フォンテーヌの都と、国王陛下の居城です」
城下町へ入ろうとする二人を、クリステルが呼び寄せておいた馬車が待っていた。
馬車を操る御者の他に、貴族らしき身なりの男と、その従者が、街外れで待っていたのだが、三人共に、こちらの無事な姿を見た途端、破顔した。
「クリステル様っ! よくご無事でお戻りになられました!」
貴族男が、縋りつかんばかりに駆け寄って言った。
「コルベール殿……あなたが直々にいらして下さったのですか?」
クリステルも微笑を浮かべる。
この男も、クリステルの信望者か……?
やれやれ……という感じで傍観していたレオンに、しかし、コルベールはクリステルに向けるのと同じような眼差しを寄越した。
クリステルが紹介する。
「ヴィクトール・レオン殿です。……レオン、こちらはクロード・コルベール男爵。私と同じ師に学ぶ、おとうと弟子のスピリッツ・マスターです。今回の到着を、風の精霊に伝達してもらったのですが、受け取って下さったのがこの方です」
おとうと弟子……とは言ったが、年齢はもしかしたら自分達よりも上かも知れないな……と、レオンは思っていた。
とにかく無礼にならないよう、レオンはクリステル教官の元で学んできた『青年貴族』に変身する事にした。
「ヴィクトール・レオンと申します。直々のお出迎え、痛み入ります、コルベール男爵」
胸に手を当てて一礼する。
コルベールは感激しきり……といった表情で、礼を返す。
その様子に、妙な違和感を覚え、レオンはちらりと横目でクリステルを伺う。
クリステルはそれに気付いて、くすっと笑った。
「しかし、なぜここまで来て、馬車に乗り換えるのですか?」
乗り込みながらレオンが訊くと、コルベールは笑った。
「クリステル様は街中をよく歩かれますので、城下でも人気がおありで……。久しぶりの御帰郷。馬で城下を通り過ぎようとすれば、民に囲まれて、王宮に辿り着くまでに夜中になってしまいますからね」
呆気に取られているレオンに、では……と言い置いて、コルベールは馬車の扉を閉めた。
「出発だ。安全運転でな」
人の良さそうなコルベールの声が、御者に告げている。
レオンとクリステルの馬は、コルベールとその従者が引き受け、一行は城下町へ進路をとった。
「お前さぁ……普通、貴族の姫君が、街中を一人歩きとかするのか?」
走り出した馬車の中で、レオンが呆れたように訊くと、クリステルは微笑んだ。
「普通は、いたしませんね」
「跳ねっ返りめ」
「お褒め頂き、光栄ですわ」
すまし顔で言う様子に、レオンは笑い出した。
「でも、さすがに親は心配するだろう?」
クリステルは肩を竦めた。
「お前ひとりで、軍隊を引き連れているよりも強いからな……と、父は笑っています」
「あははは……そりゃすごい。会ってみたいもんだ、豪傑親父」
クリステルも笑う。
「それも、褒め言葉……と、取っておきます」
そして、遠くを見るような目をして呟いた。
きっと、そんな機会もあるでしょう……と。
走り出した馬車の窓から都の街並みを眺め、レオンは溜息をついた。
フォンテーヌの国民でありながら、辺境のトレッカの町しか知らずに育った。
質素な美しさがあり、辺境であっても、ささやかな豊かさを感じさせるトレッカの町を思えば、我が国がいかに恵まれた国であるか、想像する事は出来た。
が……しかし、これほどとは……。
塵ひとつ落ちていない整備された道。
家々の窓辺には溢れんばかりに花が咲き誇っていて、商店には活気がある。
何より、行き交う人々の笑顔が明るい。
こんな国を治めている国王に、自分は会いに来たのだ。
レオンはひとり静かに、心を引き締める。
馬車が城門をくぐる。
広大な前庭の向こうに、視界に入りきらないほどの規模で聳える王の居城。
白亜の城壁が、夕日を浴びてオレンジ色の光を放っていた。
つづく




