Bastard & Master 【21】
【21】
謁見の間の隣にある控えの間で、レオンはひとり吐息をついた。
クリステルは帰国の報告をする為に、先に呼ばれて出て行ったきりである。
控えの間とはいえ、謁見を望む各国の重鎮たちが控える場所である。瀟洒な造りで、見た事もないような調度品が並んでいる。
ふかふかした大きな椅子に緊張した様子で腰掛け、レオンは所在なげに部屋を見渡した。
高い天井から下がった重厚なカーテンの向こうには、きっと窓があるのだろう。
外はすっかり日が暮れているはずだ。
城下町に明かりが灯り、きっと美しいだろう。
気分を落ち着けるために、景色を見てみようかとレオンが立ち上がりかけたところで、誰かが扉をノックした。
クリステルが戻って来たのかと期待したレオンだったが、扉を開けたのは、近衛の兵士であった。
「ヴィクトール・レオン様。どうぞ謁見の間へ……」
レオンは一瞬の間の後、頷いて立ち上がった。
縦長い大広間であった。
近衛兵に案内され、最奥の玉座へ向かって広間を縦断する。
「まもなく陛下がお出ましになられます」
その言葉に緊張感が増し、レオンの気が張り詰めて行く。
片膝を着き、頭を垂れて待機していたレオンの耳に、衣擦れの音が聞こえて来た。
その音は玉座の前で止まり、深みのある低い声がそっと空気を震わせた。
「顔を上げるが良い」
慈悲深さを感じさせる、温かみのある声であった。
緊張と感動とで胸が一杯になりながら、レオンは漸く顔を上げた。
声から感じたイメージを違えず、高貴でありながらどこか人を惹き付ける顔立ちは、ややふっくらと貫禄があり、金色のヒゲを蓄えていた。
ゆったりと玉座に座り、穏やかで暖かな眼差しが、真っ直ぐレオンを見ている。
「ヴィクトール・レオンと申します。国王陛下の命と伺い、本日参上致しました」
レオンの言葉に、王は大きく頷いた。
「トレッカより遥々、ご苦労であった」
そう言って、また観察するかのように、レオンをじっと見詰める。
やがて、王は満足げに溜息をついた。
「そなたの父、ジョセフに良く似ておる。生き写しとはこの事……。ヴィクトールよ、なぜ登城を命じたか、その訳は存じておるな?」
レオンは頭を下げた。
「おおよその事は、クリステル殿から伺いました」
父ジョセフの領地と領民を守るため──
クリステルからはそう聞いていた。
父亡き後、それを守って来たのは、父と仲の良かった従兄弟のアナトールという人物であった。
しかし、アナトールにも隣国に彼の父親から受け継ぐ領地があり、帰国の日が近付いていると。
いきさつをもう一度頭の中で復習しているレオンに、王は言った。
「その話……。詳細を正さねばならぬ個所がある」
問うように顔を上げたレオンに、王は微笑みかけた。
「クリステルより報告を受けておる。そなたの人となり、申し分なしと。全てを話して聞かせるに値する人物であると……」
全て……?
一体、何を言い出すつもりなんだ、この方は……
言い知れぬ不安が、レオンに圧し掛かる。
しかし王は、親しみを込めた瞳でレオンを見詰めていた。
「余は……名をアナトールという。そなたの父、ジョセフとは従兄弟同士である」
え……
「余の父は、北の隣国エレンブルグを治める王。しかし高齢で、余の帰国を心待ちにしておるのだ」
何を……言ってる……?
「書類の上でジョセフの妻であったソフィアは、フッサール王の妹姫でのう。このまま余がエレンブルグへ帰国すれば、このフォンテーヌへ、あの腐ったフッサールの王族が踏み込んで来るであろう。余もジョセフも、それだけは阻止せねばと思っていた」
ちょっと……待った……っ!
レオンの脳味噌がフル回転していた。
王は何と言った……?
実の父の従兄弟だと……
つまり……
レオンは一度、ぶるっと強く頭を振った。
領地と領民だと思っていた事が、国と国民だった……という事か?
父は領主だと思っていたが……国王だった……という事か?
レオンの考えがまとまるのを待っていたのか、しばし黙っていた王だったが、しかし……と、続きを口にした。
「ジョセフの真の愛情はマルガレーテにあったとは言え、彼女は正式な妻ではなかった。そなたがジョセフの残した息子である事は一目瞭然だが、納得しない者もあろう。……しかし、余もジョセフも、そなたにこのフォンテーヌを治めてもらいたいと思っている」
王はいったん言葉を切って、レオンを真っ直ぐに見た。
「誰にも口を挟ませぬため、条件がある。……そなたには、我が娘、ベアトリーチェを妻に迎えてもらう」
一晩ゆっくり考えるが良い……と、王は言った。
言葉通り、レオンは考え続けた。
フッサールは軍事大国だと聞く。
レオンひとりの命を奪うために、百を越える大群を送り込むような狂った連中だ。
城下町で見た人々の笑顔が、あのままあり続ける事はないと思えた。
自分に何が出来るというのだろう……
父のように、そして今の王のように、国を治める自信などもちろんない。
自信はないが、フッサールに乗っ取りを許す事は、断じて出来ない。
しかし……
その為の条件が、王女と結婚する事。
そこでレオンの思考は停止する。
何度も何度も考えた。
しかし、そこまで来ると、いつもレオンの脳裏に青い瞳が浮かぶのだ。
王との対面を終えた後、真っ先に尋ねたのはクリステルの所在だった。
この部屋へ案内してくれた女官は、申し訳なさそうに言った。
今夜は帰国の報告等で、いろいろな方を訪問されるため、ご多忙にございます。
明日の朝にはお目にかかれましょう……。
久しぶりの、ひとりきりの夜。
広い居室は静か過ぎるほどなのに、レオンの胸も、頭の中も、騒がしくざわめいていた。
クリステル……
俺はどうすればいい?
お前はなぜ……今、側にいてくれない……?
ほとんど眠れずに、レオンは夜明けを迎えた。
「おはようございます。もうお目覚めでいらっしゃいましたか、ヴィクトール殿下」
起こしにやって来た女官が感心したように言った。
そうじゃない……眠れなかったんだよ……
心の中で呟いて、女官には、おはよう……と挨拶をする。
その後ろから、更に三人の女官が入って来た。それぞれ両手一杯に、レオンの物らしい服を抱えている。
レオンはその中から一番こざっぱりしたものを選び、着替えを手伝おうと言う彼女らを部屋から追い出した。
着替えて、窓辺のカーテンを開ける。
明るくなって初めて、そこが広いバルコニーになっている事を知った。
季節の花が可憐に咲き乱れていて、レオンはほっと、溜息をついた。
バルコニーへの扉を開け放ち、気持ちのいい風を感じながら草花に触れる。
ここへ来て、初めてくつろいだ気分になった。
レオンの様子を窺った女官たちは、気を利かせて、朝食のテーブルをバルコニーに設えてくれた。
寝不足で、食欲などないと思っていたレオンであったが、少し口にすると、あとは自然に食が進んだ。
そんな自分に、自嘲気味な笑いが浮かぶ。
不意に、給仕をしていた女官たちが、波が引くようにテーブルから離れた。
女官の制服とは違うドレスが、レオンのテーブルの傍らに立った。
レオンが気付いて顔を上げる。
「おはようございます、殿下」
「あ……」
レオンが固まった。
目の前で微笑んでいたのは、一晩中、会いたいと願ったクリステルであった。
「座ってもよろしい?」
「あ……うん……」
クリステルは淡い水色のドレスを着ていた。
飾り気の少ないデザインが、返って、身のこなしの美しさや整った身体の線を際立たせる。
レオンは、クリステルの一挙手一投足に目を奪われていた。
女官が、クリステルの前にもミルクティーのカップを置いた。
ありがとう……と、微笑んで、クリステルはカップを口に運ぶ。
一口飲んで──そこで、レオンと目が合った。
レオンは我に返って──
「そ……そうやってると、跳ねっ返りがウソみたいだな。お前、やっぱり貴族のお姫さんだよ……。あの変わった服は?」
「あれは、旅装束ですから」
言ってから、クリステルは小さく笑った。
「昨夜は、沐浴のお世話係の女官を追い払ったそうですね?」
ちょっと、からかうように訊く。
レオンは赤くなって、ふん、と鼻を鳴らした。
「当たり前だ。風呂くらい、自分で入れる」
クリステルは可笑しそうに、くすくす笑った。
「女官たちは、ハンサムな次期国王さまのお世話がしたくて仕方ないのですよ」
レオンが片方の眉を上げる。
「からかうなよ」
そして、ふっと、目を逸らせた。
「それに……俺は国王にはならない」
「なぜです?」
静かに、クリステルが問う。
「条件が、呑めないからだ。好きでもない女と一緒になるなんて、父親と同じ過ちを繰り返す事になる」
民の命運を思えば、辛い決断だった。
しかし、どうしても譲る事が出来ないと、たった今思い知った。
「王女では御不満だと?」
「そうじゃない」
弾かれたように顔を上げると、クリステルはもう微笑んでいなかった。
「では、どなたか他に……想う方がいらっしゃるのですか?」
一瞬の間があって後、レオンは溜息を吐き出すように呟いた。
「ああ……そうだ」
ふたりの視線が絡み合った。
心を探りあうように、互いの瞳の色を見詰める。
息が詰まるような沈黙の後、クリステルが立ち上がった。
「国王様に……正直にお話ししてみる事です。あの方は、わからず屋ではありません」
小さな微笑を残し、クリステルは部屋を出て行った。
今夜は殿下のご帰国歓迎の宴が開かれるのですよ。
女官が頬を紅潮させて告げたのを、レオンは反芻し、吐息をついた。
歓迎の宴を開いてもらっても、自分はここに留まる事を拒もうとしているのだ。
どんな顔をして、この国の貴族達に会えというのだ。
ただひとり会いたい人物は、忙しくしているらしく、朝食の後からは顔を見せない。
ずっとおとなしくしていたプティが、そろそろ退屈になってきたらしく、レオンは催促されて、城の中や広大な庭を散策しながら時間を潰していた。
しかしどんな美しいものや珍しい物を目にしても、今のレオンの心には響かない。
考えているのは、ずっと、クリステルの事ばかりであった。
いつからだろう……
こんな気持ちが自分の中に育っていたなんて……
その存在の大きさに気付いてしまった今、他の誰かと一緒になるなんて、レオンには考えられなかった。
実の父は、偽りの結婚のために、真に愛した女を失ったのだ。
俺は……同じ轍は踏まない。
あんたは、わかってくれるだろう?
レオンは亡き父に、そっと尋ねる。
しかし、今の王はどうだろう……。この国の民は……
国王様に……正直にお話ししてみる事です。
あの方は、わからず屋ではありません。
クリステルの言葉を思い出す。
レオンは決心し、踵を返した。
王に会いに行くのだ。自分の気持ちを、きちんと聞いてもらおう。
足早に歩き出したレオンの背中を、プティがそっと、後押しした。
前向きな気分で歩き出したレオンであったが、王に会うにはどこへ行けばいいのかわからなかった。
城の中をウロウロと歩きながら、レオンは、まいったな……と頭を掻いた。
廊下の、曲がり角の向こうで、人の話し声が聞こえた。
女官たちが数人でおしゃべりをしているようであった。
彼女達に訊いてみよう……と、レオンが曲がり角の手前まで来た時、女官のひとりが、レオンがこれから会いに行こうとしている人物の話を口にした。
「陛下のご機嫌が麗しくて、何よりですわ」
「そりゃぁそうでしょうとも。ご寵愛のクリステル様がお戻りになられましたもの」
「王妃様がご不在でいらっしゃるし……」
「本日は朝からずっと、クリステル様をお側に置かれていらっしゃいますのよ」
なおも話しを続けながら、女官たちの声は遠ざかって行く。
レオンは──その場に凍りついていた。
つづく




