2話 アオイトリ
——私は誰かに呼ばれたような気がして、微睡の中でゆっくりと思考を始めた。
『××さんは本当に、何というかお利口さんね。…私たちが教えられることなんて一つもないんじゃないかしら』
『××ちゃん!!!初めまして!!前テレビに出てたの見たよ!!!』
これは、きっと夢だろう。
日記の一文を乱読するかのように、名も知らない青髪の少女の物語が断片的に再生されていく。
知らない声。知らない土地の香り。自らに注がれる奇異の視線の数々。
常人なら疲弊しかねない状況に何度晒されようと、日常茶飯事とでもいうように少女はそつなく会話を紡いでいった。
『君には学生という立場があることを我々も十分理解しているつもりだ。
だが、もし君の目指している先が——であるのであれば——氏の研究所でその才能を伸ばしたいと考えたことはないか』
場面が切り替わると少女は長身の男と会話をしているようだった。冷たく、鋭利な刃物に近い雰囲気を持つ男が値踏みするような視線を少女に向けている。
夢だからなのか。人名や単語に酷いノイズがかかったようにうまく聞き取れない。
実在する人間の話ではないだろうとぼんやり理解していても、私は何故か彼女の動向に注目してしまっていた。
『君のAIと脳医学を絡めた研究の切り口や独創性には国中の人間が注目している。学生という身分に縛られてしまっている現状はあまりにも機会損失が過ぎると我々も考えていてね。一方的な勧誘になってしまい申し訳ないが、君にも悪い話ではないだろう?』
どうやらこの少女は研究所からスカウトされるほどの逸材のようだ。
何らかの化学賞…?的なものに表彰されている情景も多く浮かんできたし、こうした引き抜きもそれ程珍しくないのかもしれない。
『…………はぁ』
一人になったところで普段は超然としている少女がため息をつく。
……。
私がガキの頃から日本の飛び級制度は一般化されつつあった。
世間一般から見れば、彼女の人生はその若さに反して成功が約束されたものに見えるだろう。
天才。
軽率にこの言葉を使いたくはないが、彼女への周囲からの評価を鑑みるのであればこの称号はついてしかるべきなのかもしれない。
でも物語の当事者でない、私だからこそ感じられたことがある。
彼女の人生にとって良い転機が訪れたこの瞬間でさえ、決して瞳の奥にある仄暗い靄が晴れないのだ。
もしかしたら本人ですら気が付いていないのかもしれないが、教室や研究所、友人と遊ぶような日常の些細な場面でも少女の視線は常に『今』ではない何か別のものへと注がれている。そんな気がしてならない。
『……能天気に自分のことだけを考えて生きられたら少しはアタシも楽なのかね』
『なんて、アタシらしくないか。はー、だっさいこと言った。』
◇ ◇ ◇
少女の独白を最後に場面が切り替わる。
激しい明点に瞳が慣れ、徐々に周りの様子が分かるようになってくると薬品の香りと不快な電子音が私の感覚を刺激した。
すると、まるで私の覚醒を待っていたかのように無機質なドアが開き、白衣を着た青髪の女性がやってくる。
少しやつれているように見えるがこれは先ほどの少女で間違いない。研究員としての人生を歩み始めたのだろう。
自分が体験しえなかった人生のことだ。
現在に、そして自身に執着がないのであれば何が彼女を支えているのか、どうしてここまで上り詰められるのか不思議でならない。
一度死んだ身である私だからこそ、命を持ち得ない他人事であるからこそ、思ってしまうことがある。
「もしこの子が何かに囚われていて、瞬間にしか響かない心の声を無視して生きているんだったら」
「その一生を終えた時に、他人のために生を費やしたこれまでの自分の人生をどう思うんだろう」
もしかして、日記が乱読されるように映像が再生されるのは、少女自身の現実に対する価値観が反映されていたりするのだろうか。
思い出ではなく、出来事が無機質に再生されるのもなんらかの意味があるのかもしれない。
ただ、無責任にもかつての自分を見ているかのような己を蔑ろにする生き方を見て、凄く——
『——————』
……え?
こちらの声が聞こえているわけでもないだろうに不意に少女と目が合ったような気がした。
……いや、間違いない。彼女は確実にこちらを見つめている。
呆然と私を見上げて佇む彼女の瞳から、これまでにないほどの強い感情が伝わってくる。でも表情と彼女の瞳にともった感情があまりにもチグハグすぎて。
何だか、私にはそれが酷く寂しく思えたんだ。
どうして、君は。
宝物を見つけたような瞳で、でもどこか悲しげに涙を流しているのだろう。
◇ ◇ ◇
「———いいな」
「っ………!!!」
「きゃっ!?」
突然耳元に届いたつぶやきに私の意識が引き戻された。
少し遅れてゴチンッと鈍い音が部屋に響く。
「…~~~~~~った~~!!!」
「……あづねぇ……痛いよぉ……」
おでこにヒビが入りそうな刺激に耐えながらチカチカとする視界の端で辺りをぼんやりと見つめていると、頭上に星を巡らせた永愛がゆっくりと顔を上げた。
「!!」
私の動物的な本能なのだろうか。彼女の顔を見て一瞬体がこわばる。
するといつの間にか身体に掛けられていたブランケットが床に落ちた。
「これは……」
「ぅぅ…予備動作なく跳ね起きるとかありえないってぇ…」
「跳ね起きる…?」
胃がキリキリとするような場面が連続して訪れたせいだろうか。いつの間にか眠りに落ちていたようだ。
眠る前の記憶が抜け落ちているし、敵陣のど真ん中でどうしてこう緊張感を保てないのか。我ながら情けないにも程がある。
夢の記憶もないことから、相当深い眠りだったのだろう。
「うぅ…もっとかっこいい所見せたかったのにどうしてこうなっちゃうの……」
彼女が何を話しているのかいまいち聞き取れなかったが、そんなことよりも今は状況の整理だ。
私の、いや、雪穂の肉体はソファに横になっていた。
気になるのはこのブランケット。
仮に雪穂の意識が睡眠をトリガーにして目覚めたとして、彼女が自分でブランケットを持ってきてソファで仮眠を取る可能性もあるが、その場合はリビングで眠るのはおかしな話だ。
阿月の魂を憑依させた疑いのある、永愛を前にしてあまりにも無警戒なことになる。
彼女と意識を共有できる可能性はあるか...?
すこし試してみよう。
「んっ!(パチンッ)」
おい!どうだ!聞こえてるか!?私は阿月。
覚えてるかどうかわからないが、昔事故の時に会ったお姉さんだ!
今頬への刺激と心の声で雪穂、君に語り掛けている!
もし聞こえていたのなら返事をしてくれ!!
............
何もなしか…もう少し彼女に訴えかけるようなことをした方がいいのか…?
「あ、あづねぇ…急にどうしたの…?」
……奇行はいったんここでやめるか。
では思考を切り替えて、雪穂の意識浮上を前提として、永愛が私の意識を復活させるために気絶させた可能性は…?
いや、だとしたら身体にもっと言いようのない不快感があるはず。痛みがあるのはおでこだけだし、彼女が現段階で肉体になんらかの外傷を与えた感覚は、うん、おそらくないな。
であるならば少なくとも、現段階で彼女が早急に何か事を起こすとは考えにくい、のだろうか……?
少し疲れて、近くのローテーブルに視線をやるとラップのかかったお粥と小皿に盛られたゼリーが並べられている。
彼女はもしかして私の容態を心配してくれたのだろうか。
……これは同居人である永愛にソファまで運んでもらったと考えるのが自然だろう。
打算的な言動は相手を刺激したくないし避けたいが、一人で気を揉んでいても仕方がない。
永愛に何か声をかけるべきか。
「す、すまない…私は」
「…だ、だいじょうぶい……それよりあづねぇ。体調は大丈夫…?頭ぶつけたところもなんだけど、身体怠かったりとかしない…?」
「…私は、大丈夫なんだが」
「ほ、ほんと?良かったぁ……あづねぇ、急に糸が切れたように寝ちゃうから本当にびっくりして……
もし良かったら軽くご飯も用意したから食べて?」
おそらく彼女が掛けてくれたのであろうブランケットを軽く引き寄せ、彼女の患部を見るために前髪を軽く掬う。
「「……は?(え?)」」
私は今、何をしている?
「…………(ぽけ~)」
…い、いかん。永愛が呆けている。なんとかして取り繕わないとこれはまずいことになるぞ……
「…えっと…あんたは、大丈夫か?頭がひどく痛んだりとか…」
「い、いや。なんでも、うん!な、何でもないよ!大丈夫!たはは~」
「な、何でもないってことはないだろ…顔が真っ赤だ。もう少しみせ」
「っ!?///ほ、ホントに平気だから!」
痛みが引いて少し余裕が出てきた私とは違い、彼女の瞳は潤み、頬に赤みがさしている。よほど痛かったのだろう。いや違う違う。うん、私は今ありえない程テンパっている。
どうして今自分は反射的にこんな行動を取った?
…いや、しかもなんでもっと顔を近づけている!?
…雪穂の頭は相当な石頭ということなのだろうか。双子とはいえ頭の骨の硬さまではそっくりとはならないか。
じゃなくて、どうして今
——ピンポーン
「え、あ!インターホン!人来たから!」
「あ、おい」
「うぎゃ!」
床に伸びていたブランケットを勢いよく踏みしめた永愛が盛大にバランスを崩し、頭からクッションに突っ込む。クッションがそこになければ笑い話で済まなかっただろう。
「……グスン」
「お、おい。大丈……」
「お、お構いなく!!!!」
◇ ◇ ◇
うさぎが威嚇するが如く跳ね起きた永愛は、逃げるように玄関に向かって走って行ってしまった。
…さて、どうしたものか。雪穂の意識が戻ったわけではないことが確認できたし、先ほどの作戦を続行するべきか。
今度は自分で自分をくすぐって雪穂の意識に訴えかけてみよう。
『〜〜〜!』
『———。』
『!!!!』
己の脇に手を突っ込んで擽るという奇行に走っていると、何やら玄関先から興奮した声が響いてきた。
数分もしないうちに逃げて行った時以上のスピードで興奮した様子の永愛が大荷物を抱えて戻ってくる。
「やけに早——」
「雪ね、じゃなかった!
たはは……あづねぇ!!ついに届いたんだよ!!」
「な、何がだ」
「え、あづねぇ。自分の脇に手なんて突っ込んで何やってるの…」
あ、ポーズこのままで瞑想しながら雪穂の意識に語り掛けていた…
ま、まぁそんなことよりと、鼻息を荒くした永愛が抱えた荷物を床に広げる。
これは伝票に学生服と書かれた平たいダンボール?
ご大層にパッケージには高校名まで記載されている。
「この制服って誰のだ?親戚の子の服を代理で預かったとかか?」
「もちろん!あづねぇの制服に決まってるじゃん!!!!」
「……は?」
私は気の抜けた返事を上げてしまった。
永愛はもしかして私にコスプレをさせようとでも考えているのだろうか。
青春にしろ何にしろ、恐らく形から入ろうとさせてきている目の前の少女に若干の怯えを持った阿月だった。




