1話 地獄の沙汰も双子次第
「……俺の名前は阿月。霜詩 阿月、だと思う。」
自分の喉から出る、前世のときよりも更に透明度の増した「女」の声。
――ああ、またなのか。
命を捨ててまで手放したはずの「女」という呪いが、再び私を覆い尽くそうとしている。
「霜詩、阿月さん。雪姉じゃなくて、あの阿月さん……?」
「…あんたの言う阿月が誰を指しているかわからないけど、俺は別に有名人って訳じゃないし…だれかと間違えてないか…?」
一言刻むごとにこの美しい声を私が穢しているような気持ちになる。
私は自分の魂の在り方を好きだと思ったことは一度もなかった。
それ故に、自分の肉体に女性としての魅力を感じたこともない。
体が男としての自分を閉じ込める檻として機能していたからだ。
遊んでいて楽しいのも、話していて楽しいのも男の子だった。カードゲームや仮面ヒーローだって当たり前に大好きだった。
でも、世界は個性を『エラー』と見なして矯正しようとしてくる。
だから、私は誰かに自分を否定されないようにするために、自分を否定するしかなかった。
おままごとではお母さんになりたいと嘘をつき、
学芸会ではうさぎさんになりたいとヒーロー役を譲った。
女の子の友達ができた時はかっこつけたい気持ちを押し殺し、
愚痴ノートがクラス女子の間に出回った時も、決定的なズレを自覚しつつ無理して共感を装った。
そして――大好きな、ずっと一緒にいたいと思っていた親友の男の子に告白された時、吐き気を覚えた自分を呪った。
恐らくあの瞬間が人生で女であったことを強く後悔した最初の出来事だと思う。
「...ふ、ふふ。」
顔を伏せ、桜色の透き通るようなツインテールとその豊満な体をふるふると震わせる、今の私とそっくりな容姿の女性。
そして、鏡に映る本来の自分とは違う女性らしい体つきと均整の取れた顔立ちに、の意思とは無関係に心音が高鳴る。
思わず前世で抱いた自責がこみ上げ、興奮とも吐き気とも言えない胸の苦しさを覚えながら目の前の美少女を見つめ返す。
「……ふ、ふふふ。ふふふふふふ」
「ふふふふふ。あはははっ!!!
これは雪ねえに一本取られちゃったなぁ」
「………」
「あ!ちゃんと説明してなくてごめんなさい!
雪ねえ。風見 雪穂は私の双子の姉で〜」
「阿月さんが今入っている肉体の持ち主です♡」
…こいつ、今なんて言った?
「……全く状況が飲み込めないんだが…」
私の言葉を聞き、ふふんと鼻を鳴らす双子の妹。
まるで、そんなことだろうと思っていました、想定通りですとでも言わんばかりの顔だ。
「阿月さん!ご安心を!
心配なんて吹っ飛んじゃうほどの最強美少女転生ライフを、雪ねぇの妹である私、永愛がバッチリサポートしますよ!」
…この少女は今、自分の名前を、なんと言った?
自分があの『永愛』だと言った、のか?
忘れたくても忘れることのできない、魂に紐づいた事故の記憶が胸の深い深い底で疼いた気がした。
――「「わたしたちがぜったいたすけるから!!!」」
……っ、いや、そんなわけない。そんな事実は認められない。認めたくない。
「…すまない、今は西暦何年だ…?」
「えっと~、確か2118年だったかな?書類とか全部自動で入力してくれるからあんまり覚えてないけど」
…ほんとにどうなっているんだ。
この少女の話を鵜吞みにするなら、私の意識は10年以上眠っていたことになる。
空白の期間や肉体の謎を整理していくうちに、ありえない仮説が沸き上がったが、彼女たちがそんな凶行に走るはずが無い。
そんなものはただの妄想であり、彼女たちは他人の空似だと自身に言い聞かせた。
……だが、目の前にいる少女と私の身体的な特徴は脳裏に焼き付いた双子たちの姿を想起させてくる。
もし。もし仮にだ。彼女とこの肉体の主が本当にあの双子だとしたら。
それが本当だとしたら、どうして姉の体が他人のものになってしまっている事実を受け入れたうえで、喜々として語っているんだ…!?
なぜ、そんなにも残酷な選択ができる!?
「それにしても感動だなぁ…!あの阿月さんにもう一度会えるなんてっ!」
―やめてくれ。
私は、こんな結末を望んであの時の双子に言葉を残したわけじゃない。
「私、あの時からあなたにもう一度巡り合うためだけに生きてきたんです!」
私のしたことは本当にただ自己満足でしかなく、自分のような人間が双子に希望を残そうだなんて考えてしまったのは私の人生最大の間違いだったのか…?
「あ、あ……」
私は、ただ二人の記憶の中に嫌な記憶としてではなく、前に進んでもらうために。
他者が命がけで助けてくれるほどの価値が自分たちにあるのだと、私がついぞ死ぬまで得ることができなかった安全地帯をせめて死ぬ前に誰かに作ってあげたかっただけなのに。
「ね、お姉さん。あづねぇさん。」
阿月の四肢にねっとりとした視線を這わせながら近づく永愛。
まるで宝物を慈しむかのようにゆっくりと阿月の両手を永愛の両手が包み込む。
「私と一緒に、青春しましょ?」
あぁ、理解した。
私が人生最後に託したと思い込んでいた希望はただの呪いでしかなく。
双子の人生の在り方を歪めてしまうだけの枷でしかなかったのだ。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、あづねぇさん。ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇ…」
「……」
「ね~え!どうして、無視するのぉ…」
「はぁ……」
本日何度目かわからない、特大のため息を吐き出す。
今、私は風見雪穂という少女の肉体を間借りしており、その双子の妹である永愛の住む家のリビングの隅で縮こまっていた。
実の姉の肉体が他人の魔の手に落ちたというのに、キャッキャしている狂人(永愛)に『青春しましょ?』などと洗面所でほざかれてから、はや一時間が経過しようとしている。
「せっかく雪姉があづねぇになってくれたのにこれじゃ全然つまらないじゃ~ん…」
「……あのさ、ずっと気になってたんだが、その『あづねぇ』って...」
「ふふん!これはあづねぇのあだ名だよ!可愛くていいでしょ~!」
「…どうしてもあだ名を付けたいんだったら、せめてあづにぃにしてくれよ…」
「なんで?いいじゃんあづねぇで!今、あづねぇめっちゃ美少女なんだよ?
私と瓜二つの美貌を持つ最強姉妹なのに、兄さん~って変じゃん!」
地獄耳か。なんでボソボソと口にしただけで理解できるんだよ。
「…死んだ後でも女扱いされると流石にしんどい…」
「ふ~ん」
眉を顰める永愛。
ツインテールの端を指先でくるくると弄りながら、こちらを窺うように口を開ける。
「じゃあ、あづねぇはネコとかタチにこだわるタイプなんだね」
「は…?」
「だってあづねぇ、元から女の子じゃん。でも一人称は『おれ』だし、なんか私の顔より下の方ばっかり見てる気がするし。そういうプレイしたくなっちゃったのかな~って」
「ばっ!?こんな非常時に胸なんか見るわけないだろ…!」
「ホントにそう?あづねぇ、自分で思っている以上に顔に出てると思うよ。『永愛ちゃんの身体、えっちすぎ』ってさ」
「…からかうのもいい加減に」
「でも顔真っ赤じゃん?」
…ほんと勘弁してほしい。
ダボダボのシャツを着崩した永愛の裾は、股ギリギリのラインを辛うじて覆っている。
そこから伸びる剥き出しの太ももは、まるで引力があるかのように視線を吸い付けて離さない。
背後からの日の光によって照らされる彼女のシルエットは、服に隠されたその豊満な肢体を浮き上がらせており、部屋に漂う淡いリネンの香りも相まって頭がくらりとしてくる。
こんな状況下に置かれたら誰だって…じゃなくて、目のやり場に困るってものだろ。
私みたいな生前童貞は相手がどんなに異常者だろうと、裸体を連想させるようなシチュへの耐性が薄いんだよ…
「ふふっ、もしかしてあづねぇって処女だったの?」
「ほんとなんなの…出会って小一時間でそこまで突っ込んでくるとか痴女なのか…?」
「いや、こんなの女子の間でなら普通でしょ。ジャブですらないでしょ。ちゃんと学校行ってた?」
「…コメントは差し控えたい」
なんかカースト上位集団の余裕ってやつを感じて不快だな…
性体験を深堀するのは人によってタブーだって知らんのかい、このガキンチョは。
…いや、これ私が拗れてるだけで普通の大人はスルーするよな。なんか鬱…
「あ、ちなみに私。これでも操立ててる人いるから。遊んでばっかとかじゃないよ」
「…はーん」
「……何やら失礼な事を考えてそうね?」
「自分の姉の身体が乗っ取られて笑ってるような人間見たら、誰だって思考盗聴されたくないと思うだろ…」
「本当に失礼!!やっぱり私のこと軽い女だと思ってたんじゃん!!」
「倫理観が軽い女だなとは思ってる、けど」
「え!?そっち!?…う~ん、そっちなら全然許せる、かも?」
「むしろそっち許せるの衝撃なんだが…」
「あづねぇに恋愛脳だこいつ~って誤解される方が断然嫌だね!!」
ん~! と声を上げながら、永愛が大きく背伸びをした。
シャツが突っ張り、薄い生地の下で豊満な曲線が生まれる。ぽきぽきと鳴る骨の音がどこか扇情的に響いている。
……いや、こいつの態度に毒されるな。こいつは実の姉を降霊術の実験材料にした疑いのある狂人だ。
彼女の裏表のなさそうな笑顔とその成長に対する嬉しさから弛緩しかけた頬を内側から噛み、思考を冷やす。
この女との会話は、一言でも踏み外せば命取り、であるような気がする。
私の魂自体はどうでもいいが、まだ雪穂の精神がどうなっているのか分からない以上、この肉体を危険にさらすようなことは絶対に出来ない。
永愛の「青春をしたい」という目的を明確にしない限りは迂闊な言動をすることは避けたほうがいいだろう。
「はぁ……」
これから先の混沌とした未来を想像して、阿月は天を仰ぎ見るのだった。




