43.ブラウン家
「ブラウンさん?」
午後、サエグサ教授から受けるはずの講義の時間に長官室へ訪れたのは、エンジニアチームのリーダー、ケビン・ブラウンだった。
「サエグサ教授に急な仕事が入ったようで、ちょうど時間が空いていたため代役として来ました」
「そんな連絡は……え?」
確認のためMIネットワーク端末を開いたエミリーの表情が曇る。
「……すみません、アルマさん。私も呼ばれているので、少し席を外します。ブラウンさん、後はお願いできますか?」
エミリーはそう言い残すと、慌てた様子で長官室を後にした。振り返ったケビン・ブラウンと、執務机を挟んで向かい合う。
「改めて、本日シュナイダー長官の講義を務めます、ケビン・ブラウンと申します」
「……できれば、アルマと呼んでほしい」
「あー……わかりました。では、私のこともケビン、と」
「わかった」
彼はこれまでに出会ったどの人間よりも背が高かったが、アルマを見下ろすその姿に下層民のベンのような威圧感はなく、立ち振る舞いや物腰の柔らかさから高い知性と誠実さ、そしてなぜだかどこか懐かしさを感じさせた。
「それでは早速始めましょう」
ケビンの講義は非常に丁寧で分かりやすく、気付けばあっという間に開始から二時間ほど経過していた。
「もうこんな時間か……初日から少し詰め込みすぎてしまいましたね。今日のところは、これで終わりにしましょうか」
「ありがとう……でも、まだエミリーが戻ってきていない」
何の断りも入れず勝手に終えたら、真面目なエミリーは怒るかもしれない。
「彼女のことは心配ありません。実は、ウォルター博士とサエグサ教授の協力を得て、アルマさんとゆっくり話す時間を作っていただいたんです」
そう言われて、アルマはケビンに挨拶したときに気付いたある事柄を思い出す。
「……マーサ」
二つの呟きが重なると、ケビンは目を大きく見開き、アルマのもとへ詰め寄り細い両肩を掴んだ。
「マーサは、私の母親の名前なんです。アルマさんは、母のことをご存知なのですか」
『確かに、マーサ・ブラウンという名称が博士の記録に残されています。三人の息子がいるとも』
ミコがそう言うと、ケビンは深く頷いた。
「私には兄が二人いて、二人とも上層民なんです。間違いない。それで、母は今どこに……!」
ケビンの質問に、アルマが胸を詰まらせる。なぜなら彼女は。
「私は、マーサと同じコロニーで暮らしていた。でも……機械獣の襲撃に遭い、私を除く全員が亡くなった」
そう答えた瞬間、ケビンの動きが停止し、アルマの肩を掴む腕に強い力が込められる。その痛みにアルマが表情を顰めるのを見て、慌ててケビンは手を離す。
「マーサは私やジェニィ、キスケにとっても母親のような存在だった。守ることができなくて、ごめんなさい」
アルマの言葉に、ケビンは首を横に振って項垂れた。
「いいえ、責められるべきは、母を見捨てた私です。どうか……少しだけ私の過去を聞いていただけますか?
ケビンはまるで己の罪を懺悔するかのようにぽつぽつと語り始めた。
ブラウン家の三男、ケビン。軍人の父は彼が幼い頃に戦死しており、ほとんど顔も覚えていない。母、マーサと三人の息子は、機械獣の襲来からシュナイダー博士が開発したシェルターへ運良く避難することができ、後にその方舟に揺られてこの塔へやってきた。
厳しくも深い愛情で育てられたマーサの息子たちは、当時すでに心身ともに逞しい青年へと成長していた。長男は危機に立ち向かう正義感に溢れ、次男は根気強く問題の解決に取り組む精神力を備え、三男のケビンは誰よりも頭の回転が早かった。若さと能力、人格を兼ね備えた彼らは塔へ来てすぐに中層へ登る権利を得た。ただし、母親のマーサを除いて。
彼らは母親もともに中層へ移ることを求めたが、認められることはなかった。長男は自分も下層に残ると言い、次男は管理局と粘り強く交渉し続けた。三男のケビンは表向きは大人しく兄に従っていたが、自分より劣る者たちが上に立っていることに不満を募らせていった。その苛立ちから兄弟間での言い争いや喧嘩が増え、大切な家族の仲が少しずつ、だが確かにひび割れていくのをわかっていながら、止めることはできなかった。
そんな状態が続いたある日、突如としてマーサは息子たちに黙って塔を去った。長男はすぐに母親の後を追おうとした。しかしケビンは自分たちが上層へ登ることが母の望みだと兄を説得した。最終的に次男が「一刻も早く上層に到達し、母親を迎えに行こう」と決断した。上層民には自由に塔を出入りする、そして塔内の法律制定に関わる権利を持っているからだ。
数年後、三兄弟は目標を達成し、長男は平和省、次男は生産省、ケビンは技術省に所属することとなった。すぐに母を探しに行こうとしたが、ケビンが予想した通り、マーサの行方を知る手立てなどどこにも存在しなかった。聡明なケビンはこうなることがわかっていながら言葉巧みに兄を説き伏せ、自らの意志で母を見捨てることを選択したのだ。
「だから、母が死んだのは、私のせいなんです」
告白を終えてもなお俯いたまま黙りこくっているケビンの頭に、アルマの平坦で抑揚のない、しかし強い意志を宿した声が投げかけられる。
「……マーサがよく言っていた。必要なら残酷な選択をできる人間こそが、本当に優しいのだと」
顔を上げたケビンはアルマの青い瞳に吸い込まれそうになる錯覚を覚え、思わず目の前の少女が己に天啓を授ける天使か女神のように感じた。
「そのときはわからなかったけれど、今ならわかる。あれは、あなたのことだ」
その言葉を聞いて、ケビンがその場に膝をつく。
「母さん……」
大きな身体を子供のように丸め、ケビンは背中を震わせながら涙を零し続けた。




