八話:虚無は
ノックの音が3人のいる部屋に響く。それにリスタが反応し、扉を開けると、そこにはマリーがいた。
「あ、マリーさん。どうしました?」
リスタがそう言った途端、マリーの表情が少し怖い物になる。
「リスタさん…ちょっといいですか?」
「は、はい」
「お連れさん、すみません。少しリスタさんと話したいことがありまして」
そう言うとマリーはルティラやヴェンの返事も聞かずにリスタの手を引いてどこかへと連れて行こうとする。が、うなっていたメアがマリーにとびかかった。
「!」
だが、リスタがそれを止める。
「メア。マリーさんが怖がってるでしょう?やめてください」
「ニャウ……」
「ルティラ、ヴェン、少し外しますね。メアとロマのことは任せました」
そう言ってリスタはマリーとともに部屋を出ていく。部屋の扉を閉めると、リスタはマリーの目を見た。
「……ついてきてください」
そう言ってマリーはリスタを先導して、宿屋から少し離れた路地裏まで連れていく。
「……言いたいことはわかりますよね」
その表情には抑え込みたい感情がにじみ出ていた。”怒り”。それがリスタに向けられている。
「ええ。それに関しては、一応理由があります。納得できるかは正直怪しいでしょうが……聞いてくれますか?」
「……わかりました」
何とか話を聞いてくそうな雰囲気になったので、リスタはマリーに対する警戒を解く。
「マリーさん。あの領主……オーブルはあなたの憎しみを意図的にあおっていたように見えました」
「……それだけですか?」
「ええ」
「ふざけてるんですか?あたしのことを馬鹿にして……」
「怒り、憎しみというのは1度火種がつけば一瞬でその者を焼き尽くします」
「は?」
「それが燃え上がるのを、おそらく”戴冠の檻”は狙っていると思われます」
「……それがなんなんですか?」
「具体的なことは……わかりません」
「わかっ…!っ!やっぱりあたしのことを馬鹿にしてるじゃないですか!!」
「……ごめんなさい。まだすべてが推測の域を出ていませんから、すべてが曖昧で……」
「もう我慢なりません。獣殻!」
マリーがそう言うとフーちゃんが姿を現す。
「フーちゃん、リスタさんを消して!」
そう言われ、リスタはすぐにフェレンダリオスの白槍を顕現させる。だが、一向にフーちゃんが何かをしてくる気配はない。
「ふ、フーちゃん?早く!」
「……ァォゥ……ァィー」
「え?な、なんで!?」
リスタのほうに向いているフーちゃんにマリーは呼びかけるが、フーちゃんは「ァォゥ」や「ァィー」としか言わず、動こうともしない。
* * *
—獣殻。”恐怖”を持ってこい
昔の命令を”在る虚無”はまだ覚えている。
「フーちゃん!なんで?!」
だが、主は散り、虚無をつかんだ手だけがここにある。
「マリーさん、1度落ち着いてください……」
手だけがあると思っていた。だが、まだ”すべてが在った”。手も、耳も、口も、魔力も……それから、”心”も。
「フーちゃん!」
怒っている。”怒り”を集めるのは”深淵”だと虚無は知っている。
「ァォゥ」
自分が主の前に持ってくるのは”恐怖”であって”怒り”ではない。目の前の、”主の原動力”に捧げるべきは、”恐怖”だ。
「ァォゥ」
虚無はつぶやく。
「フーちゃ…うぐっ!」
そして、虚無は主の手を持つネズミの首を絞め上げた。
「フーちゃ…なん、で……」
”怒り”が冷め、”恐怖”が芽生える。
「や…め……」
「……ァ?」
「離しなさい!」
主の原動力が離せと言う。だから虚無は離す。意思や姿を与えられた虚無はただ主の命令に従うのみだ。そんな道具のはずなのに、途中、何も命令がなかったのに力が緩んでしまったのは、”虚無”の勘違い……なのだろう。
* * *
なぜかマリーの首を絞め、リスタの声に反応したフーちゃんを横目に、リスタはマリーに近づく。
「ゲホッゴホッ!……な、なんで……」
マリーはフーちゃんを見てそう言った。さっきまで怒りに支配されていたというのに、今度は困惑と恐怖に支配され、マリーの情緒はぐちゃぐちゃだ。
「マリーさん。一旦帰りましょう。フーちゃんは……どうしますか?」
「……んで」
「え?」
「なんであたしの言うこと聞いてくれないのに!あんたの言うことは聞くの?!あんたがフーちゃんに何かしたんでしょ!」
「わ、私は何も……」
「じゃあなんで!」
「マリー、そこまでだ」
そんな時、1人の男の声がマリーを制止した。
「ぼ、ボス……」
「ボス……ということは、あなたがシュメルツェンの……」
「あぁ。僕がシュメルツェンのボス。ニスト・カルヴィリア。種族は人間と吸血鬼のハーフってところだ。よろしく」
「よろしくおねがいします……と言いたいところなんですが、先にマリーさんが休めるような場所に連れていきたいので……」
「それなら僕たちのアジトに来るか?」
「……いいんですか?」
「あぁ、君が協力者だっていうことはさっきの会話から予測はついている」
「さっき……いったいいつから?」
「まぁ、最初からかな。そんなことより、とりあえずマリー、お前は休め」
そう言ってニストはその場に座り込んでいるマリーの手を取り、立たせた。
「歩けるか?それとも運んだ方がいいか?」
「歩けます……」
そう言ってマリーは歩き出す。
「僕たちも行こうか」
「ちょっと待ってください。私もですか?」
「あぁ。君には聞きたいこともある」
「それなら先に私の仲間に何か言葉を残してから……」
「確かにそうだな。ただ、急いでくれ。少し、困ったことになったんだ」
そう言われ、リスタは一旦ニストと別れ、宿へと戻った。
* * *
「っ……」
マリーはシュメルツェンのアジトのベットの上で目に涙を浮かべていた。無理もないだろう。今まで家族だと思っていたフーちゃんに、言ったことを一切聞き入れてもらえず、首を絞められ、挙句、フーちゃんはリスタの言ったことを聞いたのだ。
(怖い)
あの恐怖を再び味わうことになるのではないかと思うと、もう自分からは呼べなくなってしまう。ただ、自分から出てくることもあるため、あの時の恐怖が消えるわけではない。
「なんで……なんであたしじゃなくて……フーちゃん……」
ぽつりと家族の名前をマリーがつぶやく。その時、空間がぐにゃりと曲がったかと思うと、フーちゃんが姿を現した。
「ひっ?!」
「……」
怯え、固まってしまうマリーにフーちゃんは手を伸ばす。恐怖のあまり、ギュッと目を閉じる。
「……?」
マリーの頭の上の方に不思議な感触が伝わる。手の形をした空気に撫でられているような感覚。フーちゃんに触られた感触だ。
「ァィー……」
「ふ、フーちゃん?」
ただマリーの頭を撫でるだけ。その行動に困惑し、マリーはそのまま固まってしまう。
「ァィー、ァィェゥ?」
「な、泣いてなんか……あ、あれ?」
いつもの優しいフーちゃんだ。それに安心したのか、マリーは無意識のうちに涙を流す。そうしてそのままマリーはフーちゃんに抱き着いた。
「なん、なんで…………いつものフーちゃん、だ……」
「ィゥォ?」
「うっ、うぅ……なんで…なんで……」
フーちゃんのボロボロなローブに顔をうずめ、マリーは泣き出してしまった。フーちゃんはそんなマリーをギュッと抱きしめるだけだ。ただ、それが嬉しく、マリーはさらに泣き出してしまう。
「ひっ、ぅぅ……ぐすっ……フー、ちゃんの……ばか………」
そうしてしばらく泣いた後、マリーは泣き疲れてしまったのかフーちゃんの腕の中で眠ってしまった。そんなマリーの、呼吸による体の動きを、フーちゃんはじっと見ている。
─獣殻
”虚無”にとって懐かしい声が聞こえた気がした。しかし、”虚無”は聞こえないふりをする。なぜか、今は聞きたくなかったからだ。




