32 エピローグ
最終話です!
「え、じゃあれは嘘だったんですか」
ノクスと共にクロカゲの背に揺られていた。まだ陽も上らない蒼く見慣れない景色は、どこか現実味がない。それでも、背後に感じる体温のおかげで不安な気持ちにはならない。
ヤフェエールから潮の匂いのするフェルディリアの魔法塔へ転移してきたのは一昨日のことだ。
疲労困憊だった私も、丸一日ベッドの上で過ごしたおかげで移動できるほどに回復し、ようやくノルテリアへと出発した、
「嘘とは人聞きが悪いな。ほんのハッタリさ」
"呼び寄せた聖女と聖剣使いを害した王家には、二度とその恩恵をもたらさない"
それを知っていたらもう少しやりようがあったかもしれないのに、と口を尖らせたら、「ま、それが本当かは知らんがな」なんて言葉が返ったから、驚いて馬からずり落ちそうになった。
すかさず褐色の腕が抱き留めてくれたから、違う意味でも鼓動が跳ねた。
「え、じゃあ前の聖女さんの"願い"を使った話も嘘ですか?」
「あれはまあ、確証がないのが確証ではあったんだが……概ねあってたんじゃないか?」
王とリュミリエルの動揺した様子からすればそうかもしれない。それにしたって、嘘とはったりとでギリギリ綱渡りだったのだと今更ながらに知る。ガルさんが話し合いを翌日に延ばさなかったのは、単に延ばせなかっただけかもしれない。
無意識に手綱を取るノクスの腕にぎゅっと掴まってしまう。
「どうした?」
「わっ、ううん、なんでもない」
慌てて手を離すと、私の腰を抱く手に力がこもった。
岩山の端からお日様が顔を出し始め、蒼い世界が淡い橙色へと塗り替えられていく。光が差し、遠く森まで照らし出されていく様を見つめ、ふと思い出す。
「そういえばちゃんと言ってなかった。助けに来てくれて、ありがとう」
ふたりの顔を交互に見ると、「大事な"聖女サマ"だからな」とガルさんが口の端を引き上げる。
「聖女じゃなかろうと、どこまでだって助けに行く」
ノクスの言葉に、にやけそうな顔を隠したくて俯くと、「あのお転婆ぶりなら、オレたちが行かなくても自力で逃げ出せたかもしれないがな」とガルさんが茶化した。
「今回は結果オーライだったが、ああいう時はおとなしく待っておくもんだぜ? ケガどころか命にかかわる」
「次はない。させない」
すかさず打ち消したノクスの腕の力が強まって少し苦しい。その腕をポンポンと軽く叩くと、ハッとしたように緩まってようやく呼吸がラクになった。
「だって、……むとか言われて」
「ん? なんだ?」
「リュミリエルが、私が……その、世継ぎを産むとか言うから」
貞操の危機だと思うに決まっている。悠長に構えている場合ではなかった。
「チッ……あの場でヤるべきだったな」
低い声が背中越しに響いてゾクリとする。窺い見れば琥珀色の瞳は本当に今すぐ人を殺しかねない。
「そ、そういえば魔法師さんたちっ! 魔法師さんたちはどうするんですか?」
「どうと言っても……そのままフェルディリアの魔法塔所属になるな」
王との交渉で一番難航したのは、"瘴気の武器"を作った旧魔法塔の魔法師をどうするかという問題だった。
手放したくない王家と、口止め料としてフェルディリアに寄越せというガルさんとの間で綱引きが続いた。
結局その場にサヴィが召集され、魔王の討伐が済んだ今となっては、新たな瘴気は生じず、武器製造は難しいであろうこと、そもそもその手順を知る魔法師が死んだことで術式が喪われたことが語られたことが決め手となり、フェルディリアがヤフェエールの秘密を共に秘匿することを条件に魔法師たちは一緒に転移陣をくぐることとなった。
「サヴィも来ればよかったのに」
ガルさんはサヴィも連れて行きたいと交渉したけれど、当の本人が「僕は近い将来この国の魔法塔の塔主になる魔法師ですよ?」とあっさり断った。
初めて会った頃のサヴィは、時に弟のように思えることもあったけれど、強い目でそう言い切った彼にそんな面影は欠片もなかった。
そうして思い出した。蒼綺石を手に封印の間に入る前、サヴィは跪いて感謝を口にしていた。私があの部屋から出てくる時には、もう言葉が通じなくなっていると知っていたからだろう。
今なら、あの日の彼の複雑な心中も少しは理解できる気がした。
「助けたかったな」
サヴィのお師匠さまも。
俯くと、鞍に掴まる手に大きな掌が重ねられる。
「あいつはあれで抜け目がない。うまくやるだろう」
「そうかな……、うん、そうだね」
「──さっきから、他の男の話ばかりだな」
「え?」
どういう意味かと訊こうとした途端、首筋に唇が寄せられ歯が立てられた。
「──っ!?」
急いで振り返るとノクスがしてやったりという笑みを浮かべている。
「これでしばらく俺のことだけ考えていられるか?」
「なっ──」
「黙っておけ。舌を噛むぞ」
ノクスがクロカゲの腹を蹴ると、途端に周囲の景色がぐんぐん流れ出す。それと同じくらい鼓動が早い。
「こらっ、オレを置いていくな」
追いかけてくるガルさんの声など少しも聞こえないように、クロカゲはどんどん加速していく。
力強く大地を蹴る蹄の振動も、耳元を過ぎる風の音も、落馬でもしようものならきっとケガでは済まない。
それでも、しっかりと私を捕まえていてくれる腕があるから、大丈夫だと安心していられる。
ああ、私はこの人が誰よりも好きだ。
でも今はそれを伝える術がないから、ただ腰に回された手にぎゅっと掴まり身を預けた。
「はい、日替わりお待たせしました。熱いので気をつけてくださいね」
にこりと微笑んでから、先ほど入ってきたお客さんの注文を確認しに行く。
「軽めがよかったらミートパイもお勧めですよ」
食堂は昼時の忙しい時間に差し掛かり、お客さんが次々と入っては出ていく忙しさだ。
「どうなんだろうね、魔法師交換留学というのは」
耳の早い商人たちが、つい先日ヤフェエールと交わしたばかりの取り決めについて、もう噂していた。
魔法師が他国へ行って見聞を広めると共に、協力して新しい術式を開発していくのが狙いだとか。今後、周辺国も少しずつ巻き込んでいくらしい。
いつかサヴィがこちらに来ることがあれば、また会って話す機会も得られるかも知れない。
「ああ、あの友好条約の話か。どうだかねぇ」
「まあ行ったり来たりする人間が増えるなら、なにかしら商売の機会にはなるだろうさ」
土産物が売れるだろうか、魔法師の好む品物を揃えるのがいいだろうかと商売の機に繋げることに余念がない。
「ミア、オレにお茶のおかわり」
マグカップを掲げて注文をするガルさんに「はい」と返し、空いたお皿を集めて厨房へと戻る。
ガルさんは相変わらず食堂によく顔を出している。
第三王子ということで少しは態度を改めるべきかと思ったけれど、ガルさん自身がこれまで通りでいいと言うからお言葉に甘えて気安いままでいる。
それにしても、仮にも王子様がこれほど国民に顔を知られていないなんてことがあるんだろうか。
訊いてみたら、王位継承権が低い王族ならそんなもんだと笑われた。
「兄二人は子だくさんでな。フェルディリア王家は安泰だぜ?」
そうは言っても、リュミリエルはガルさんの顔を知っていた。
よくわからないけれど、必要なことならきっと話してくれるだろうから、まあいいかと思う。
「ノクス、日替わり二つ、香草茶温かいの一つと冷たいの一つ、それからミートパイを持ち帰りで三つだよ」
「わかった」
下げてきたお皿を急いで洗う背後で、リゼさんがミートパイを包んでくれる。
「リゼさん、腰大丈夫そうですか?」
「もうすっかりさ。ミアは"癒やしの乙女"ってのにもなれるんじゃないのかい?」
豪快に笑われて、思わずお皿を落としそうになった。
「あー、はは。単なるマッサージですよ」
「ミワ、運んでくれ」
「はーい」
ノクスには、まだ想いを告げることができていない。
ただ、以前よりもノクスが私に触れることが増えているような気がする。
──自意識過剰だったら、恥ずかしすぎるのだけれど。
カランコロンと入り口のベルが新たな客の来店を告げる。
「いらっしゃいませ!」
"物語"なら、聖女が魔王を討伐してエンドマークがついたのかもしれない。
けれど、ここは私が生きる"現実"だから。
何がどうなったらハッピーエンドかわからない。でも毎日が少しでも楽しくなるように、幸せになれるように生きていく。この世界で。
読んでくださってありがとうございました!




