27 金貨でも売り渡せなかったもの side-Noxion
「それだけは金貨でもお売りできませんがね」
背後であがった声に素早く振り返ると、まるでたった今闇から浮かびあがったように、ただひとつの眼光を強く光らせる魔法師が立っていた。
「師匠さま……」
「久しいな、サヴィ。──王家の命か」
「いえっ……いいえ。僕はただ、知りたくて」
「相変わらず好奇心旺盛のようだ。だが、教えたはずだぞ。過ぎた好奇心は、身を滅ぼすとな」
空気が張り詰めたのがわかった。
極限まで引き絞った弓の弦のような緊張感がビリビリと伝わり、剣を抜く。
「お客人。どうやら目的は武器の買い付けではないようだ。ならば、生きて帰すわけにはいきますまい」
男の背後に光が顕れる。それらが鏡面のようにひび割れたと思った瞬間、砕け散り、無数の刃となり襲いかかってくる。
「くっ!」
一拍遅れたサヴィの防御壁に阻まれ、火薬のように光が弾ける。
阻みきれなかった攻撃に、幾筋もの赤い線が走る。その線からじわりと血が滲んでも、今はそちらに構う余裕はなかった。
「邪魔をするなサヴィ! もっともお前もここから帰すわけにはいかないがな」
「なぜです、お師匠っ」
なんでこんなことを、と問うサヴィに答えることなく、容赦ない攻撃魔法が繰り出される。
石壁に当たった衝撃が細かいつぶてとなり、それをも叩きつけられる。
「まいったな、ここじゃ不利だ」
ガルがぼやくように剣をなぐ。
たしかに狭い廊下で男二人が大きな剣を振るうなど、あまりに分が悪かった。
「どうした、サヴィ! その程度かっ」
笑いながら繰り出される魔法に、先ほどからサヴァイゼは防戦一方だ。
サヴァイゼの呼び出した蒼い文字が空を巡り、攻撃を阻む。しかしそれをも遥かに上回る衝撃は防御を容易くすり抜け、剣ですべてを凌ぐことなど到底無理だった。
「教えたことをもう忘れたかっ」
魔法師の声に急かされるように紡がれていく光は、詠唱を噛んだ瞬間消失していく。サヴァイゼの焦りを感じ「落ち着け」と声を掛ける。
「魔法師はっ! 魔法師は人を救う者だと僕に言ったのはあなたじゃないですかっ」
幼子が駄々をこねるような声音だ。そこには、若さに似合わないいつもの余裕など微塵も感じられない。
そのサヴァイゼ目がけて放たれた石片を、ガルがぎりぎり刃で弾いた。
「いつの話をしているっ、これが理想のなれの果てだ!」
怒りをぶつけるような衝撃波が、狭い石廊下を削りながら迫る。次の瞬間、ガルの剣が弾かれて落ち、すかさず身を滑らせて庇いに入れば、腕や足に無数の痛みが走った。
削られた石壁が砂塵のように舞い、うっすらと視界が煙る。
「悪いな、ノクス」
ガルが剣を拾い上げるのを横目に捉えて、再び隻眼の魔法師を正面から睨み付けた。
「サヴァイゼ、このままではお前が捜し物を見つける前に、死ぬ羽目になるぞ」
どこか呆然とするサヴァイゼは、はっとしたようにこちらを見た。
「そうだな。このままじゃめでたく全滅だ。どうする? 師匠には適わないと尻尾を巻いて逃げ出すかい?」
「ご冗談をっ」
気力を取り戻したように放たれた光の矢に便乗するように、強く地面を蹴る。叩きつけるように振り下ろした刃の前で、魔法師の防御壁が砕ける瞬間蒼く光った。
「まさか……」
そういうことか、と口の端を引き上げた男は懐からあの筒を取り出す。瘴気の武器だ。 黒い靄が広がる。
「下がれっ」
ガルたちに声を掛けて剣を構えれば、刀身は呼応するように蒼く光を放つ。
網のように広がり、こちらを捕らえようとする瘴気を鋭く切り裂けば、その蒼い軌跡と共に、瘴気は音もなく消失した。
「なぜ武器なんかっ、なぜ瘴気を武器になんてしたんです! 瘴気を閉じ込める方法があるなら、消すことだってっ」
サヴァイゼの声に「王はお望みではなかったっ」と男が叫んだ。
「瘴気が祓えるのは聖女と聖剣のみっ! それこそが国のためだと言われ、この目を奪われた私の気持ちが誰にわかるっ!」
血を吐くような叫びだ。戦いの最中だということすら忘れ、誰もが動きを止める。
「だったらっ!」
一瞬の静寂を破ったのはサヴァイゼの声だった。
「だったらなぜ、この武器のことを王がご存じないのです! 言えばよかったじゃないですか! 瘴気を武器化したと! 成功したと! そうしたらきっと……っ」
「──それは、"正しきこと"か? サヴィ」
「ならばこれが"正しきこと"だって言うんですか!? 王に隠れてこそこそ武器を作ることがっ、それを売ることが師匠の言う"正しきこと"ですか!?」
なかば泣き声のように揺れて震える声に、男は答えることなく攻撃を放った。
サヴァイゼがぎりぎりのところで防御壁を顕したが、押し負けてすぐに消失した。
「遅いっ! 効率と威力のバランスを考えろと何度言ったらわかる!」
そう言って男は再び次々と攻撃を繰り出す。
「なんでっ! なんでこんなことっ!」
攻撃を放たれるたび、サヴァイゼが防御壁を作る。
ふいに、「おかしいと思わないか?」と隣から声がかかった。
「これだけの騒ぎに誰も来ないなんてこと、あるか?」
言われてみればもっともな話だ。先ほど当て身で気絶させた男以外にも、塔の中には魔法師たちが立ち歩いていた。それなのに、この騒ぎに駆けつける者がひとりもいないのは異常だ。
「仲間はどうしたっ」
ガルが声を張る。すると魔法師は、くだらないことを言うなとばかりに笑って「仲間などおらぬっ!」と言い放った。
「すべては私の一存っ! この武器も、それによる財も、誰のものでもないっ!」
「なるほど、そういう筋書きか」
不適に笑ったガルは、「そういう馬鹿は嫌いじゃないぜ」と男に斬りかかった。
「サヴィっ! 知りたいなら勝て! 勝って聞き出せっ!」
ガルの声にサヴィの目が光を取り戻す。それを横目に、オレも男へと斬りかかった。
「できるものかっ、王太子に付き従うことを選んだ魔法師などに、負けるつもりはないっ!」
「いいえっ! 勝ちます!」
魔法力は男の方が勝る。それでも、共に旅をしたサヴァイゼの言葉は信じるに値した。
「ノクスっ」と、一秒をも惜しむように声をあげた味方の魔法師が短く合図を寄越す。頷いて承諾を示すと、サヴァイゼが詠唱を始める。
「無駄なあがきだっ」
男が声をあげた瞬間、目映い光が刃となって男目がけてまっすぐに飛んでいく。
その矢を追うように駆けて、高く頭上から斬りかかると男はなんなくその攻撃を受け止めた。
次の瞬間、鋭く迂回してきた光が男の足下を捕らえ、強く弾けた。
「なっ!」
バランスを崩した男は尻餅をつき、そのまま背を壁に激しく打ち付けた。
その顔のすぐ横に刃を立てる。──勝負が付いた。
「さてと、聞かせて貰おうか」
息を吐いたガルが、男の前に片膝をつく。
そのガルの顔を見つめた魔法師は、ふと息を呑んだ。遠い幻でも見るように目を見張った男は、「やはり、お会いしたことがありましたね」と笑った。
「フェルディリアに来い。瘴気を誰もが消せるなら、それは間違いなく世界のためになる"正しいこと"だ。フェルディリアの王ならば、いくらでも援助する」
「──なぜそれが、この国ではかなわなかったのでしょうな」
かつての理想を遠く思い描くようなしわがれた声には、疲れが滲んでいた。
これで終わった、そう思った時、男が懐から再びあの筒を取り出す。
「チッ、まだ持ってたのか」
全員が身構えて距離を取った。
「もうおやめくださいっ」
サヴィの声に笑みを浮かべた男は、その筒を自らに向けた。瘴気はすぐにその身へと吸い込まれていく。
「お師匠っ!!」
「……捜し物は、お前がよく隠れて泣いていたあの部屋の奥だ。いつか塔主となり、あれを次代へと繋いでいけ」
「どうしてですっ! なぜこんな……お師匠っ」
駆け寄りそうなサヴァイゼの腕を強く掴んで引き戻す。そんなサヴァイゼを、男は慈しむように見つめた。
「この武器がもたらす悲劇をわかっていながら手を染めたは、私の罪だ」
「お師匠っ、そんな、あるのでしょう? お師匠、瘴気を消す方法が」
「さあ、聖剣使いっ、この身が人であるうちに斬り捨てろ!」
「──っ!」
この場にミワがいたなら、身に取り込まれた瘴気をも祓えたかもしれない。けれど聖剣に、そんな芸当はできない。
ひたと向けられた眼差しは、すべてを受け入れ、覚悟を決めた人間のそれだった。気圧されるように唾をのむ。
男の皮膚がじわじわと黒ずんでいく。その皮膚から漏れ出すように、瘴気が流れ出し始めた。
「探し続けろ、サヴィ。魔法師の正しさ、とは、なに…カ、オノ、己を……ウタガ、え、問いツヅケ…、オ……ウゥ……グッ グォァァァァッ!」
これ以上は保たない。そう考えて剣を振り下ろす。上がった絶叫は人のそれではなかった。だが、男の口元には確かに笑みが浮かんでいるように見えた。
蒼い軌跡と共に、瘴気は消え去り、そこにはただ一人の魔法師の亡骸だけが残った。
「そ、……な、師匠……」
崩れ落ちたサヴァイゼが、取りすがって嗚咽を漏らす。
ガルと共に言葉もなくその様を見下ろすしかできない。
「なぜ僕を、なか、仲間に、入れてくれなか……っか きっと、役に、たてました……」
ぽたぽたと石畳を濡らす雫が滲む。
この魔法師が、どれほどサヴァイゼを慈しみ育てたかは容易に想像がつく。戦いの最中ですらも、この男はずっと師で在り続けた。
「弟子を、とった……んです、あ…、ぼ、僕、が」
あなたに会わせたかった、と搾り出すような声で言ったサヴァイゼは、もう二度と応えることのない師匠の膝に取りすがって泣き続けた。
どれほどの時間が過ぎたか。大きく息を吐いたサヴァイゼが、袖でぐいと目元を拭った。
「お待たせして、すみません」
「もう、いいのか?」
問いかけに真っ赤な目で、ええと頷いたサヴァイゼが「行きましょう」と立ち上がった。
「この塔に秘されたものを確かめに。お師匠が継げと言ったものを、僕はこの目で確かめたい」




