20 苦いのなくなれ
「ミア、入るぞ」
部屋に入ってきたノクスが手にしていたマグカップ。その匂いだけで、彼が何を持ってきたかわかってしまった。
間違いない。あれはシリッドさん特製調合の薬草を煎じたお茶だ。あの池の水のような煎じ薬も凄かったけれど、今回のは匂いは爽やかなのにとにかく苦い。ノクスが気遣って花蜜をたっぷり入れてくれても、その甘さが苦さを打ち消すわけではなく、かえって苦みを際立たせているのではと疑いたくなるレベルだ。
ガルさんを訪問した日の夜、私は熱を出した。
校外学習の前夜は楽しみすぎて眠れず、当日以降はあれこれ悶々と考えすぎて眠れなかったせいもあると思う。そのうえ聖女の力が消えたわけではないと知った動揺のせいか、帰ってきてからも食堂でミスを連発し、心配したリゼさんがシリッドさんを呼びに行ってくれた。
疲れと風邪だろうとの診断後、届けられたのが特製ブレンドの薬草だった。
執務室で「ちょっと試してみようか」と笑ったガルさんが、取り出した小刀で無造作に自身の腕に刃を走らせた時には息が止まるかと思った。
「伝説の癒やしの乙女が聖女だったのか。興味はないかい?」
唇の端を引き上げてこちらに伸ばしてくるその腕からは血が流れ、ぽたりぽたりと床を濡らしていく。
「馬鹿がっ」
固まって動けずにいる私の前で、ノクスが傷口を布で止血した。
「まあ、待てって、ノクス。この先を考えればミアは自身の力を把握しておくべきだ。何ができて、何ができないのか。自分の足で立つために、な」
その言葉に胸をつかれる。いつまでも、ただ守ってもらっていてはいけない。
いつまでも──突然連れてこられ、帰れなくなった被害者でいてはいけないんだ。
けれど、私が知る限り、それは掌から淡く光る浄化の力で、触れた瘴気を霧散させていくものだ。流れるこの血を止める方法なんて知らない。
でも、壁を作って瘴気を弾くことだって、私は知らなかった。
「試してみよう、ミア。この傷を治せるかい?」
「やって、みます」
『この力は心の強さにも左右されます。それを知っている魔王や魔物たちは、必ず聖女様の不安をつき、揺さぶりをかけてくるでしょう。いかなる時も仲間や自分を疑わず、まっすぐな願いで臨めば必ず神は応えてくださいます』
あの時のサヴィの言葉が思い起こされる。
神様は助けてなんてくれない。でも、私の中にその力があるというなら、私はそれを受け入れて使いこなさなくてはいけない。この先も、この国で生きていくんだから。
傷口に巻かれた布の上に手をかざす。瘴気を祓うあの力。体の中にめぐる流れに集中して、水道の蛇口を開くようにゆっくりと掌から放出するのをイメージする。
やがて掌から淡い光が漏れ出し、ガルさんの傷を包んでいく。
掌に炭酸がはじけるような感触が続き、それがなくなると光も徐々に消えていった。
「終わりかい?」
頷いて答えると、どれ、とガルさんは血まみれの布を外した。
布や皮膚についた血はそのままだったけれど、傷口は綺麗に塞がっていた。
「はは、こりゃ癒やしの乙女の再来だな」
感嘆した声に、私もホッと肩の力を抜く。
そして、安堵と同時に、安易に自身に刃を向けたガルさんに怒りが湧いてきた。
「私ができなかったらどうするつもりだったんですか」
「この程度かすり傷さ。ミアがもし治せなかったとしても、見立てを間違えたオレの責任だ」
あっさりと言ってのけたガルさんは、「だが、下には何か敷いておくべきだったな」と血の滴る床を見つめ、嫌そうに顔をしかめた。
できること。できないこと。
この力を上手に使いこなしたら、私はお医者さんみたいなこともできるかもしれない。シリッドさんに薬草のことをたくさん習えば、薬草調合師にもなれるかもしれない。
私がこの国で出来ることも、なれるものも、案外多いような気がしてきた。
湯気の上るマグカップを見つめて、ふと思い立つ。
掌から聖女の力を呼び起こす。
「おい?」
見守るノクスの訝しげな声をいったんスルーして、私は掌に集中した。
蒼い光がマグカップを包む。
苦いのなくなれ。苦いのなくなれ。切実な気持ちで念じると、光はすぐにひいていった。
ふたりでマグカップの中を覗き込んで固まる。
ノクスはその中身を飲んで顔を顰め「何をした?」とうんざりとした声で尋ねた。
「えーと……苦いのなくなれ~って」
あはは、と笑って誤魔化すと、ノクスは盛大にため息を落とす。
「飲んでみろ」
押しつけるように渡されたマグカップにそっと口をつけると、それはただただ甘いだけのお湯になっていた。苦いのなくなれとは思ったけれど、なんというか薬効からなにから消え去って、花蜜の甘みだけ残ったらしい。
「煎れなおしてくる」
そう言って部屋を出ていくノクスに「ごめんね」と謝ると、「次はやるな」と釘を刺された。
この力が、窮地に陥らせることも、窮地を脱するためのものになることも、このときの私はまだ知るはずもなかった。




