14 いちねんせいと同レベル
本日2回目の更新。ミワ視点に戻ります。
今日の更新はこれが最後かな。
ノルテリアで過ごすようになって、八ヶ月が過ぎた
一年で季節が二巡りする時間感覚にはまだ慣れないけれど、日常の会話はどうにか困らない程度になってきた。
最初の頃は普段の会話を困らないようにすることを中心にしていたノクスとの勉強も、近頃では読み書きの練習も始めている。
環境に慣れてきたからか、それとも少しずつあの日から遠ざかっているからか、怖い夢を見て飛び起きるようなことも徐々に減りつつあった。
今は食堂の二階の一室を貰い、そこで寝起きをしている。朝やって来るノクスと一緒に朝ご飯を食べて、日中は食堂で働く。閉店後はリゼさんと三人での夕食を済ませて自宅へと帰るリゼさんを見送り、そこからノクスが家に帰るまで言葉の勉強をするという日々だ。
ノルテリアは、私がお散歩がてらのんびり歩いても端から端まで三十分はかからないほどの小さな町だ。
最初の一ヶ月ほどはノクスの家にお世話になって閉じこもり続けたけれど、少しずつお使いに行ったり、共同浴場に出掛けたりするようになって顔見知りも増えた。
ノルテリアの人たちはおおらかで、商人が多く通過するという地域性なのか、よそ者である私にもとても親切だ。特にお風呂ではみんなリラックスしていて、宿に泊まっている商人が格好いいとか、次の市ではこれを売る予定だとかの雑談の輪にも入れるようになってきていた。
「あら、ミアちゃん。馬なんか連れてどこに行くの?」
買い物籠を手にした薬草調合店のシリッドさんと行き会って挨拶を交わす。
「学び舎です、お昼ご飯の、配達に行きます」
「それはご苦労様ね。風邪はもう大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。ありがとうございました」
シリッドさんはこの町の頼りになる薬屋さん兼地域のお医者さんのような存在だ。
先週風邪気味で喉の調子が悪いと相談したら、すぐに薬草茶を煎じてくれた。おかげで、体調を大きく崩さずに済んだ。
「無理は禁物よ。気をつけていってらっしゃい」
「はい、いってきます」
私は今、この町唯一の学校──学び舎に向かっている。国境から一番遠い側、町の端っこにあるそこに、給食を届けに行くところだ。
事の発端は、食堂常連のガルさんとの会話だった。
毎日入り浸るように食堂を訪れるガルさんとは、最初こそ言葉もわからず意思の疎通もままならなかったけれど、今は世間話をしながら、時々言葉の言い回しを教えて貰うこともある程度には仲良くなった。
ガルさんは、あまりに毎日長時間食堂にいるものだから仕事をしていない悠々自適暮らしの人なのかと思いきや、この町の役人をしているのだそうだ。
「役人ってほど堅苦しいものじゃないな。ま、帳簿係みたいなもんさ」
そんな彼は職業柄か、日本の政治の仕組みだったり、教育の制度だったりに興味があるらしく、先日給食制度の話しになった。
ノルテリアを擁すフェルディリア国は、多くの子どもたちが五歳から七歳くらいになると町の学び舎に通う。そこでは読むこと、書くこと、計算を中心にごく基礎的な教養を身につける。
学び舎に通うことは義務ではないけれど、交易が盛んで商人の家が多いこともあり、読み書き計算が必要だという認識は多くの大人の共通意識であり、きちんと通わせる家が多いそうだ。おかげでフェルディリア国は国民の多くが文字を読んだり書いたりするのに不自由がないのだとガルさんが胸を張っていた。
そんな学び舎で、「貧富に関係なく同じものを食べるってのは面白いな。試してみようか」とガルさんが言った翌週には給食のお試しが開始することとなり、小さな町ならではのフットワークの軽さに驚いた。
期間は一ヶ月。週に二回。そのトライアルのための給食作りは食堂に白羽の矢が立った。
本格導入が決まったら町のパン屋さんや宿屋の食堂などが持ち回りで担当するようにすれば、経済をまわす効果も期待できるかもと言っていたけれど、急にそれを担うこととなった食堂はてんてこ舞いとなった。
学び舎の在籍人数は百七十五人。自由登校だから基本的には百五十人前あれば充分足りるはずだそうだけど、「足りないなんてことがあったら可哀想じゃないか。全員分作っときゃいいんだよ。余ったら余ったで先生たちにでもおやり」というリゼさんの鶴のひと声で初日の今日は生徒全員に行き渡るように準備した。
メニューを考えて、前日から仕込みをして、当日は朝早くからお弁当箱に詰めたりする作業はすごく大変だったけれど、楽しくもあった。
今日のメニューは肉団子と野菜のマリネ、ドライフルーツを練り込んだパンだ。
比較的簡素なお弁当ながら、この世界にはプラスチックや使い捨て容器というものがないから、この数となると結構な重さとなる。
さすがにひとりでその数を持って行くのは大変だし、かといって食堂の営業が休みなわけでもないからノクスやリゼさんが抜けられるはずもなく配達は私が請け負うこととなり、リヤカーのような荷車に馬を繋いでの運搬となった。
「この子、ノクスの馬、だったんだね」
食堂の前に置いた荷車にお弁当を積み込んでいると、馬をひいたノクスが現れた。
額に白い星があり、足先は靴下を履いたように白いその馬を見て、どうしようもなく苦い記憶が呼び起こされた。どうにか口の端は引き上げたけれど指先が震えそうになって、ぎゅっと後ろ手にして握り込んだ。
「……ああ」
「触っても、いい?」
あの時は遠目に見ただけだった馬の鼻先を恐る恐る撫でる。温かい鼻息が勢いよく出されて少し怯んでしまったけれど、アーモンドのような目が観察するようにこちらに向けられはするものの、馬はされるがままに大人しく撫でさせてくれた。
「ノクスの家に厩なんてあった?」
「普段は、町の共同厩舎に預けているからな」
「そうなんだ。なんて呼んでいるの?」
「黒鹿毛」
「男の子?」
「ああ、雄だ」
「そっか。クロカゲくん、よろしくね」
「いや、名前でなく」
言葉を聞き違えてしまっただろうか。ノクスに向き直って「名前ではないの?」と尋ねると、彼は荷車と馬とを繋いでいる胸当てや縄のつなぎ目などを確認してからこちらを向いた。
「…………名前だ」
「……? クロカゲ、であっている? います、か?」
「ああ。クロカゲだ。賢い奴だし大人しい。手綱をひいてやればついてくる」
そんなノクスの言葉通り、クロカゲは私ひとりでも言うことをよく聞いて、ゆっくり歩いてくれた。
中央広場の噴水を通り過ぎる。石畳に時々車輪が跳ねて荷崩れしないかとドキドキしたけれど、氷海石と一緒に二十個ずつ木箱に入れた弁当箱はそう簡単に崩れないから大丈夫だとノクスが言っていたことを思い出す。それでも少しだけ歩調を緩めて歩くと、クロカゲも大人しく従った。
二十分ほど歩くと、町のはずれの開けた原っぱに辿り着いた。
細長く続く木造二階建ての長屋のような建物は、少し古めかしい日本の学校のようにも見える。
「やあやあ、ご苦労様、ミアさん」
出迎えてくれたのは、事前に紹介されていた学び舎管理人のトルテさんだ。
格闘技でもやっていそうな大きな体に似合わないほどに柔和な顔立ちの彼がにっこりと笑う様は、大きなクマのぬいぐるみを連想させた。
学び舎の運営は基本的に町のみんなが持ち回りで行い、授業を受け持つ先生も週に一回派遣されてくる魔法塔の魔法師先生以外は、町で本業を別に持つ人ばかりなのだという。そんななか、トルテさんだけが唯一学び舎専任なのだそうだ。
「荷車は置いていって、午後に空いた容器を回収にくると聞いているけれど大丈夫かい?」
「はい。食堂が落ち着いてから、十五時くらいにまたこの子を連れて回収にきますね」
「そうかい、ならまた後で頼んだよ」
トルテさんが荷車から軽々と木箱を三つ持ち上げる。
「あ、私も手伝います」
「いやいや、女の子がそんなことしなくていいんだよ」
「いえ、……その、ついでにちょっとだけ見学を、中を見学しても、いいですか?」
「もちろん構わんさ。好きに見て帰りな」
「ありがとうございます。じゃあ……」
木箱を持とうとすると、「このくらいなら、おいら一人でどうということもないさ。そこから入って好きに見ていくといい」と制されてしまったので、ぺこりと頭を下げて校内へと足を踏み入れた。
建物に入ると、とても懐かしい匂いがした。少しだけ埃っぽいような、古い木造の建物の空気感。長く続く廊下の窓から差し込む光が、中を優しく照らし出している。
「はい、じゃあ問題です。この神様はなんの神様でしょうか? 知っている人」
そっと覗き見ると、先生の問いかけに、はい、はいと子どもたちが元気に手をあげている。それらすべてが、私が手にし損ねたものを思い出させて、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
「かみなりのかみさま!」
「そう、雷の神様です。じゃあそのまま続きを読んでくれる?」
「むすめをてにいれたのだから、じ、じぶん、こそが、かみのこうけいしゃだ。だから、かみのたからも、おれのものだ、といいました」
拙く読み上げられたその文章に、昨日私も勉強したばかりの内容だと気付く。
「はい、そこまで。じゃあ次の文を後ろのヒューヴ、読んで」
「えー」
まだ小学生でいえば一、二年生くらいの子たちには少し難しくないのだろうか。
そう思いながらじっと見入る。
話は神話のような物語だ。雷の神様の娘を妻にした男は、その神の宝を奪おうとして妻に怒られる。腹をたてた男はその妻を殺してしまい、嘆き悲しんだ父神は神から魔へと落ちてしまう。今でもかつての雷の神は、悪事を働いた男を捜していて、男のように悪い心を持つ人間を見つけると、雷で貫いてしまう、と。
子どもに、欲をかいてはいけません、悪いことをすると神様に雷でうたれてしまいますよ、という道徳をとくようなあらすじだった。
内容的には子ども向けだと思ってはいたけれど、まさかこんなに小さな子たちが習う内容を、今自分が勉強しているのかと知って愕然とする。なんなら、私は今この子たちよりも、字を書いたり、読んだりすることは覚束ないかもしれない。
こぼれそうになる溜め息を飲み込んで、学び舎を後にした。
学び舎の先生は町の人が持ち回りでやっている。それを聞いた時は、もしかしたらこの世界で自分も教師ができるかもしれないと思った。でも、そんな風に一瞬でも考えてしまったことが、恥ずかしくて堪らない。──私はまだ、あんなに小さな子たちに追いついてすらいない。
とぼとぼと食堂まで帰り、店の前にクロカゲを繋ぐ。
普段ならお使いの後は裏口から入るけれど、今日はそうするようにノクスに言われていた。扉を開ければお客さんたちもいる。暗い顔で店の中には入れない。
ひとつ深呼吸してドアを押すと、カランコロンと来客を告げる鐘が響く。
ただいま、と口に仕掛けて息を呑んだ。
「いらっしゃいませ」
知らない女の人が出迎えてくれた。
たしかに食堂の扉をくぐったはずなのに。
店を間違えた?
そんなはずはない。あるはずがない。
──ここは、どこ?
足下の地面が消えたように、視界がくらりと揺れた気がした。