帝国の課題
テレサ女皇陛下からの大命降下により、自らを首班とする内閣の組閣をおこなうことになったリュカ。
彼はいま、陛下との対面を終え、さっそく用意された小部屋へと移動していた。
「しかし、なんで僕なんだろうなぁ……」
部屋の中央に置かれたソファに腰を下ろしながら、リュカは何度も同じ愚痴をこぼす。
こんなにも重い責務を、進んで引き受けたいと思う者など、そう多くはないだろう。
しかも今回の大命降下は、あまりにも突然の出来事だった。
廊下を歩いている間も、この部屋に入ってからも、頭の中は混乱したままだった。そのため、自分が奴隷という被差別民であることや、歴代最年少の宰相候補というあまりにも若すぎる立場であること以外に、断る理由を思いつくことができなかった。
そして気がつけば、彼はその大役を引き受けていたのだった。
「でも、とりあえず……まずは組閣をしないといけませんね」
そう言って、マリーは先ほど陛下から預かった鍵を取り出した。
「とてもきれいな鍵ですけど、それは何の鍵でしたっけ?」
ヘレナが不思議そうな顔で鍵を見つめる。
その鍵は黄金で作られており、丁寧に磨き上げられていた。その輝きには、覗き込むヘレナの顔がはっきりと映るほどだった。
「たしか、帝室書庫にある金庫の鍵ですわね」
リルが説明する。
「その金庫には、組閣に役立つであろう資料が収められているため、それを参考にして人事を決めるように……との陛下のお達しでしたわ」
時は金なり。
いつまでも悩んでいる時間はない。
そう自分に言い聞かせ、リュカは覚悟を決めた。
「とりあえず、みんなで帝室書庫へ向かおうか」
リュカがそう提案すると、三人は元気よく頷いた。
こうして、少年宰相による最初の仕事が始まることになった。
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「うーん……」
帝室書庫へ来てから、かれこれ二時間近くが経過していた。
四人は、それぞれ机に広げた本や資料とにらめっこをしている。
帝室書庫には、禁書や門外不出の書物、古代から伝わる貴重な古文書、さらには国家に関わる重要な記録まで、数多くの資料が収められている。
もっとも、国家機密に分類される資料については、その都度陛下の許可が必要となるため、今回は閲覧していない。
それでも、歴代の組閣記録を調べれば、何か人事の参考になるものが見つかると思っていたのだが……。
「みなさん、アールグレイが入りましたよ」
そう言って、リルが紅茶を用意してくれた。
「どうしましょう……。組閣というものが、ますます分からなくなってきましたね」
マリーが困ったように呟く。
そうなのだ。
一般的に、人事とは適材適所に人を配置することが基本だと言われる。
しかし、実際の政治における人事は、そんな単純なものではない。
誰を重要な地位に就け、誰を外すのか。
それは必ず、登用される者と外される者を生む。
そこには喜びもあれば、当然ながら不満や恨みも生まれる。
全員が納得する人事など、よほど利害が一致した勢力同士でなければ不可能なのだ。
だからこそ、政治家は能力だけではなく、各派閥の力関係や国内の勢力バランスまで考慮しなければならない。
「とりあえず、まずは現状を整理しよう」
僕はそう言って、話の前提から確認することにした。
「現在、カトゥル帝国には五つの大臣職がある」
「ええ。リュカ様が務める首相――正式には主席輔弼大臣。そして、陸軍、海軍、財務、外務の四つですね」
マリーが用意していた組織図を机の上に広げる。
「そして問題なのは……その四つの大臣職に、どの地方の人間を就けるかが、ほぼ決まっていることですね」
ヘレナがため息をついた。
カトゥル帝国。
この国は、北半球に広がるグランド大陸にかつて存在した四つの国々を、一人の勇者が平定し、統一したことで始まった。
統一を成し遂げた勇者は、初代国王として即位。
それ以来、現在のテレサ女皇陛下に至るまで、帝室は長きにわたり国を治め続けている。
そして、かつて存在した四つの国は、それぞれ東西南北の名を冠する地方として、現在も帝国の中核を担っていた。
「まずは東国……サンクロウ王国ですね」
東国ことサンクロウ王国。
この地域は、広大なジャングルに覆われた土地であり、いまだ人の手が及ばぬ場所も多い。その奥深くには、未知なる生物が数多く生息しているという噂も絶えない。
厳しい自然環境の中で鍛えられた彼らの中からは、多くの屈強な戦士が輩出されてきた。
そのため、帝国における重要な軍馬や軍需物資の供給地となっていた。
もともとは、一介の傭兵に過ぎなかった男が、五つの鉤爪を持つ一羽のカラスから神託を受け、成り上がりを果たした末に建国した国だと伝えられている。
かつて軍国的な制度を持っていた影響もあり、現在でも民には尚武の気風が強く、質実剛健を尊ぶ文化が根付いている。
「だから陸軍大臣は、代々東国出身者が務める……というわけですね」
僕が呟くと、マリーが頷いた。
「はい」
次に、南国。
ランドゴン公国。
かつて龍神族が治めていたこの国は、人間族との交流によって独自の発展を遂げた。
龍神族の公爵が、海の彼方から渡来した勇者の実力を認め、自らの娘を嫁がせたことが、その始まりだと言われている。
現在のランドゴンの人々は、人間とほとんど変わらぬ姿をしている。
しかし、長い年月にわたる龍神族との混血の歴史から、畏怖や偏見の目で見られることも少なくない。
一方で、荒波の海に面した地理から、高度な航海技術を発展させ、異文化の受容にも積極的な国民性を持っていた。
「だから海軍は南国……」
ヘレナが資料を見ながら呟く。
「そういうことになりますね」
リルが静かに答えた。
「西国」こと、スラガ市国。
この地域は、ドワーフやエルフなどの知恵ある種族を祖先に持つという伝承を残している。
広大な砂漠に点在するオアシスを中心に暮らす彼らは、古くから「民会」と呼ばれる自治議会を発展させてきた。
そこでは、幼い子供を除き、男女や身分を問わず、多くの民が議論に参加する伝統がある。
また、各国を結ぶ交通の要衝に位置するため、交易が盛んであり、商業や算術に長けた者を尊ぶ文化が根付いている。
その卓越した商才と商魂から、他地域の人々からは、
「その手は動物のゼラチンでできており、その口には絶えず砂糖を含んでいる」
などと評されるほどであった。
「だから財務大臣は西国出身者が務める……ということですね」
僕が確認すると、リルが頷いた。
最後に北国。
タイアル首長国。
険しい山々に囲まれ、年間を通じて厳しい寒さにさらされるこの地域では、農業はほとんど発展しなかった。
しかし、その代わりに彼らは石に関する深い知識を身につけた。
「タイアルには魚も野草もないが、石で万事足りる」
そう言われるほど、彼らは鉱物や石材を生活の中で活用してきた。
かつては厳しい環境ゆえに争いも多かったが、生き残るために互いの交渉や取引を重ねた結果、彼らは高い外交能力を身につけた。
さらに、首長が亡くなった際には、次の指導者を選ぶための会議を開く伝統があり、議事運営や根回しにも長けている。
「だから外務大臣は北国……」
ヘレナが資料を閉じながら呟いた。
こうして現在のカトゥル帝国では、
軍事を得意とする東国が陸軍。
海洋国家である南国が海軍。
商業に秀でた西国が財務。
交渉能力に優れた北国が外務。
それぞれの大臣職を担うことが、古くからの慣例となっている。
「もちろん、昔は合理的な制度だったのでしょうね」
ヘレナが言う。
「各地方の得意分野に合わせて役職を任せれば、知識や経験が蓄積される。それが目的だったはずです」
「でも……」
僕は続ける。
「今では、自分たちの地方に割り当てられた地位を守ることばかりに必死になっている」
ヘレナは静かに頷いた。
「では、四つの大臣職を地方固定のまま維持しつつ、僕たちの改革に協力してくれる人物を選ぶべきでしょうか?」
リルが尋ねる。
「あるいは、この際、慣例そのものを見直して、人事に大きく手を入れるべきかもしれません」
マリーも意見を述べる。
僕は左手を頬に当て、しばらく考え込んだ。
「まずは……帝国そのものの現状を、もう一度確認しよう」
そう言って、これまで見てきた資料を整理した簡易なまとめを、三人へ渡す。
「帝国の首都リンベルは、初代勇者が最初に拠点を置いた土地であり、建国以来の首都ですね」
リルが毛氈を撫でながら言う。
「そして皇帝陛下の直轄領は、首都周辺に限られています。それ以外は、皇帝直属の臣下、四国の王侯貴族、各地の貴族、そして自治都市などが統治しています」
ヘレナはそう言いながら、クッキーを一枚口へ運んだ。
「かつては、皇帝が代替わりするたびに、それぞれの領主へ統治許可を与えていました」
マリーが中央のケーキを大きめに切り取りながら説明する。
「その代わり、各領地から得られる収入の十パーセントを中央へ納める……という約束だったのですが」
僕は続きを引き取った。
「ここ数代、その許認可すら形式的に行われなくなり、国庫への納入もほとんどなくなった」
つまり――。
帝国を改革しようとしても、相手は単なる地方ではない。
四国の王族。
それに仕える貴族。
皇帝直属の臣下。
自治都市。
彼ら全員の利害が絡み合っている。
「代替わりの許認可か……」
僕は呟く。
「それができれば、一番いいんだけど……」
その時だった。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
僕が答えると、扉が開く。
そこに立っていたのは――。
「失礼いたします、宰相閣下」
前宰相のカルロ殿だった。
三人ほどの従者を伴っている。
「ご多忙のところ突然の訪問、どうかお許しください」
「とんでもありません、前宰相殿。どうか顔をお上げください」
カルロ殿は一礼すると、廊下へ戻った。
「それでは、ご紹介したい方がございます。本日は、私はそのお方のお供で参りました」
そして、連れてきた人物を部屋へ招き入れる。
そこにいたのは、見覚えのある少女だった。
少し恥ずかしそうに、もじもじとしている。
「あ……」
僕は記憶をたどる。
先ほど陛下との謁見の場にいた少女。
「陛下の唯一の御令嬢……リゼ殿下、でございますね?」
「まあ、リュカ様。私の名前をご存じでしたの?」
リゼ殿下が驚いたように目を丸くする。
「もちろんです。殿下が本をお好きなこと。城下へ出られた際には、必ず陛下へのお土産を買われること。そして……牛乳がお苦手なことも」
そう答えると、なぜかリゼ殿下の頬が少し赤くなった気がした。
「そ、それよりも……」
リゼ殿下は慌てたように話題を変える。
「リュカ様は、宰相就任のお披露目の宴を開かれないのですか?」
「今回は見送ろうと思っています」
僕が答えると、リゼ殿下の表情が少し曇った。
「確かに、新たな宰相が就任する際には、陛下主催の宴を開くのが慣例ですが……」
リルが資料を確認する。
「しかし、今の帝国には、そのような大規模な宴を開く余裕はありません」
マリーの言葉に、僕も頷く。
「でも……」
リゼ殿下は少し寂しそうに言った。
「宰相就任の式典って、とても華やかなものなのでしょう?」
「……」
「私、一度見てみたいのです。それに、その主役がリュカ様だなんて……」
そこで、リゼ殿下はさらに顔を赤くした。
「リゼ様?」
僕は首を傾げる。
「春の陽気に当てられましたか? 顔がお赤いですよ」
「え? ええ! その……少し暖かくなったからです!」
慌てるリゼ殿下を見て、リル、マリー、ヘレナの三人は何やら楽しそうに顔を見合わせている。
……なぜだろう。
僕には、その理由がよく分からなかった。
「そうだ」
僕は思い出す。
「就任祝いの件について、明日、陛下へ奏上してみよう」
そう決めて、窓を開ける。
春風が部屋へ吹き込み――。
桜の花びらが、静かに舞い込んできた。
新たな時代の始まりを告げるように。




