40話 部活指導員存続の危機?
シンは、薄暗い階段を登ると、鉄製の扉に手をかける。
ギギギと錆びた音を鳴らし、扉を開けると、夕日が運ぶ心地よい風がシンの肌を撫でる。
「やっと見つけたぜ、姉貴。屋上でサボってんじゃねーよ」
「シンか……。別にサボってないさ……」
「疲れた顔してるな。シワが増えて、結婚できなくなるぜ」
洛咲中学の屋上の鉄柵に寄りかかると、深い溜息を吐くと、缶コーヒーをすする。
「黄昏れるとは、姉貴らしくねえな」
「ちょっと厄介なことが起きてな。その対策会議があってな……」
「なにがあった?」
「それは――いや、今、口外するのは控えておこう。それで、何用だ? まだ、部活の時間だぞ」
厄介事が起きた。そんなことは瑠偉の表情を見れば、鈍感なシンですら理解できる。しかし、瑠偉に話すつもりがなければ、今のシンにはどうすることもできない。
瑠偉のことは気になるが、シンは本題に入ることにした。
「相談があるんだぜ」
「シンの相談は、大体ロクでもない内容だが……。また金か?」
「ひっでーな、姉貴! 俺のことを何だと思ってんの?」
「まぁ……弟だ。一応」
「なんで、『一応』を付け加えたんだよ! 俺達は、血の繋がった立派な姉弟だろ! あ、女の子の日で
イライラしてんだな? 無理もほどほどにしねーと老けるぜ。30代のクセに、結婚どころか彼氏もいな――あああああああああああ!! また、アイアンクローかよおおおおおおおおッ!」
瑠偉に頭を掴まれ、足が地を離れる。頭蓋骨から、電流のように痛みが全身に走り、シンの絶叫が、屋上から校内に響き渡る。
「それで、何用だ? 教員という仕事に暇な時間はない」
「ああああああッ! 用件言うから、手を離せッ! 頭蓋骨が陥没するううぅぅぅッ!」
アイアンクローから解放されたシンは、うずくまりながら、ズキズキと痛む頭を抑えると、瑠偉の顔をチラリと覗く。
シンが普段のように接したおかげか、瑠偉の顔に覇気が戻っている。
(いつもの調子を取り戻してくれたな。姉貴は、こうでなくっちゃな)
世話になっている姉には、常に元気でいて欲しかった。不器用と自覚しているが、これがシンなりの気遣いだ。
瑠偉が、その気持ちを汲み取っているのかは、今のシンにはわからない。ただ、常日頃、瑠偉には感謝している。それだけなのだ。
「話が逸れたな。それで、シンは、私に何用だ?」
「洛咲中学は、大会前は土日の部活が認められるだろ。マジッカ―部のために、土日にグラウンドを解放してくれ」
「可能だが、いいのか?」
瑠偉の質問の意図が汲み取れず、シンは呆れて、肩をすくめた。
「いいに決まってるだろ。何を俺に尋ねてるんだ?」
「運動部が部活動を行う場合、生徒の安全面を踏まえて、教員か部活指導員の監視役がいる。しかし、私を含めた全ての教員は、雇用契約上、土日は休まなければならない」
瑠偉が語る法律などが絡んだ規約に、シンは嫌気が差して、目を瞑るとブンブンと首を横に振った。
「難しい話は止めてくれ。つまり、土日のグラウンドの開放には、誰でもいいから、学校関係者の大人が、必要ってことなんだろ?」
「そういうことだ」
「俺が出るから問題ないな。正直嫌だが、休日出勤させてくれ」
シンが、まさか自分から働く意思を見せて、瑠偉は驚いたように口を開いた。
「なんだよ、その顔? 休日出勤したら、マズいことでもあんのか?」
「土日の出勤分を代休で埋め合わせすれば、大丈夫なはずだ。私は、出勤管理を担当していないから、詳しくはないがな」
「それで俺は、どうすりゃいいんだ。どうせ手続きが必要なんだろ」
「職員室の隣にある事務室で相談してこい」
「サンキュー、姉貴。それじゃ、早速、行ってくるぜ」
シンは用件が済み、屋上を後にしようと扉に手をかけたとき、瑠偉は微笑ましそうシンの背中を眺め、ポツリと呟いた。
「変わったな、シン……」
「なんだよ、姉貴。嫌みか?」
「あの日以降、お前は荒れたからな……。バイトとはいえ、しっかり働いてくれるのが、嬉しいのさ」
穏やかに笑う瑠偉に、シンは呆れる。
「母親みたいなこと言うじゃねえか。老けたんじゃねーの?」
「かもしれないな。よかった……、前を向いてくれるようになったか……」
目を伏せて、瑠偉は笑う。
しかし、その笑顔には、陰りがあった。
「余計なお節介だ。でも、その割に、姉貴は嬉しくなさそうだな」
「……やっぱり話しておくべきか。さっき、会議があったといっただろう」
「言ってたな。どんな会議だよ」
「他校の話だが…とある部活指導員が、生徒に暴力を振るったらしい」
予想の斜め上の知らせに、シンは眉を寄せる。
「ほお……? バカな大人もいるもんだ」
「状況を詳しくは知らないが、くちごたえをした生徒の頬に拳を一発らしい」
「暴力とはよくないな。まあ、厳重に処罰されるだろ」
「危機感がないようだな。シンにも、関係がある話だぞ」
「なにがだよ?」
「この件を、教育委員会やPTAが黙っていると思うか?」
「なるほどな……」
「恐らく、部活指導員の存続に関わる」
「部活指導員ってシステムがあるから、こんな事件が起きたって吊し上げられるって言いたいんだろ? このままじゃ、俺は、ニートに逆戻りってわけだ。いやー、朗報だな」
楽を愛するシンにとって、朗報である。
また、あの自堕落な生活に戻れる。
毎日、引きこもって、ゴロゴロして、アニメ見て、好きな時にメシ喰って――まさに現代の楽園。
しかし――不要だ。
「なーんてな。冗談だぜ、冗談。だんまりすんなよ、姉貴」
「……驚いたな。シンの口から、そんな言葉が出るとは……」
「姉貴は、一言多いんだよ。まあ、安心しろ。部活指導員の悪い点が出ちまったなら、逆に良い点を教育員会やPTAにアピールしてやればいい。部活指導員は、欠かせない存在だってことを、俺が証明してやる」
「どういうことだ、シン?」
「今日のマジッカ―フロンティアの県代表戦を勝ち抜く。部活指導員をなくそうとする連中がいたら、俺が言ってやるよ。二宮シンという素晴らしい部活指導員がいたから、結果を残せましたってな」
「この事態が、その程度で収束するほど単純ではないが……。頑張れよ」
「頑張るのは、俺じゃねーよ。俺が育てたヤツだ」
シンは、風で髪をたなびせて、屋上から中庭を見下ろす。
昔出会ったお姉さんと再会したい。そんな目標を掲げて、必死に剣を振り、魔法を放って、シンの帰りを待ちながら、自主練に励む女の姿があった。
自然とシンの頬がゆるむ。
「俺にもな、目標が出来たんだよ。名前も知らないバカが起こした揉め事の巻き添えで、挫折してたまるか」
「前を向いているな。どんな目標だ?」
「俺を超えるヤツを育てる、そんな目標だ」
揺るがない。
俺は、聖華を追う、愛那に負けたい。
「じゃーな、姉貴。遅くなるなよ」
「ああ、頑張れよ。シン」
目標を再び胸に刻むと、シンは瑠偉に手を振って、屋上を後にした。
――。
シンは、周囲に誰もいないのを確認すると、ポケットから白いマジックギアを取り出した。高熱で溶けた金属、割れた小型モニター、勿論バッテリーは切れている。
そんなボロボロのマジックギアをシンは、ジッと見つめる。
これはシンが、自身の罪を忘れないため、戒めとして、常に持ち歩いている物だ。
(なあ、聖華。お前の弟子が、頑張っている。お前を目標にしてるんだってよ)
普段は、白いマジックギアを見ると罪悪感と悲しみに心を押しつぶされ、人目も気にせず涙を溢すほどであった。
(なあ、聖華。愛那が、俺を超えるまで見守ってほしい)
だが、今は不思議と苦しくはない。
それに何故か、今は聖華が応援してくれている――そんな気がした。