第21話「獅子寮の静かな朝②」
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世界歴1955年。6月17日。
「よう、クリス。今日も朝が早いな」
週明けの朝。
オリヴィア学園の男子寮。獅子寮のリビングでコーヒーを飲んでいるクリスに、友人のジョニーが声をかける。
「お、今日はコーヒーか。珍しいな、いつもは紅茶なのに」
「まぁ、いろいろあってね」
クリスは肩をすくめて、リビングに置かれている新聞に目を通す。
見出しは、首都の事件ばかりだ。『マフィアの抗争』、『政治家の汚職』、『違法薬物の取り締まり強化』。治安は一向に良くはならない。
「で、色男。恋煩いのほうはどうなったんだ? なんでも、女子に誘われて紅茶愛好会のお茶会に行ってきたそうじゃないか?」
「驚いた。話が早いな」
「学園は狭いからな。それも恋愛がらみのゴシップほど、広まるのも早い」
ふふん、と自慢げに笑う友人。
その手に持っているのは、なぜか少女漫画。
この間まで分厚い哲学書を読んでいたはずだが。そのことを指摘すると、自分のヴァイオリンに華やかさを持たせたいから恋愛について勉強中なのだと。
自分のことを言えたことじゃないが、この男も頭がいいのか悪いのかわからない。
「なあ、ジョニー。君は紅茶愛好会について知っているかい?」
「ん? いや、全然?」
少女漫画を片手に、トーストの準備をしながら答える。
「誘われたことはあるけどな。ドクやリズベッドに聞いてみるか?」
「トムは?」
「あいつが知っているわけないだろう? 人間の男と女より、牛肉の雄か雌なのかが気になるような奴だぜ」
「はは、確かに」
料理人志望のトムは、厨房に立っているときは頼りになるが、それ以外は周囲にあまり興味を持たない人間だった。
「そうなると、ドクも知っているとは思えないね」
「患者にならないと、人間にすら興味を持てない男だからな。誘われたこともないんじゃね? まったく、寂しい野郎だぜ」
「……おい、そこ。本人がいる前で良い度胸じゃないか。頭頂骨を砕いて入院患者にしてやろうか?」
リビングのソファーで寝ていた小柄な少年が、顔に載せた医学書をどけて睨みを利かす。
「おはよう、ドク。紅茶でいいかい?」
「やあ、クリス。ボクにもコーヒーを頼むよ。さっきから良い香りがしていたからね」
皺だらけの白衣の袖をまくりながら、ボリボリと寝ぐせのついた頭をかく。
きちっ、とちゃんとした格好をすれば、幼さを残す美形少年に仕上がるのだが、その姿を見られるのは学園の式典の時だけだ。
「あぁ、ちなみに。紅茶愛好会について知っていることもあるが、何だか腹立たしいので話さないことにするよ」
「あ? なんだ、このチビ。勿体ぶりやがって?」
「黙れ、日焼け野郎。お前が頭を下げるっていうなら、話してやると言っているんだ」
バチバチと視線の火花を散らす。
でも、いつものことなので気にしない。
クリスはいつも通りの朝に安堵しつつ、二人分のコーヒーを準備する。いや、三人分か。
「リズベッドは? まだ、いるんだろう?」
「あいつならシャワーを浴びてる。長いからな、あいつの朝風呂は」
ジョニーがドクを睨みなが答える。
睨みあっている二人の身長差は、まるで大人と子供だった。
男子五人で下宿している獅子寮。
そのメンバーは、クリス、ジョニー、ドク。あとは既に登校して学食を手伝っているトムと、シャワーを浴びているリズベッドだ。
本名は、リズベッド・フォン・アインシャルル・ラズ・クレンメフィールド。
とても長いので、皆はリズベッドを呼んでいる。最初は、名前のリズを愛称に呼んでいたが、なんだか女の子みたいと嫌がられたので、ちゃんと名前で呼んでいる。経済学者を目指して、この学園に通っている。
「おはよー。今日も良い朝だね」
ジョニーとドクのいがみ合いがひと段落したころに、リズベッドが頭からタオルをのせてリビングに入ってくる。
「なに? また喧嘩してたの? まったく、仲がいいのか悪いのかわかんないね」
「おはよう、リズベッド」
「うん、クリス君も。おはよー」
リズベッドは濡れた髪を拭きながら、皆から少し離れた場所に腰を掛ける。
柔らかい物腰に、ちょっと高めのトーンの声。
体の線は細く、この中でも最も華奢であった。ドクほどじゃないが身長も低い。中性的な美少年といった顔立ちに、妙に艶のある赤い髪はショートボブに整えられている。彼は一人で過ごす時間を必要としているらしく、何かと個室で過ごすことが多い。
だが、本人の性格はとても社交的で、誰に対しても優しい。この妙な物理的な距離感以外は。
「お、コーヒー? いいねぇ。わた、……オレも貰おうかな」
何かを慌てて言い直して、クリスからコーヒーを受け取る。
いつものことなので、誰も気に留めない。代わりに、クリスは紅茶愛好会について尋ねてみる。
「紅茶愛好会? うーん、あまりいい噂を聞かないかなぁ」
「そうなのか?」
「うん。なんか部員が倒れたとか、急に学園に来なくなったとか。この間なんて、ふらふらと駅のホームから線路に飛び込んだらしいよ」
クリスが黙ってドクを見ると、肯定するように頷く。
「でもね、一部の生徒には人気みたい。なんでも、会長さんの淹れる『幸せの紅茶』は、飲んだ人が幸せになれる、元気になる、って噂だよ」
そこまで話していたリズベッドが、うっとりと頬に手を当てる。
「まぁ、ちょっと憧れたりするよね。おいしい紅茶にケーキスタンド。可愛いドレスを着て、お淑やかなひと時。まるで、お姫様みたいじゃない」
はぁ、と夢見心地なリズベッド。
そんな彼に、クリスはわざとらしく咳払いをする。ここは男子寮。当然ながら、男子しかいないはずなのだ。
「あ、えーと、そんな話を妹がしてたかなー。あは、あはは」
わたわたと慌てながら必死に誤魔化す。
いつものことなので、誰も気に留めない。
「じゃ、じゃあ! 学園の準備してくるから! クリス君、コーヒーありがとうね!」
ぐいっ、と熱々のコーヒーを一気に飲むと、自分の部屋に引きこもってしまった。
そんな彼の後姿を見ていた三人の男たち。無言のまま視線を合わせて、何もおかしなことはなかったと首を横に振る。
「なぁ、ジョニー。リズのことだけど」
「言うな。何も言うな」
クリスたちが気まずそうにしていると、ドクがぽつりと呟く。
「……あれでボクたちを騙せていると、本気で思っているのか」
まったく、とドクは不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
他人に興味を持たない彼だったが、リズベッドに対しては何かと世話を焼いている。
「クリス、お前から言ってやってくれ」
「……遠慮しとくよ」
「ジョニー。貴様なら言えるだろう」
「……無理に決まってるだろう」
はぁ、と三人はため息をつく。
その直後だった。一階にあるリズベッドの部屋から、悲鳴が上がった。
「きゃーっ! ゴキブリ! ゴキブリが出たぁ! ドクっ、助けてぇ~っ!」
まるで女の子みたいな悲鳴。
もう一度いうが、この男子寮には男子しかいない。もちろん女の子などいるはずがない。だからこそ目の前の現実に、ドクの機嫌は更に悪くなる。
それでもドクは。今日の朝刊を手に取って、丸めて棒状にすると、彼の部屋にズガズガと入っていった。ピンク色と水玉模様の可愛らしい部屋だった。
「ドクっ、ドクっ! ほら、あっち! 隅のほう! ……きゃぁ、飛んだ! やめて、こっちに来ないでぇ~!」
「ええい、やかましい! ボクにしがみつくな! 害虫を駆除できんだろうが!」
いつものことなので、クリスもジョニーも気に留めなかった。
・次話更新は、10/4(月)の20時です。
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