第20話「見て見ぬフリをしなさい。あなたが知らないことは、知らなくてもいいことなんだから」
オリヴィア学園の敷地には、学生たちの憩いの場として、いくつかの喫茶店がある。
ほとんどの学生が利用している学生食堂とは違い、喫茶店を利用する生徒の多くは、秘密の内緒話をしたり、カップルのデートスポットとして活用されている。
ここは、私のお気に入りの店だった。
店内は、その店の特色によって異なるが、穴場であるこのカフェは、ダークブラウンと基調とした落ち着いた雰囲気となっている。
昼間なのに、間接照明だけのどこか薄暗い店内。
店内には白黒テレビはおろか、ラジオすら流されていない。あるのは、綺麗に管理されている縦長のアップライトピアノだけ。日光を嫌う年代物のアンティークテーブル。そこに刻まれた無数の小さな傷が、この店の歴史を物語っていた。
そして、何より。
ここカフェには、コーヒー以外のメニューがなかった。
それが生徒たちのデートでも使われない大きな理由のひとだった。
ケーキやクッキーはおろか、カフェオレやカプチーノすら存在しない。店のマスターのこだわりなのか、時期や季節によって味は多少変化するらしいが、まだ私には味の違いまでわからない。
「マスター、コーヒーをふたつ」
店内のテーブルにつきながら、どかっと私は行儀悪く腰を下ろした。
どこか落ち着かない様子の連れは、きょろきょろと辺りを窺いながら、私の正面に座る。
そして、まるで自分の居場所のように肩の力を抜いては、テーブルの上で手を組む。くそっ、この男。どこにいても絵になるな。
「僕たち以外には、お客さんがいないんだね」
「普段から、こんなもんよ。たまに学園の生徒も見かけるけど、ほとんどが先生か地元の人だけね」
クリスの問いに、私は肩をすくめながら答える。
今にもつぶれそうな寂れた喫茶店。
この雰囲気が好きだ。他人の目を気にしなくていいし、店のマスターもこっちには興味もないし。何より、この店のコーヒーが一番おいしい、……気がする。いや、さすがにそれは思い込みか。
「紅茶だけじゃなくて、コーヒーも飲むんだね。ミーシャは」
「そんなの普通でしょ。特にこだわりもないし。……何よ、嬉しそうな顔をして」
「いいや。僕の知らない君のことが知れて、少しだけ嬉しいだけさ」
さらり、と甘い言葉を吐く。
危ない危ない。どうせ、この男は相手が女であれば、そう言うに決まっている。
勘違いをするな、私。
こんな言葉で浮かれるな、私。
「あ、そ。それは幸せなことで」
私はあえて仏頂面を作って、肩ひじで頬を支える。店内から外を見ると、曇り空の向こうに夕日がわずかに見えた。ちょっとだけ、気分が良くなった。
「……それで? 説明をしてくれるのかな?」
「何を?」
私は視線を合わせない。
「先ほどの、紅茶愛好会のことだよ。僕が飲もうとしたティーカップを、君は叩き落としただろ?」
「えぇ、そうね」
「その理由を教えてもらいたい。彼女たちは伝統を重んじている、……いや、あれはもはや心酔している、と言ったほうが正しいのかな。そんな彼女たちを目の前にして、どうしてあそこまで目立った行動をしたのか」
虫がいた、なんて嘘はつかないでおくれよ。
と、クリスがおどけながら言った。
「さぁ。あいつらの紅茶が気に入らなかったからじゃない?」
はぐらかすように、私は肩をすくめる。
クリスからの真っすぐな視線を向けられているけど、そんな彼の目と合わせることはできなかった。
「そうやって、誤魔化すつもりかい?」
彼も私をならってか、呆れるように肩をすくめる。この余裕を感じさせる態度も、ちょっと気に入らない。
私が何も答えずにいると、店のマスターがコーヒーを持ってきた。
真黒な液体から、芳醇な香りが立つ。
余分なものなど入っていない。少なくとも、あの紅茶愛好会の『幸せの紅茶』に比べたら。
「……おいしい。こっちの国に来て、一番おいしいコーヒーかもしれない」
「ふぅん。あんたにコーヒーの違いなんかわかるの?」
「僕の祖国、ガリオン公国はコーヒー文化だからね。小さいころから、カフェで慣れ親しんだものだよ。こっちのオルランド共和国は紅茶文化だったね」
「そうね。だから、紅茶の香りには敏感かも」
私も、コーヒーカップに口をつける。
不安で揺れていた心が、少しずつ穏やかになるのを感じる。明日から、学園に通うのも憂鬱だったのが、ちょっとだけ頑張れる。甘さのない、現実的な苦み。
「……、……」
カップの淵を指で撫でて、話すべき言葉を探す。
でも、結局。うまく言葉になりそうになくて、思ったままのことを口にした。
「……ねぇ、クリス」
私はこの店に入って、初めて。
彼と目を合わせた。
「もう二度と、あの紅茶愛好会と関わらないで」
「……どういう意味だい?」
彼の表情は、いつだって穏やかだ。聞きたいことが山ほどあるはずなのに、何も聞かずにこちらの言葉を待っている。
「言った通りよ。誘われても、あのお茶会に参加しちゃダメ。紅茶愛好会のことを信用しないで。特に、あそこの会長の言うことには、耳を貸さないで」
無茶苦茶なことを言っていると、自分でもわかっている。
でも、他に言いようがなかった。そうやって、自分に言い訳をする。
「理由を聞いても?」
「ダメ。言えない」
今度は、クリスの揺らがない瞳に、真正面から受け止めることができた。
「ねぇ、クリス。……クリストファー・スミス。あなたは良い人よ。この学園に入学する前から、私はいろんな人間を見てきたけど、あなたほど正義感が強くて、真面目な人間はいないと思う。本当よ」
ふぅ、と軽く息をはく。
「だから、お願い。これ以上、紅茶愛好会に首を突っ込まないで。何かおかしなことがあっても、見て見ぬフリをして」
「……ミーシャ。君は何を危惧しているんだい?」
クリスは私のお願いに答えなかった。
代わりに、その胸中にたまっているであろう疑惑を口にする。
「僕の祖国、ガリオン公国は何よりもルールを大事にする真面目な人間が多い。国民性といってもいい。だから、ルールを破ったり法律を犯したものには、公正な追及がされて当然だと考えている。僕もそう思っている。……それなのに」
クリスが初めて、不安そうな表情を垣間見せる。
「この学園は、おかしなことが多すぎる。外部講師の突然の解雇や、寄付金を募るような公正を欠いた対応。そして、今回のお茶会だ。貴族や歴史ばかり重視して、他のことは些事とばかりに見下している」
「それこそ、この国の国民性よ。大切なのは地位と格式。庶民には、それほど価値がないのよ」
「話をそらさないでくれ。そんな環境の学園で、君は僕のティーカップを叩き落とした。自分がこれから、どんな嫌がらせを受けるのか理解していたはずなのに。あの紅茶が気に入らなかった。それだけじゃ、納得できない。……君は」
クリスは、すがるような目で。私を見た。
「……君は、僕を守ってくれたのか?」
教えてほしい。その理由を。
クリスの真剣な目に、私の心も揺らぐ。
話すことができたら、どれだけ気が楽になるだろう。
だが、ダメだ。
話してしまったら、この正義感の強い男だ。じっとはしていられない。不正や悪を暴こうと、学園に働きかけてしまうだろう。それは、私の望むところではない。
「知らなくていいこともあるのよ」
「ミーシャ?」
「聞いて、クリス。世の中には、本当にいろんな人がいる。あなたの周りには誠実で真面目な人が多かったんだと思う。だから、あなたはこんなにも素敵で魅力的なんでしょう。……でも、でもね。世の中には『悪意』を持っている人間もいることを忘れないで。傷つけよう、困らせよう、不幸な目にあわせてやろう。そう願っている人間も確かにいるのよ」
少し冷めてしまったコーヒーを、一気に喉に流し込む。
「クリス、見て見ぬフリをしなさい。あなたが知らないことは、知らなくてもいいことなんだから」
「了解しかねる。どういう意味だい、それは?」
親に守られている子供のような扱いをしたからだろうか。とうとうクリスの顔にも、苛立ちと不機嫌さがにじみ出ている。
だから、だと思う。
私は余計なことを言ってしまった。
「知らないことは幸せだってことよ。だって、知ってしまったら無関係ではいられない。それは、あなたも困ることでしょ? 隣の国から来た王子様?」
その最後の言葉に、彼が目を見開くのを横目に見ながら、私は伝票を手にレジへと向かった。
その日の夕方。
学園の生徒が、駅の線路に飛び込んだ。
幸い、大きな事故にはならなかったが、飛び込んだ女生徒の意識がないということで病院に運ばれた。その女生徒は、紅茶愛好会に所属していた。
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