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18.三衣 千月様より頂き物

何と、三衣様より素敵な二次創作を頂きました。

あまりの完成度に読んだ私もうっとりしております。ぜひご堪能ください。

題:深山煙霞しんざんえんか




 男は山深くを歩いていた。昼だというのに辺りはどこか薄暗い。切り立った岩肌は苔むしており、視線を遠くへと向けてみても一つ向こうの岩山の輪郭さえも捉えることができないほどであった。己の着ている東国風の衣装がもしも濃紺のそれではなかったならば、そのまま自身の存在すらも呑まれて消えてしまいそうなほどの煙霞である。


 やはり、村の者の言ったように霧が晴れる日取りを待つべきであっただろうか。いや、話によればいつ晴れるとも知れぬものらしい。昨晩、一夜を共にした村娘には引き留められはしたが、やはり先を急ぐべきだろう。辺りの霧は更に深くなり、男は道を踏み外して谷底へ落ちてしまわぬよう気を研ぎ澄ませてそろそろと歩く。


 どれほど歩いただろう。存外、村から離れてはおらぬかも知れぬ。間もなく、この怪しげなる霧の山を抜けられるかも知れぬ。男は消耗していた。日が高いのか、傾いできているのかすらも分からぬ。一向に霧の晴れる気配はなく、男は道端に大岩の存在を認め、それによりかかるようにして腰を降ろすと、携えた東国独自の造りをした刀剣がかしりと地面を打つ。国を出る際に自らの長兄より賜ったその刀剣を抱くようにして、男は目を閉じて暫しの休息を取った。


 目を覚ましても、未だ霧は深い。刀剣から垂れる鮮やかな布飾りも、霧の水分を含んで重たそうに揺れている。そういえば、山には妖が住むと村人達は言っていた。霧で人を惑わせ、取って喰らうのだと。そのような妖譚の大抵は山賊崩れや事情があって国を追われた者達の成れの果てであると男は知っている。事実、東国を出てから様々な国を巡り、そういった者たちを少なからず見てきたからだ。


 いや、自らも国を出て放浪の身だ。探すべきものがあるとは言え、定住すべき地を持たぬという意味では、己も似たようなものかも知れぬ。男は自嘲気味に笑った。刀剣を頼りに立ち上がろうとする男。しかし不意に己の頭上から声が落ちる。ただ一言、ご機嫌ようと静かに振り落ちたそれはとても異質で、煙霞の中をしんと落ちる氷のような冷たさを孕んでいた。


 男は反射的に岩から飛びのき、その身二つ分ほど離れた場所で自らが腰を降ろしていた大岩を睨ねめ付ける。刀剣に手をかけ、いつでも抜けるように身構えつつ。しかし大岩のどこにも、声を発した存在を認めることはできなかった。緊迫した空気の中、辺りを漂う霧が男にうっすらと纏わりついてくるようにすら錯覚した。


 ――そんなに構えずともいいのではないかしら


 己の後ろから囁かれる声に、男は即座に剣を抜き己の背後へと一閃、横薙ぎに刀を振るうが、何の手応えもなく切先はただ空を切るばかり。こちらこちらと言う声に再度面を向けてみれば、薄紫の衣を纏った女がころころと笑いながら立っていた。


 見た目は妙齢の女性だが、纏う雰囲気はどう捉えても人の持つそれではない。霧の中に立つその姿は妖と判じるに十分なものだった。抜き身の刃先を向け、男は妖かと問う。女は、さも当然のように是と答えた。己を取って喰うつもりかと問えば、否と言う。さらに、山に霧を巡らせたのは自分であると女は言った。


 男は妖の意図を読み倦ねていた。その様子がいかにも面白いといった風に女は口の端をきりきりと上げる。取って喰うことはしない。望むものを与えてくれれば霧を消し、山向こうへの道も教えると言う。男には、妖の望むものが何なのか、見当もつかない。与えられなければどうなるのかと問えば、ただ深山の中で霧に朽ち往けばよいと静かに答え、女はひゅるりと身を翻す。その身を山猫の姿に変じた女は、霧の中に溶けるように消えていった。


 山猫の化生か。しかしそれが知れた所で男には妖の問を解決する術を持たなかった。考えても分からぬし、ここでただ歩みを止めていてもいずれ果てるだけである。男は一つ息を吐き、何もせぬよりはましだと深い霧の中を歩きだした。


 歩けども、歩けども。ただ同じ風景を繰り返し見るだけ。相も変わらず、日も沈まぬし、霧も晴れぬ。時間の感覚が分からぬのでどれくらい歩いたのかも判ずることができない。数日は歩いたような気もするし、ほんの数刻しか歩いていない気もする。これは本格的にあの妖の術によるものかと男は幾度目かの大岩を前にしてかぶりを振った。己はこのまま霧の中で朽ちてゆくのだろうか。疲弊した体を地に擲って天を仰いだ。しかしそこには飽きるほど眼前に見据えていた煙霞が、ただただ天にも広がっているだけだった。


 どうとでもするが良い。捨て鉢に男は言い捨てて目を閉じる。歩き続けた疲れからか、男はすぐさま眠りに落ち、そして夢を見た。それは自らが東国を出立する際の出来事であった。


 男は長兄から、一振りの刀剣を賜った。柳のように反った、東国風のもの。長兄はこの刀が付いていくと言って聞かんのだと笑っていた。そして、成すべきを為すと決めたならば成らぬは己の未熟さ故と心得よといつになく真面目な顔で述べた後、刀剣を手渡してくれたのだ。それはずっと昔から自分のものであったかのように、不思議なほど手に馴染んでいた。


 己の成すべき事とは何であったか。

 夢と現の狭間で、靄のかかった頭で考えてみるのだが、果たして思い出せない。己は、どうして放浪の身であったのだろう。生まれ育った東国を出て、定住の地も持たず諸国を巡る事に何の意味があるのだろう。


 いつの間にか、横には女の気配がする。妖らしい神出鬼没の様相に、男は諦観の笑みを浮かべた。体は疲弊し、心もまた擦り減っていた。特にどうということもなく体を捩れば、長兄より賜った刀剣が地に擦れて存外大きな音を立てた。


 その音に正気に返った男ははたと目を見開く。己は今何を考えていたのか。己は自らの半身を探すために東国を出たのではなかったか。様々な国を巡れと天啓を受けたが故に旅に出たのではなかったか。ああ、己は今、はっきりと思い出した。このような名もない山中で朽ち果てる道理など、一片もないのだ。


 跳ねるように起き上がり、自らの傍らに佇んでいた女を見据える。その妖は変わらず何を考えているか分からぬ様子で、口の端をあげて男を見ていた。その目は衣と同じ薄紫色をしており、ゆらりと妖しく揺れていた。男は刀剣の布飾りを一度撫でてから、鞘から抜くことなく女に言った。やれるものは、何もない。この身はいつか相見える己の半身の為にある。刀剣もまた、己の内に在りしものである。引き離せぬものであるが故、この身諸共くれてやるわけにはいかぬ、と。


 女は笑った。愉快そうに。さも楽しそうに。その言葉が欲しかったのだと身を翻し、一頭の山猫が大岩へと飛び移る。


 ――己に惑えば、即ち道に迷うもの。その言、努々忘れるなかれ。


 山の谷合から、微かに響く声と共に一陣の風が抜けた。不意の突風に目を瞑り、風が収まった頃には霧は晴れ、山紫水明の景色が広がっていた。山猫の姿は、どこにも無かった。




   ○   ○   ○




 数年の後、男は西国にて自らの半身とも言える、翡翠の君を得る。二人で揃って東国へと向かう道すがら、男は再び山を訪れた。麓の村人達が言うには、あれ以来、妖は姿を見せず、取って喰われたと思われていた者たちも迷い家から帰ってきたかのように戻ってきたのだという。


 これも男のおかげだと歓待を受ける中で、翡翠の君は男に妖退治もお手の物であったのかと問うた。男は困ったように笑みを浮かべ、さて、あれは妖であったのか、はたまた天女か仙人かと答えに窮し、いたずら好きの山猫が一匹いただけであったのだと、そう口にした。


 山から冷たく気持ちの良い風が一筋吹き降り、男の髪をさらりと揺らすのだった。

三衣 千月様といえば、実は私の中では『かずい荘の怪人』なのです。もともと、昭和の日企画の際に、秋月 忍様に送られた『月の湯へようこそ』とのコラボでお名前を知りました。先にコラボから読み始めて、元の作品を辿るという形になったのですが、これがまあ面白い。懐かしの昭和ネタが一種飄々とした文体で描かれていきます。昭和を知る方も、そうでない方もぜひあの時代に想いを馳せて欲しい作品です。

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