三章 噂 4P
「出て行ったばかりじゃねぇか。なんかあったのか?」
拠点に戻ったホーカーは仲間を適当に手で制し、じっくりと考える。
火の無いところに煙は立たない。煙が見えたらその下には火があるはずだ。
人肉を売っていないのに噂はある。それが単なる噂ではないと遠回りに教えたのは、同じように徘徊する誰かに聞かれるとまずいから。
噂は隣人に警戒させる意味と、知られたくない者に対して真実を隠す意味がある。その手法はなるほど利口者の町と呼ばれるに相応しい見事なものだ。
奴隷商人の一件と繋がっているとしたら、連れ去られぬように気をつけろ。だが奴隷を塔の者に見つからないようにしろ、といったところだろうか。
朝を待って肉屋に行くと、ハットはいなかった。
「ハットはまだ寝てんのか?」
「ああ。肉を買いに来たのか?」
不愛想なのは歓迎しない客が来たからであって、肉屋の店主は平時なら客の身なりを見て態度を変えたりしない。
足の悪い男は肉屋に聞けと言っていた。普通に考えたら口達者な商人に聞いても無駄なことだが、嫌な客に嫌そうな態度を取る者には有効かもしれない。
「人間の肉をあるだけ全部」
「う、うちは人肉なんか売ってない!」
「冗談だ。気にするな。砂豚の一番上等な肉をくれ」
悪い冗談に対して朱に染まるならまだしも、蒼くなる店主の愚直さに笑う。
上手く立ち回ってくれればいいのに、とつい思うホーカーの内心は笑ってなかった。
「この肉は本当にうまい。一頭買いしたいくらいだ。どこで仕入れてんだ?」
言い淀む店主に秘密ならいいと言って、銀貨を多めに支払う。
彼が銀貨を払いすぎるときは迷惑料の類が含まれることが多い。
テーブルに転がった金も集めずに見送る店主の顔は、自分が取り返しのつかない失敗をしたと知った者のそれだった。
拠点に持ち帰った上等な肉を隊員たちは喜ぶが、ホーカーは珍しく一口も食べようとしない。
恐らく人肉に抵抗のある者が飢えた末に生み出したのだろう魔術に、人を家畜に変えるというものがある。もちろん禁術の類だ。
砂豚が売れないのは高価だからに違いないが、高い金を払いたくないから買わないわけではない。禁術を悪用する商人がいるとすれば価値の高い家畜にするからだ。
しかし肉屋は欲をかいたわけではなく、素知らぬ顔で売り捌くことへの抵抗を少しでも軽くしようと、あまり売れない高値の家畜にした。
ホーカーはそこまでのことを知らないが、嫌な予感は得てして当たることが多い。
人肉をさもありなんと口にする者もいないことはない。しかしホーカーはそれを口にした直後に吐いたことがある。
単なる好き嫌いなんだろうか。と、脂を滴らせる肉を複雑そうに見ているのは、知らずうまそうに食す隊員たちを憐れんだわけではない。ハットたちが気がかりだからだ。
正義感のある店主はあれだけ釘を刺せば裏商売を辞めてくれるだろうか。
起きてる者たちと情報を共有すると、ホーカーの足は自然と肉屋に向かう。
昼すぎにハットを湖の跡地へ連れて行くと、早速油断ならない問答が始まった。
帽子屋と言われて店主が慌てた理由を教えてやるが、ハットの反応は薄い。慌てずやたら饒舌になったりもしない商人に、ホーカーは底知れなさを覚えた。
次はどこから切り込もうかと一瞬気をそらしたのは、彼の失敗だ。
「ねぇ、なんでホーカーは散歩屋を名乗るの?」
攻めることが容易でも守るのは容易ではない。勝負事は得てして小さな隙が致命傷になり、舌戦を得意とし常に戦う商人はホーカーより一枚上手だ。
暗部が自分の正体を知られるのは敗北に繋がることが多い。しかしホーカーは自分の知名度を武器に情報を集め、短期決着を得意とする変わり者。
そのホーカーにとって散歩屋と知られることは痛くないことだが、ハットに散歩屋のことを詳しく知られているのはつらいものがある。
敵対したくないと思うのは両者とも同じで、仲間を守りたいのも同じ。だが目的を達成したいのも同じだ。突かれれば噛みつくのは獣だけではない。
互いの秘密を知っているのに結んだ協定は、互いにもう噛みつきたくないからだろう。
夕方に日課と称して抜け出したホーカーが向かうのは、湖の跡地。一日に二度も訪れるには遠く、苦にならないほど彼の心をつかんで離さないところ。
彼が奏でる歌声は鳥たちを集める。しかしホーカーは鳥たちに気を取られることもなく歌い続けた。
心に浮かぶものは自分を責める歌。この歌を歌う者は不思議と安らぐが、聞く者を悲しい気持ちにさせることが多い。それは罪人だけを癒す。
任務を遂行しなくても遂行させても、ホーカーの心は罪悪感に満ちるだろう。
日が完全に沈んだ頃に水筒を傾ける。水は口に入ることもなく無意味に砂を濡らし、小さな水たまりを作った。
鳥が群がって水を横取りしないのは、精霊への手向けと知るから。
ひときわ歌が上手い小鳥がホーカーの歌を真似て鳴く。
「ハットたちが仲間に加わってくれりゃあ、だいぶ気が楽なんだけどな」
笑んだ顔の本心を知る者は、ここにはいなかった。




