三章 噂 3P
昼食の後に夕方まで散歩をしたホーカーは、拠点で仮眠をとった後に仲間が集めた情報に耳を傾ける。
「――と、ありきたりっちゃそれまでの噂だがな」
それはミートホームが人肉を売っているというもの。
「お前は行ってきたんだろ? ったく大胆なんだか無謀なんだか」
「人肉は売ってねぇ。店に並んでることもなかったし、昼飯に出されることもなかった」
散歩屋が来ると聞いた店主が隠した可能性もあるが、店主がそんなことをしているとは考えづらかった。
どうしてもホーカーは自身の眼で見たものを疑い切れない。正義感と慈悲でできているような人物が人の皮を剥ぎ落とし、部位ごとに切り分けることができるのか。それは正義感と慈悲がなくてもできないほど狂気に満ちた行いだ。
「そりゃ良かった。もし出されたら、残すのはもったいないからな」
たちの悪い冗談を笑えなかったのはホーカーだけではない。何人かは人肉の味を思い出し、暗部に入って日が浅い者は吐き気に口を押さえた。
人肉ではないと言い切れるのは、人肉の味を知るから。
バカバカしいと考えながらも彼らは、しばらく噂の真偽を話し合う。
噂は肉屋の悪口としてはよくあるものだ。実際に何か悪いことをしてそんな噂が流れることは滅多にない。
店主を嫌う誰かが酒の席で言った冗談か、商売敵が試しに言ってみた作り話。
議論の終着点はそんなところで、話はふりだしに戻る。
それぞれがあちらこちらの商人に話を聞いてみるということになり、朝まで続いた話し合いはひとまず終えた。
ホーカーは外に出るといつも通り肉屋の前まで行く。
呼び止めた商人の目元に黒ずみを見つけて親近感を覚えたのは、自分の目元にも同じものがあったから。
話もそこそこにハットを湖に連れて行くと、興奮冷めやらぬ顔はホーカーを質問攻めにした。
ここはどこ? ここにも人が住んでたの?
話しているうちに頭に浮かぶ情報は泉の水のように前触れなく湧き、ホーカーはその奇妙さにゆるゆると身を委ねる。
――いつか誰かに、なぜ湖が枯れたのか尋ねられた。どう答えたのか覚えはないが、尋ねた者は怒っていた気がする。
湖の存在を知る者は精霊を恐れ、賢い人間たちは北東に町を広げたりしない。
それはきっと、まだここに湖があるからだろう。
ホーカーは無意識に砂を手に取り、さらさらと落とす。
この国では砂こそ不幸の象徴で、水は幸の象徴だ。その最たるものであるはずの湖はなぜ、嫌われたり恐がられたりしているのだろうか。
ハットと別れたホーカーは拠点に戻り、考えを整理する。
帽子屋を失敗して新しく始めた商売。それは奴隷商人と関わりのあること。
新しく商売を始める資金はどうやって工面したのか。人肉の噂がある客の絶えない肉屋。姿の見えない奴隷商人。そして、姿を消していく町の人間。
「分かんねー!」
勢いで転がってみた床は冷たく、その心地よさにホーカーはまどろむ。
「おい、踏むぞ」
それを阻止したのは拠点に常駐する男。仲間たちから彼は味気なくも常駐と呼ばれている。もう少し親しい者がちょろ毛と呼ぶのは、赤くそれほど長くもない髪を無理に結っているからだ。
「何かつかんだか?」
「色々」
ちょろ毛の常駐が肩を足で揺するとホーカーも面倒そうに答える。
「何をつかんだか聞いている」
「じゃあそう言えよ」
気だるいやり取りに、これまた面倒そうに常駐が足を乗せたのは、ホーカーの腹。
「分かったよ。話すから、お前の考えを聞かせてくれ」
細められた深いブラウンの瞳を見上げ、ホーカーはようやく重い口を開いた。
ホーカーは夜まで眠り、起きてから北西に向かって散歩した。
砂漠の夜は冷え込む。寒さにうんざりする者は早々に寝るものだが、ホーカーにとっては昼の暑さより遥かにマシだった。
利口者の町の北には家に住まない人間が多く徘徊している。暑さよりマシだと思っているわけではなく、凍えてしまわないように歩き続けるのだろう。
「よう、散歩屋。またなんか調べ事してるのか?」
油断ならない笑みで迎えるのは初老の足が悪い男。ホーカーの古い友人だが、彼はいつどこで男に出会ったのか覚えていない。
「本当の秘密ってのはなかなか分からないもんだな」
ホーカーが肩をすくめると男は遠慮せずに笑い出す。
「秘密が簡単に分かったら、それはもう秘密じゃないだろう」
「そりゃあ、そうなんだけどな。それを調べないと何もできねぇ」
拠点からくすねてきた酒瓶を男に渡してやると、笑みは温かみを持った。
「人肉だったら味で分かる。そんな噂を信じてるわけではないんだろう?」
何を調べているのかまで筒抜けになっているような感覚。耳の聡い商人のような男は、昔は本当に商人だったのかもしれない。
「肉屋に聞けばいい。そうすればお前は知りたいことを知るだろう」
人肉を売ってても売ってなくても、返答に違いはないじゃないか。
ホーカーがうんざりしたのは遠回りするような言にではなく、男が煙草に火を点けたからだ。嫌な煙を肺に入れたり出したりする不毛な行為に、隠しもせず顔をしかめる。
「煙草は嫌いか?」
頷くと馬鹿にするように笑われ、むっとする。
「散歩屋。お前は煙草の何が嫌いなんだ?」
「そんなの、煙が嫌だからに決まってんだろ」
男は点けたばかりの煙草の葉をかんかんと石の上に落とす。この町で贅沢品に入るそれは少し燻って熱を失う。
石の上にはほとんど燃えなかった葉と僅かな灰が残り、男は金を集める商人のように葉の部分をかき寄せる。それを摘み上げると、ホーカーによく見えるよう目線に掲げた。
「お前が嫌いなのは、本当に煙草か?」
少し考えて意味を悟ったホーカーの顔を見ると、男は満足げに笑んで煙草入れに葉をしまった。
彼が嫌うのは煙草ではなく、燃やしたときに出る煙だ。普通はそんな言い方をしないが、男は別にあげ足を取りたかったわけじゃない。
「火の無いところに煙は立たない、という言葉がある。意味は分かるな?」
機嫌良く立ち上がった男は足を引きずりながら最後に、探し物が見つかるといいと言い残して去った。
ホーカーがこの男を見たのは、これで最後になった。




