レオナの部屋
レオナの部屋は広間の先にある階段の上にあった。ミズキやダイゴはついて来なかった。私がここから逃げる術はないから見張る必要もそんなにないんだろう。
どちらにしろ今の私は感情が高ぶっていて逃げることは考えてなかった。 部屋の前まで来て勢い任せに扉をノックする。
だがなかなか扉は開かず、何度も扉を連打しているとやっと扉が開いた。
すぐ目の前にハイリが現れてドキッとする。シャツのボタンが全部開いていて、その肌に無数の赤い痕が見えた。
「…どうしたの。」
やつれた顔で私を見下ろす。その顔を見ると高ぶっていた感情が急に勢いを失くし、何を言っていいのか分からなくなる。
「あ、…あの、えっと…」
「…中入る?今レオナ様いないし。」
気怠く促されて、おそるおそる中に足を踏み入れる。部屋の中からは爽やかだが甘ったるいような、不思議なキツい匂いがした。
ハイリは部屋の奥にあるソファに座ると小さく息をつきシャツのボタンを留めた。
「…で?何の用?」
「………レオナと、体の関係なんでしょう?」
私が聞くと、ハイリは顔を上げた。自分で聞いておいて、なんだか恥ずかしい。
ハイリはしばらく私を見つめて固まっていたが、不意に俯き、吹き出すように笑った。
「…何笑ってるんですか。」
「随分ストレートに聞くなあと思って。」
言いながら「はははっ」と声を上げて笑う。その笑い方がイオンのままで、驚きと共に感動してしまう。
「…見ての通りだけど?」
少しの間思いっきり笑ってから、諦めたようにハイリは言った。
「…本当に?」
「本当。」
「…どうして?」
どうして、あんな女と。
「…俺はレオナ様のお気に入りだから。」
寂しそうに微笑むその顔に、一瞬何も言えなくなる。喉が変に詰まって、言葉が出ない。
「お気に入りって?」
「ミズキやダイゴにはあの人は関係を迫らない。俺に何か執着する理由があるんだろうけどよくは知らない。最初は拒否したけどあんまり逆らうと殺されちゃうからね…受け入れるしかなかった。もう慣れちゃったけど。」
話してる間は伏せていたその顔を、不意に上げる。深く青い瞳がいやに切なく見えた。
「…引くでしょ?」
自嘲気味に言って、笑う。その姿に、イオンの記憶がないはずのこの人の中に、本当のイオンを見た気がした。
イオンは、私が散々悩んでる時でもそばにいてくれた。でも、肝心のイオンの悩みは私は何一つ知らなかった。いつも笑ってるからイオンの心の傷なんて一つも見えなかった。
ハイリは傷だらけだ。レオナの前だと一気に顔から感情が消え失せるのは、きっと心までレオナに取り憑かれないためだ。傷にも本音にも触れさせないように、どんなに体を明け渡しても感情を見せない。
イオンの傷の部分が表面に出た姿がハイリなのだとしたら、ハイリは全くイオンではないという訳ではない。私のことなんか知らなくても、この人はイオンだ。
「……引きませんよっ」
考えているうちにまた目の前が滲む。泣いてばかりだな、私は。
「私は…そんな体どうこうとかで引きませんっ。ハイリが黙って…あんな女に従ってるのが納得いかなくて、勝手にハイリばかりが苦労してるのが嫌なだけなんです…。」
勝手に感情が高ぶって泣いている私をハイリは少し驚いたように見ていた。
何も答えてくれないかと一瞬思ったが、ハイリは力が抜けたように笑った。
「ありがとう、リカコ。」
私の苛立ちを溶かすような和やかな笑顔。三年前までずっと見ていたイオンの笑顔だ。
どうしてこんなに優しい笑顔が出来る人が、一番傷つかなきゃいけないんだ。
「私、絶対レオナとハイリの関係断ち切らせますから。」
口をついてその言葉が出た。ハイリが「えっ」と目を丸くする。
「…それで…できたら私の事も思い出してください…。」
「え?」
小さく呟き「じゃあ、いきなり失礼しました。」と軽く頭を下げて、不思議そうな顔をするハイリに背を向ける。スッキリしていたが、これ以上ハイリに泣き顔を見られたくなかったし、ハイリの顔を見ていられなかった。
部屋を出ると、やけに空気が綺麗に感じた。レオナの部屋の不思議な匂いから逃れられたことに安心感を覚える。
ふと視線を感じて振り向くと、今出てきた扉の横にミズキが立っていた。
「…何やってるんですか。」
「ハイリに血吸われてないか見に来ただけ。」
冗談気味に言いながらミズキが片手に下げていたコンビニ袋を私に突き出す。
「クッキーだけじゃ死ぬよ。」
袋の中を見るとパンやらお菓子やらが入っていた。再び食欲がこみ上げる。
「わざわざ買いに行ってくれたんですか?」
「俺が外に 食事 しに行ったからそのついで。部屋戻ろう。俺もお菓子食べたい。」
無邪気に笑ってミズキが階段を降りていく。血を吸って来たからか、上機嫌に見える。
私もつられて笑うと、ミズキの背中を追いかけた。




